ドイツ語との馴れ初めとA1受験までの話

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一番初めにドイツ語の単語を覚えたのは多分小学3年生くらいの時、社会の授業が学校で始まったころに世界地図が配られたときだった。 

 

真新しい世界地図の本が一人ずつに配られて行って、私のところにも順番が回ってきた。 

表紙は緑で、大きく描かれた地球儀からいろんな人や雲、建物とかがびよーんって飛び出しているデザイン 

 始めのページをぱらぱらとめくっていくと、そこにはいろんな国の「こんにちは」が世界地図とともに載せられていた。 

 そこでふと、ドイツ語の”Hallo”が目に留まった。 

英語圏は”Hello”なのにドイツでは”Hallo”なんだ、1文字だけ違うなーと。 

 

ところで、世界地図は(地図読めないのに)割と私のお気に入りだった気がする。 

 

いろんな国の民族衣装や文化、言葉などが写真やイラストとともに紹介されていて、当時の私の好奇心を刺激するには十分なアