音高時代・癒しのヨガの時間

音高の必須科目の中には、音高生が苦手とする(?)「体育」の授業もあった。 

水泳、テニス、卓球、ヨガ、バドミントンなど学期が変わるごとに微妙に入れ替わる5種目くらいの中から、好きなものを選べるシステムだ。1種目につき15人くらいのメンバーで一緒に授業を受ける。 

人気の種目には当然手を挙げる人が多いので、そういう時はくじ引きで決める。残念ながら落ちてしまった人は、人気のない種目へと移らないといけない。 

ちなみにいつも人気があったのはバドミントンと卓球で、一番人気がなかったのは水泳だった。不人気の理由は、水泳を選ぶと次の授業までの短い休み時間の間に髪を乾かさないといけないし、次に実技のレッスンなどがあって急がないといけない人には不向きだったからかな。 

私も水泳の授業は一度も取らなかった。なぜかって、自分にもっと向いている種目(!)を見つけてしまったからだ。 

私が3年間ほとんどずっと取っていたのはヨガの授業。 でも体育の授業では同じ種目を2回続けては取れないという決まりがあった。 

だからちょいちょいヨガのほかにもダンスやテニスを取ることもあったけれど、それでも必ず戻ってきて続けていたのはヨガの授業だった。 

ヨガに惹かれた理由は? 

何しろヨガだからあんまり激しく動かなくてよかったし、女子しかいなくてまったりした女子会みたいな雰囲気が流れている中で行われ、気を張ることがなかったから。あと授業中にちょっと眠れたから。(一応男女共学だったけど、女子生徒の数が圧倒的に多かった。8対2か、学年によっては9対1くらい?) 

1限目の体育は、朝の8時50分開始。着替えの時間を考慮して普段より10分遅く始まる。(ほかの授業は8時40分開始。) 

体育着に着替え終わると、普段使っている校舎の横にある体育館へ向かう。 

ところでこの体育着はすぐ乾くし、さらさらして肌触りもいいのでドイツまで持ってきてしまった。高校1年の時からだから、もう長く使っている。 

体育着の色は学年によって異なり、私たちの時は緑だった。姉は青。 

時刻は8時50分近く。 

時間になると皆ばらばらとやってきて、おはようー眠いねーとか言いながら各自でマットを引っ張てくる。(このマットがなかなか重かった。) 

そうしているうちに先生がくると、授業がスタート。一通り点呼が終わったらマットの上に横になって、あとは先生が「腕を伸ばしてください~」とか「首をゆっくりと回してみましょう~」とか言うのを、消えてしまいそうな意識の遠くのほうで、ぼんやりと聞きながらゆっくりと自分のペースでその通りに身体を動かしていく。 

金曜日の朝、月曜日から頑張り続けて疲れた身体で受けるこのヨガの授業。 

授業の間、ずっとヒーリング音楽みたいな曲が後ろの方で流れていて、体育館にはその音楽と先生の静かな優しい声だけが聞こえる。誰も何も話さないし、みんな今こそ日頃の練習で疲れた身体を休ませる機会、と全身をマットに預けてだらーんとしていた。 

そういうのんびりとした授業だったから、授業中に本当に眠り込んでしまう子もちらほらいた。(私もとっても眠かったので一瞬意識が飛んでしまうことがしょっちゅうあった。) 

だから授業が終わるころに「○○、起きてー。授業終わったよー」とか声をかけられる子もいたりして。 

みんな本当に疲れていて眠そうだった。普段はよく喋ってハイテンションな子も、普段から静かな子も、みんな同じようにこのヨガの時間を楽しんでいた。 

晴れた日には外で鳴いている小鳥の声がちゅんちゅんと聞こえて、雨の日には雨のしとしと降る音が体育館の天井に響いていた。 

時々下の階から、卓球の熱戦を繰り広げているであろう卓球組の子たちの叫び声が聞こえてきたりもした。(私たちがヨガの授業を受けていた場所は、4階分くらいあった体育館の一番上の階だった。) 

90分間マットの上でごろごろ、難しいことは何もしなくていい、まさに「癒し」の時間。 

それは、私が今まで受けてきた小学校、中学校の体育の授業とは全く正反対のものだった。 

小学校の頃は今よりももうちょっとアクティブだったから、気持ちというか、勢いで体育の授業も乗り越えられていた。(気がする。) 

そもそも授業内容がまだそんなにハードではなかったし。 

水泳は一番下のクラスで気楽に泳いでいたし、恐ろしい高跳びも、できない人グループに振り分けられてその中でぴょんぴょん飛んでいれば「よくできました」 をもらえた。

そうはいかなくなったのが中学に入ってから。 

中学の体育は、まさに「これは義務教育です。全てこなして当然です。苦手とか、そんな言い訳で逃げてはいけません。」という感じで厳しくてキツイものばかりだった。先生も厳しかった。 

長距離で走らされる距離は想像を超えていたし、速く走ることもできない自分にとっては短距離走も超・苦手種目。 

それにバスケットボールとかバレーボールという球技は男女合同で行われて、背も高くて体格もがっちりした男子の投げてくるボールが速くて速くて恐怖でしかなくて、毎回「もうこのへんで勘弁して」という気持ちで授業に参加していた。 

ボールと遊ぶのって、本当に苦手。年に一度の体力測定で「ボール投げ」という種目があったけれど、毎回、全国の平均値にまったく届かなかった。なぜか、ボールを一回つくともう二度とバウンドしてくれないの。もしくはあさっての方向にコロコロ転がっていっちゃう。難しかったなー。 

体力測定で全国平均より上回ったのっていえば、握力くらい。 

右左どちらも33くらいあったから、それだけはかろうじて点数が良かった。あとはボロボロ。 

小学生の時には多少あった活発さも、中学校での体育を経験していくうちにすっかり気持ちが挫け、どこかへいってしまった。 

いつも皆の前で自分の不出来さをさらすことになるのも辛かった。 

あと、リレーの時に自分のせいでチームが順位を落とされた時も辛かった。精神的にはそういうのが一番ダメージが大きかった。 

中学での体育の授業にそういう黒歴史があっただけに、音高に入学して初めてこのヨガの授業を受けたときは本当に「体育の授業ってこんなにリラックスして受けることもできるんだ」と思った。 

全身の力が抜けていく感じ。もう、誰かの足を引っ張ることはないんだ、という安堵の思い。 

それからはじめて体育の時間が楽しみになった。 

体育がある金曜日はオケもある日で、楽器とカバンを抱えつつ体育着も持ち満員電車(いつも以上に疲れ切った人でいっぱい)に乗り込むという、通学に関して言えば一週間で最も過酷な日だった。毎週それに耐えられたのは、その先にあの癒しの時間が待っていると知っていたから。 

体育ってこういうのもアリなんだよ、って教えてくれた音高の体育の先生には本当に感謝している。 

授業中のみんなの表情もリラックスしていて、笑顔も浮かんでる。自分のやりたいペースで進められる。「技術の差」によって成績をつけられることもない。 

それで、いいじゃないかと思う。体育が得意な人がいるように苦手な人もいる。みんながそれぞれ好きなように思い思いに体を動かしてスポーツを楽しめれば、スポーツの本来の目的を達成できているんじゃないか、と。 

まあ、音高の体育の授業は実技で成績を決めない分、欠席に関しては厳しく、例えば授業を2回休めばもう「3」となった。遅刻は2回で欠席1回分。5分遅れれば遅刻扱い、15分遅れるとその日は欠席扱いとなる。(電車の遅延による遅刻はまた別。) 

欠席とはなるものの、それでも授業に参加したい人は参加してもよし。どうするかは自分次第。ただし、その日は授業に参加したことにはならない。 

緩すぎるとそもそも授業に来ない人も出てきそうだから、そういう厳しさも必要なのかなあ・・。 

と、大学生になって体育の授業と完全にお別れした今、過去の体育の授業を振り返って思う。

教会の鐘とともにある生活

今日は日曜日。教会の鐘が朝から厳かに鳴り始める日。

ここドイツでは多くの人が教会に足を運ぶ日でもある。

 

「こんなに鐘が長くなっているということは、今日は日曜日だ。」という具合に、もしその日の朝に鳴る鐘の音がいつもより長く続くようなら、その日は日曜日ってことだ。

 

日曜日、パン屋さんなどを除くほぼ全てのお店は閉じられて、朝方の街はしーんと静まり返っている。

 

教会は、私の住んでいる家の周辺だけに限っても、少なくとも2つはある。街全体でいうと13くらいあった気がする。だから、この街にいる限り教会の鐘の音を聞かないことはない。

 

教会の鐘は、朝の9時ごろから夜の8時頃まで30分おきに鳴る。

だいたい「ゴーン」の一回で終わるけど、教会内で何かの催し物があるときはそうとも限らない。

 

ちなみにこの文章を書いている今現在も、教会の鐘がゴーンゴーンと鳴っております。あ、止んだ。あ、雨が降ってきた。窓を閉めなくては。

 

 

クリスマスなどの大切な行事が近づいてくると、教会で催し物が行われることも多い。そんなときふと目を向けると、入り口に行列ができていたりする。

 

きっとあの中で行われるのは、大切な人に向けた静かな祈りの時間。

 

 

 

教会とは違うけれど、日本の私の実家から歩いてすぐのところにはお寺がある。

 

そのお寺からもまた鐘の音が聞こえる。いつでも変わらない、ゴーンゴーンという静かな鐘の音を聞くのが好きだった。

 

ドイツの教会の鐘の音よりも少し低くて、長く余韻のある音。

 

 

休みの日に朝6時ごろに起きて窓を開けると、お寺から鐘の音が聞こえてきて、そういう日は「あ、今日は早起き出来たんだ~」と嬉しくなったりして。

 

そのお寺ではお正月の除夜の鐘から始まり、お彼岸、お十夜など毎月何かしらの行事が催されている。写経もできるし、精進料理もいただける。

 

お正月には多くの人が除夜の鐘をつきにやってきて、またお十夜では多くの屋台が立ち並ぶ。

 

お十夜が始まった日の夜の6時頃。

 

太陽が沈んで空が暗くなりはじめると屋台が次々に組み立てられていって、そうしているうちにどこからともなく近所の子どもたちがワイワイ賑やかにやって来る。

 

遊びに来るのは子どもたちだけではなくて、その家族や学校の先生も来る。浴衣姿のお姉さんたちも、いい感じの雰囲気のカップルも。

 

屋台はたこ焼き、お好み焼き、チョコバナナなどの定番メニューを売り出しているお店から数珠が並べられているお店、日本各地の郷土玩具を揃えたようなちょっと珍しいものまで様々。

 

つぎつぎ焼き上がるフランクフルトのジューシーな匂いに、昭和っぽいおもちゃの鉄砲撃ちに挑戦している男の子の歓声、混み合う屋台の中でカランカランとベルを鳴らして「おめでとうございます、チョコバナナもう一本当たりました~!」と叫ぶお兄さん。

 

どんどん盛り上がっていく。

 

ところで私の個人的なお気に入りのメニューはというと、イカ焼き。あのちょっと黒々とした肉厚イカに香ばしい匂いを放つお醤油がなんてマッチしていること!たまらないよね。お醤油が油断すると垂れるので、服を汚さないように注意が必要だ。

一パック500円くらいだったかな。

 

普段はたった500円でも本当に買って良いものかどうかずいぶん悩むのに、こういうお祭りの賑やかさのなかでは、ついお財布の紐も緩くなってしまう。

 

それからアツアツの大きくてしっかりとタコの入ったたこ焼きも好き。お祭りで買うと6つくらいしか入ってないけど一つ一つが大きくて、タコの他にも具材がみっちり詰められている完璧なたこ焼き。これも一パック500円くらいだ。

 

 

普段はほんとうに静かで、ただただ厳かで澄んだ「気」だけが存在しているような境内が、この時期だけはどこかからワアッと人が集まって来るから不思議だ。

この辺りってこんなに人が住んでいたんだ、と思ってしまう。

 

 

行事のないときにはお寺にやってくる人は多くなくて、たいていは気持ちよさそうに日向ぼっこしている猫しかいない。

 

時間が、ゆっくりと過ぎていく。

 

 

春。華やかに咲く桜の木の下には、いつものように気持ちよさそうに丸まって眠る猫たちの姿がある。

のんびりと寛ぐ猫たちを見ているととても穏やかな気持ちになる。

 

何でもないとき、ふだんのお寺で出会うのは、この猫たちの他にはお散歩中の犬とその飼い主さんくらいだ。猫はお寺に住みついているのだと思う。

 

私はお祭りをしているときの賑やかなお寺も好きだし、心が洗われるようなふだんの静けさも好き。

 

6歳の時にこの土地に引っ越してきて、18歳でドイツへ留学するまでの12年の間に、そのお寺は私にとっていつのまにか無くてはならない存在になっていた。

 

 

高校受験のときにはお守りを買いに行ったし、遠くに住む友達が遊びに来たときにはまるでお寺が自分の家であるかのように、境内を歩いて紹介してまわった。(笑)

 

お寺からは、すべてが浄化されるような清らかな「気」が感じられて、それが自分にも分け与えられるような感覚があり、それが私を癒し、安心させてくれた。

自宅から歩いてすぐのところにあるこじんまりしたそのお寺は、私にとってそういう存在だった。

 

 

今また教会の鐘がゴーンと短く鳴った。

 

日本からドイツにやってきて一年半。

 

ドイツの自分の家から歩いてすぐのところにある教会は、レンガ造りの、ステンドグラスが印象的な、いつも人の出入りが多いドーンとした大きな教会。

 

学校の合唱のコンサートの会場として使われることも多く、たぶんこの街の人から誇りに思われている教会。

 

これまであちこちで、何度もいろいろな教会に入ったことがある。とても大きくて立派な教会や、シンプルだけど清楚で落ち着いた佇まいの教会。

 

教会の中も、人を包み込むような温かい雰囲気があって気持ちが落ち着くから好き。

 

 

とはいえこの近所の教会にはまだ、なんとなく勇気が出なくて(入場料が2€かかるのもあるかも)入ったことがない。

 

いつか入ってみたいな。そこにもいつものように清らかで厳かで静かな空気が流れていると思うから。

B2受験とドイツへの旅立ち

ドイツ音大受験対策コース
ドイツ語A1~B2対策コース
ドイツ音大 ソルフェ対策コース

B1に合格して晴れてドイツ音大の入学条件をクリアした私。(多くの大学がB2を入学の条件にしているが、実際は入試の時点ではB1で通過、B2合格は入学後でよい場合もある。)

私の行きたかった大学は入試の時点でB1が必須、入学してから半年以内にB2に合格しなければ入学を取り消す、という決まりがあった。

それなら入学する時点でB2合格かそれに近い語学力がついていれば安心して留学生活をスタートできる、と考えて入試の後、さっそくB2の問題集を購入した。(ここまできて、語学のせいで半年後に退学になったらショックすぎる) 

 

買った練習問題集をパラパラとめくってみて思ったのは、 

B1も十分に難しかったけど、B2はそのもっとってこと。 

求められる語彙力はとても高く、なおかつある程度以上のドイツについての知識や自分の国についての意見持っていないと「話す」の試験には受からない。 

それに「読む」の試験では、短時間に必要最低限の情報だけを抜き取って問題を解くスピードも求められる。 

大量のテキストを読むことにも慣れていかなければいけないし、記事読んで目っているようでは受からない。実際私はこれをクリアすることが出来なくて、入学までに「読む」の試験には合格できなかった 

限られた時間のなかで全部をまんべんな勉強するのは難しく、4つのモジュールの中ではこの「読む」の勉強一番多くの時間を割いた 

 

その次、これまた難しい「聞く」の課題。 

最初の課題では、たったの1回きりしか話してくれない会話の内容を穴埋めしていかなければならない。これが本当に緊張する。 

聞き取る内容は、電話番号や何かの催し物の開催される場所、それを斡旋する団体の名前だったり人だったり、集合時間だったりと様々で、人の名前などの固有名詞が1課題につき2つくらいあるのも痛かった。 

例えばドイツ人にしてみればポピュラーかもしれない名前でも、日本人の私にしてみれば全然聞きなれない&未知の名前だったりする。これは聞き取れなくても仕方ないよね、と思う。 

だけど、たとえこの課題①の試験でうまく穴埋めができなくてもあきらめずにさっさと次の問題の準備に取り掛かる、というのがB2の「聞く」の試験に受かるコツかもしれない。  

ああなんで聞き取れなかたんだろう・・など一瞬でも考えていたらどんどん時間が過ぎて次の課題に移ってしまうので、そうなるくらいだったら課題①は放っておいてそこそこに点数の比率の高い課題かける時間を増やたほうがいい 

 

「書く」については、自分ではあまり対策をしなかった。B1とさほど変わらない気がしたし、何より自分には他に時間を割くべきもの(「聞く」と「読む」)があったから。  

このB2試験、もちろんB2レベルの語学力や知識が問われる試験ではあるけど、それと同じくらいにいかに「試験を要領よく解いていけるか」というのも非常に重要だと思った。  

結局のところ、ドイツへ渡航する前の段階では「話す」と「書く」の試験にしか合格できなかったのだけど、勉強して試験を受けておいた意義は十分にあったと思う。  

B1の時よりももっともっとドイツ語を勉強するようになったし、勉強の方法も自分なりに編み出せた気がするから。 

 

 

ところでB対策として週に1度カフェトークでドイツ人の先生と一緒に準備をしていったのだけど、これが「ドイツ語を話す」よい訓練になったと思う。  

先生はほかにも毎週プリントを3枚くらい宿題にして出してくださって、それらを解いていって文法をさらに詳しく学んだりした。「書く」の作文問題も添削していただいたりした。 

先生のレッスンはいつもすごーく楽しかった。とても優しくてお綺麗で、きちんとした真面目なお人柄で、だから画面越しだったけど毎週先生にお会いするのがとても楽しみだったB2の受験にあたって、この先生が私のドイツ語勉強のモチベーションを大いに上げてくださったのは言うまでもない。 

ドイツに渡ってからはレッスンを入れられずにいるけど、その節は本当にありがとうございました。 

 

 

ところでB2の試験対策に追われていたころ、私はにもいくつかこなさなければいけないものを抱えていた。   

高校の卒業試験と、ドイツへの渡航準備。自分たちのコンサートの開催、ピアノのコンクールへの参加。学校行事では卒業式があり、ついでに18歳になる自分の誕生日もその時期だった。   

ヴァイオリンに関しては、実を言うとこの頃は日によっては練習よりもドイツ語を勉強している時間の方が多いこともあったりして、多分自分としてはヴァイオリンよりもドイツ語の方が切羽詰まっている気持ちだったんだと思う。(勉強したいというよりも「絶対にやらねば!」という感じだった。) 

そうはいっても目前に迫る卒業試験、1番くじを弾いてしまった自分は一般公開で行われる卒業試験のトップバッターにふさわしい(?)演奏をしなければいけない。  

当時私が通っていた日本でもトップレベルの音高において実技のレベルが高いのは当たり前で、本当に飛びぬけて上手い人もぞろぞろいたその中でやっていだけ精神力を保つには実技のレベルを上げていくことしかなく、それとドイツ留学の準備(ドイツ語試験も含め)を両立させるのは簡単ではなかった。   

それと、渡航するにたって必要な書類の準備。 

各種証明書など大学に提出するものや、入国審査で必要なものなど必要な書類をリストアップして漏れがないかチェックして・・ 

受験の書類に何か漏れがあったら日本へ帰国しなければなくなるから、ピリピリした気持ちで準備をしていた。  

 

それと渡航の直前に自分たち(姉と私)コンサートも入っていて、その準備しなければならず、これも精神的に自分を焦らせていたものの一つだった。 

コンサートでは母や叔母、その他多くの方が受付や会場の準備、お客様の誘導などのコンサート開催に必要な作業すべて引き受けてくれていた。その手厚いサポートに感謝しつつも心の中では本番に向けて不安や焦りがあって。  

コンサートで弾く曲はもちろん完璧に弾き込み、曲と曲との間のトークもお客様にとって楽しく、かつ分かりやすいものを提供したいと思っていた。 

始まりのご挨拶や終わりの感謝のことば聞き取りやすい話し方や表情など、「コンサートに来て良かった」と思って頂けるように、今から考えておかなければならないことはたくさんあった。  

舞台に立つので、軽くダイエットもした。(私は食べることが大好きだから、こういう本番でもないとつい食べ物に手が伸びてしまう。ちなみに食べ物の中では、フルーツがとっても好き!)  

 

ドイツ渡航の1か月前に抱えていた本番としては、その他にもピアノコンクールへの出場があった  

当時音高で副科ピアノのレッスンをしてくださっていた先生から有難くも「一度ピアノのコンクールに出てみないか」というお誘いがあって受けることになったこのコンクール、出るからには良い結果を残したいという思いが強くあった   

副科の生徒である私に学校外での演奏機会を用意してくださった先生の期待にも応えたかったし、そういうわけでピアノの練習もやることリストに加えられた。 

このころ、高校生活の中で一番長くピアノを練習たと思う。自分はピアノも好きだなあと実感させてくれたコンクールだった。 

ピアノのコンクール

 

 そんなこんなで高校3年の2月3月のこの時期は、飛行機でドイツへ飛ぶまであと1か月というのに、真剣に打ち込まなければならない事を山ほど抱えており、だからこそ全てが終わった時には「やりきった」という充実感でいっぱいだった。 

ピアノのコンクールでは良い結果を残せたし、卒業試験でのトップバッターも乗り越え、ドイツ語のB2試験にも2つのモジュールに合格し、コンサートには思いがけなくとても多くのお客様が聴きに来てくださった。(本当に本当に嬉しかった。 

  

3月半ばには音高も卒業し、3年間通った往復5時間の旅とも別れを告げた。 

 

楽器を抱えながら乗り込むギュウギュウの車内、密着状態の人々の波に飲まれて満足に息もできずにじっと降りる駅が近づくのを待つしかないあの苦痛な満員電車さようなら。それに気づいた瞬間、心がふわーっと軽くなった気がした。 

 

次々に行事が終わり、去っていくのを実感しながらあとはいよいよドイツへ飛ぶだけとなった 

最初は何でも詰め込んでいたスーツケース。ドイツに持っていくにはすぎて手放さざるをえなかったものたち(冬服とか)と泣く泣くお別れしてちょっと痩せたスーツケースをゴロゴロ転がしながら、まだ明け方の人の少ない時間に空港へ向かった。 

 

そうし、私の新しい生活が始まった。 

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A2受験とB1に合格するまでの話

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A1に落ちたことを受け止めてから、まだ勉強を続けていた。 

そうして数か月経ったころ、今度はもう一つ上のレベルの試験に挑戦してみたくなった。 

 A2レベル。これに受かれば、 

 

  • 日常でよく使われる文や表現を理解し、使いこなすことができる 
  • 単純な、よくある状況でコミュニケーションでき、日常的になじみのあるテーマについて情報交換できる 
  • 簡単な言い方で、自分の出身地や学歴、身近な状況や必要なものについて説明することができることが証明でき 

 

ようになるらしい。(ゲーテの公式サイトより) 

そんな、英語でも全く到達していないレベルの試験を(A1に受かってもいないのに)いきなり受けて良いものだろうかという考えもちらっと浮かんだ。 

だけど、とりあえず受けてみてこの数か月の自分の勉強成果を見てみたいと思ったから、お申込みフォームのところへいって銀行振り込みの手続きを完了させるまでにそう時間はかからなかった。 

その後はテキストを買って試験の模擬問題を確認したり、ドイツ語をオンライン上で学べるサイトで文法を学んだり、ドイツ語の発音がまるで分からなかったのでスペルをタイピングして、その読み方をカタカナで書いていったり 

地道に勉強を進めた。 

 

だけどこの1回目のA2の試験、正直気合が足りていなかったと思う。ドイツ音大入学の直前、B2の受験日が目前に控えていたころの私のそばには常に単語帳や教本があって、時間を惜しんで本当に焦って勉強していたから、それに比べたらまだまだお気楽なものだった。 

なにせ、覚えようとしている単語量が合格ラインに全く見合っていない。それでよしとしてしまっていたのは、落ちても受かっても、何が起こるわけでもなくただ私の努力が結果に出るだけだったからかも。そのころの私には、留学直前だった姉と違って、ドイツ語試験に受からなければならない理由もなかった。

ドイツ語の勉強仲間はいたけれど(母と姉、そして公民館のドイツ語会話同好会の皆さん)気分は独学だった。実際のところ、私のドイツ語勉強は完全に自分のペースで進められていった。 

塾みたいなところに行かされて、先生から何日までにここまでやらないと落ちるよ、などと言われることもなく、だから毎日どれだけ勉強が進むかは自分次第だった。 

 

あ、これはバイオリンも同じ。結局、この「どうなるかはすべて自分次第」というのは楽器の練習と全く同じことだ。違ったのは、私のドイツ語勉強にはバイオリンみたいに毎週の恐怖のレッスンがないこと。 

 

もしレッスンがあると? 

 

それはもう誰にも何も言われなくても準備不足による恐ろしすぎるレッスンを迎えることだけは避けたいと思うようになる 

この日までにこの曲がここまで完成されていなければならないという使命があれば毎日のノルマも自然に出来上がってくる。 

このノルマを自分で設定して確実にそれをこなすというそれに向けての気合、やる気というものがこのドイツ語勉強に関してはこのころ、さっぱりなかった 

 

これが敗因か、結局1回目のA2(通算2回目のゲーテ試験)も不合格だった。それも100点中30点という、なかなか信じたくない酷い点数だった。 

胸がまたきゅーんとなった。自業自得だ。 

一体どれほどの勉強を自分に課すことが出来たのか?どれほど集中して取り組んだ 

反省することはたくさんあった。 

たくさんあったのだけど 

  

2か月後、この胸の痛みを抱えながらまたA2の試験にチャレンジした。4つのモジュールの点数を合計100点に換算した点数は、前回より20点上がって50点だった。Schreiben(書く)の点数が前回の10点から50点に上がっていたのは嬉しかった。 

 

だけど、結果はまた不合格 

 

ああ、いったいどうやってこの3回も不合格になったという事実向き合えばいいだろう? 

60点以上点を取らなければ、いつまでも自分は何の試験にも合格していない、ただのお金を無駄にするだけの人になってしまう。 

そんな気持ちが自分の心の奥に表れていたのに気づきながら、3月。16歳の誕生日を迎えた私はそれからしばらくして懲りずにまたゲーテの試験を、今度はB挑戦することにした。 

A2も受かっていないのにB1を受けることにしたのは、もうA2の試験問題集を解くのは嫌だという気持ちと、A2で50点取れてたのならB1も雲の上のレベルではないはず、と思ったから。 

それに3回も試験を受けているから、会場の雰囲気はもう十分に知り尽くしている。Sprechen(話す)の試験官の先生も、どの先生がきても全員一度は話したことのある先生だ。 

オンライン上でドイツ人の先生とドイツ語で会話できるレッスンも受け始め、以前よりドイツ語を話す機会も増えていた。 

覚えなければいけない単語の数も把握しているし、こなさなければいけない課題も一通り終わらせた。 

 

だけど 

 

B1の試験当日。 

試験慣れはしていたはずだったけど、と同時にどこか自分の心の中に「今回この試験を受けてもまた落ちるんじゃないか。」という気持ちが試験中もずっとあった。 

まただめになるんじゃないか。あ、今なんて言ったのか聞こえなかった、どうしよう、この問題取り損ねたかも。あれ、この課題では何点取ればいいんだったっけ。 

隣の人の、すごい勢いで問題を解いている音が耳に入る。いやな音だ。周りの人の答案用紙が裏返されていくのを自分の耳がキャッチしてしまう。つまり皆、もう後半の問題に取り掛かっているということだ。 

そして私は? 

まずい、時間がない。もうあと10分以内にこの作文の課題をすべて書き終えなければいけないだなんて、どうしよう! 

試験では始終焦っていた。 

「落ちる。落ちてしまう」という気持ちでいっぱいになってしまい、純粋に試験の問題と向き合えていなかったのかもしれない。 

 

結果、また合格できなかった。今回は「書く」の試験が79点で合格していたのが、ほかのモジュール(話す、聞く、読む)不合格通知を受け取った心のダメージをいくらか軽くしていた。(1モジュールずつバラバラに合格しても、4つ揃えばB1に合格となる。) 

でもまだこれからだ、だって全部合格してはいないのだから。 

 

次の試験どうしよう。受けるべきか、それとも 

 

あまり試験に落ち続けたので、これははたして受かることなどあるのだろうかと考え始めいた私にある日、「ドイツの大学見学しに行かないか」という何とも信じられないようなオファーがきた。(母と姉から。

姉は本物の音大受験のための渡航で、これを最後に当分は日本を離れてドイツで暮らすことになっていた 

えー、だってそんな、いや、私全然ドイツ語話せないし。英語だってソーリーしか言えないし。海外なんて、怖いよ。危ない。学校のオケも休まないといけなくなるし、レッスンだってあるのに。先生になんて言えばいいんだろう。 

いやでも、ドイツかせっかくドイツ語勉強してるしなあ。 

うーん。お姉ちゃんが行っちゃうなら、私もやっぱり行ってみたいような気がする。 

 

こんな調子で数日間、初めての海外・ドイツの旅に同行するかしないか迷っていたけど、そうこうしているうちに私も100パーセント行く方向に決定してしまい、気が付くと私は母と姉とともにドイツにあっさり着いてしまっていた。 

ところで私、どうしてこういう話が出る前からあんなに(義務でもないのに)本気で勉強していたんだろうか。 

まだ見知らぬ、でもその後出会うことになるドイツの先生とのレッスンに備えて?そんな考えはまだ浮かんでいなかった。 

初めてドイツ人教授のレッスンを受けるまでドイツの音大に入ろうなど考えていなかったのに、中学3年の終わり頃にはドイツ語の勉強を開始して、いつの間にか夢中になっていたのは謎だ。実に謎。 

だけど積み重ねてきたこの勉強のおかげで、いざドイツという国、言葉、文化実際に肌で感じてから抱いた憧れを、のちに音大入学という形で実現させることができた。 

 

もしそれまでののドイツ語勉強の時間がなかったら 

 

このドイツの旅のあとに語学の勉強を一から始めていたのでは、自分にもっとハードな勉強を課さなくてはいけないところだった 

もしくは勉強を始める前に、語学の壁の高さくじけてすべて諦めてしまっていたかもしれない。 

 

いくらでも甘くなれる自分に対して厳しい姿勢を貫くのは全然簡単じゃない。 

その点、それまで地道に勉強を続けてきた自分をちょっだけ褒めてあげたい。 

 

それでドイツの空港に着いたときに戻る。飛行機を降りた瞬間に、「あ、匂いが違う。ここはもはや日本ではない」と感じた。もう戻れない、と。(実際には10日間くらいで日本に戻ったのだけど。)  

日本人女性の平均身長を下回る私より背の低い人なんてそれこそ子どもしかいなかったし、空港に着いてしまってからは未知の土地に降り立ってしまったという恐怖と不安でいっぱいだった。 

空港にあったスタバで紅茶を注文したけど、「小さいサイズ」を何というのか、実際にドイツ人の店員さんを前にするとまるで言葉が出てこなくなる。 

使う言葉が違うってこういうことかとその時ちょっと実感した。 

そして待ち受けていた例の苦行のソルフェージュ講習。この講習を受けてみて、もう圧倒的な敗北感というか、そこでようやく初めて完全に自分のドイツ語力のレベルの低さを全身で体感した。スタバの紅茶の注文どころではない。 

 

なんという貴重な機会、もしこのとき母や姉と一緒に来ていなかったら永遠に自分の本当のドイツ語力を知ることができないままでいただろう。 

この時、講習だけでなく大学の教授の実技レッスンも受けることができた。初めての外国人の先生とのレッスン、緊張して緊張してレッスンの間ずっとドッキドキだったけれど、先生がとても温かく迎えてくださったことが忘れられない。(このときの記事: 先生との出会い1 )

色々体験してみて1週間たった時、自然に「高校卒業したらここで学びたい」と思った。  

そのためにはまずもっと語学力がなければいけない。 

 

帰国してからすぐに次のB1の試験の申込みをして、それから試験日まで、今までになく本気で勉強した。 

ドイツ語勉強に使える時間はどこにある、と探すまでもなく、そのことは自分でも分かっていた。 

長い通学時間-自宅から高校までの往復5時間の旅を有効活用すること。それしかない。そうしないと試験には受からない 

眠い時は電車の中でほとんど眠りながらドイツ語の単語アプリで延々と単語を聞いて、バスの待ち時間、電車のホームで並んでいる、学校の授業と授業の合間の休み時間。隙間の時間は全部ドイツ語の勉強に費やした。 

 

そうして迎えたB1の試験でようやく初めて4モジュール揃って合格することができた。  

涙が出そうだった。実際出てたかも。それまで試験に落ちすぎて精神的なダメージは相当なものだったし、自分の勉強方法が正しいのかもよく分からなかった。 

このときは試験会場に着いたときに「たくさん勉強したんだから落ちても悔いはない」と思えるくらいには自信があり、だから今回の試験は大丈夫だって思いながら試験を受けられたことが嬉しかった。 

ドイツ語を勉強し始めてから1年半が経っていた。 高校2年生の夏。

B2受験 につづく

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ドイツ音大 ソルフェ対策コース

一番初めにドイツ語の単語を覚えたのは多分小学3年生くらいの時、社会の授業が学校で始まったころに世界地図が配られたときだった。 

 

真新しい世界地図の本が一人ずつに配られて行って、私のところにも順番が回ってきた。 

表紙は緑で、大きく描かれた地球儀からいろんな人や雲、建物とかがびよーんって飛び出しているデザイン 

 始めのページをぱらぱらとめくっていくと、そこにはいろんな国の「こんにちは」が世界地図とともに載せられていた。 

 そこでふと、ドイツ語の”Hallo”が目に留まった。 

英語圏は”Hello”なのにドイツでは”Hallo”なんだ、1文字だけ違うなーと。 

 

ところで、世界地図は(地図読めないのに)割と私のお気に入りだった気がする。 

 

いろんな国の民族衣装や文化、言葉などが写真やイラストとともに紹介されていて、当時の私の好奇心を刺激するには十分なアイテムだった。 

その時は、まさか9年後に自分がドイツの大学に入学することになるなんて全く思ってなかったど。 

  

月日は流れて、4年後。私は中学3年生になった。姉は高校2年生(音高ピアノ科)、第二外国語の授業を受けられる学年だ。それで姉はドイツ語を選択したらしく、そういうわけで家には自然とドイツ語の教科書がいつもピアノの上あたりに置かれるようになった。 

 まあ何となく想像がつくかもしれないけど、いつもいつも姉の持ってるものや取り組んでいることに興味津々な私が、その新しいドイツ語の教科書に対して興味が湧かないはずがなかった。 

  

ドイツ語の授業の様子― 何が難しいだの、そもそもドイツ語がどんな言語なのか、先生はどんな感じの先生なのか、とかいろいろ姉から聞かされているうちに私も高校に入ったら第二外国語はドイツ語を選択したい!という気持ちが膨らんだ。 

 

(もちろん、高校は姉と同じところに行く気満々。結局私は保育園から大学、(ひょっとしたら大学院も!?)まで姉とずっと同じ学校に通っている。) 

 

そのうち、高校2年生にならないうち、ひと足早くドイツ語の勉強をしてみたいと思うようになった。 

語学の勉強が大変だっていう自覚はその時はあまりなかったし、どんな言葉なのかという興味の方が強くて、ぼちぼち姉の教科書を眺めたり、スケジュール帳の後ろについてる海外の数字の言い方コーナーのドイツ語のところをみたりしていったのが、その後長―く続くことになるドイツ語との馴れ初め。 

  

以前記事でご紹介した通りそうしているうちに姉がもしかしたらドイツの音大を受験することになるかも?という話があがった。留学したいのならもっとドイツ語の勉強をするべし、そうと決まれば近所にドイツ語愛好会というサークルみたいなのがあるからそこに通おう!ということが決定。 

 

姉一人行くのもなんだから、私もついでに行ってみたら?ということで、特に反対する理由も持たずにドイツ語愛好会に参加。季節は1月、私は音高受験を間近に控えていた。 

 

入会したときは自分の名前もスラスラ言えない状態だったのにドイツ語愛好会の皆さんは本当に暖かく迎えてくださって、だから特に自分のドイツ語レベルに気兼ねすることなくマイペースに勉強を進めていこうと思えた。 

  

2月。音高受験(バイオリン)に無事に合格し、4月、晴れて花の女子高生に。(まあ実際には初めて高校まで行って帰ってきた時、家から学校までの往復5時間という長い通学時間に、これからの3年間の高校生活を想像して少しばかり自分に憐みの目を向けていたのだけど。) 

 

そうして数か月たったころ、姉がゲーテインスティテュートのドイツ語試験を受けることに。せっかくドイツ語を勉強しているわけだし、私も受けてみたいな、と思ってA1(一番下のレベル)を受験することにした。 

 

A1のための試験本を買い、単語を覚えて、「れくらい出来てたらきっと受かるよ!」なーんていう優しい母の言葉を信じて本気の試験対策をすることなく試験日を迎えた。(自分に対していつものことながら甘い!) 

姉はA2(一つ上のレベル)を受けるというので、滅多にないことに一人でのお出かけ。 

教本を持って、青山一丁目駅を降りて何分か歩いたのちに無事に会場に到着した。 

 

ところが、この会場の冷たい静まり返った空気は何? 

 

高校1年になったばかりの子供みたいな私が、大した覚悟もなくぽわーんとやってきて良い場所じゃなかった、ということにその時やっと気が付いた。学生証を手に受付に並んだものの、こんなところに来るべきじゃなかった・・という気持ちが隠せない。 

 

受付のドイツ人のお姉さんから年齢を聞かれ「15歳です」と答えると、笑われた。 なぜ?

「そんなに若いなんて!」と言う言葉が聞き取れたので、私が子供なので可笑しかったのかなと思う言われてみれば、周りにいる人はみんな大人だった。 

 

スタンプの押された受験票を手に握りしめて、おずおずと受験会場の席に着く。 

試験開始の時間になったころ、担当の人がやってきて試験を受ける際の説明を日本語でしてくれた。(これが、A2かB1となるともう全てドイツ語での説明となる。) 

 

青または黒のボールペンしか使えないこと、間違えた解答は塗りつぶして正しいと思う回答に×印をつけること、それも違うと思ったらそれもまた塗りつぶして違う回答に×印をつけること、など。 

  

全部で3時間くらいあったのかな、記述試験がすべて終わったころには私の頭はすっかり疲弊していた。でも、まだ口頭試験がある。 

  

口頭試験、それは私が一番恐れていたもので、実際にこのA1の試験結果は口頭試験のおかげで不合格になってしまったのだった。 

  

口頭試験では、2人のドイツ人の試験官の方が受験者に色々質問をしたり、受験者同士があるテーマに沿ってドイツ語で会話をしたりしながら進められていく。 

 

この時の受験者は私と、もう2人大学生っぽい若めの男の人がいた。試験官の方が2人で、全部で5人が同じ部屋に集まる。 

 

 始めに自分の名前を聞かれてそれに答えた。次にあなたの名前はアルファベットでは何と綴るのですか、と聞かれたからそれにも答えた。そんな軽い自己紹介の後で、何枚かカードが配られて、カードに描かれた絵を使ってほかの受験者の方に質問をしたり、またその反対に質問に答えたりするという課題が始まった。 

私はこの試験のために数多くの単語を覚えていったわけではなかったから、知らない単語ばかり出てきてとても焦った。当たり前だ、試験にはちゃんと準備した人しか合格できない。 

口頭試験で一緒になったその若い男性2人がどうやら同じ大学に通っていて気心知れたでありそうだったも、試験で緊張した理由の一つだったかもしれない。 

 

質問するのも答えるのも彼らは楽しそうにしているのに、私は一人だ。と思うと胸がキューっなった。今だったらたくさんの質問を考えて、投げかけられた質問にも答えられるのに。 

こうしてA1試験が終わった。私がいただいた結果通知に書かれていた文字は・・ 

 

惜しい不合格合格ラインの60点まであと3点足りなかった。 

 

あまり勉強しなかったのだから逆にあと3点で合格だったのは驚きだ、とか、もうちょっと勉強するべきだったとか、ドイツ人の試験官の方がなんて言ってるのか正直ほとんど分からなかったとか、あの2人組はきっと合格しただろうな・・とか、不合格通知を見つめながら色々な思考が頭の中に浮かんでは消えていく。 

 

と同時に他の人はあんなにスラスラ話せてすごいな、私ももっと勉強すればあんなに話せるようになるのかな、とか本当のドイツ語の発音ってかっこいいなーとか、今度は合格してみたい!というドイツ語を操れるようになることへの憧れの気持ちが生まれた。 

 

こののち、B2に合格するまで、残り約2.5年。 

 

その間に受験した試験の数は多分8回、不合格だったのはそのうち6回。めげずに何度も頑張った。 

ゲーテの東京会場には何度も足を運んだから、何年か経った今でも・・方向音痴な私でも、地図なしですいすい会場まで行けるはずだ。それくらい、ドイツに留学するまでにたくさん訪れた思い出深い場所。 

多分また行くことになるよね、C1受験するときに。C1、来年の春に取りたい。きっととても難しいに違いないけど・・。 

 

A2受験とB1に合格するまで、に続く。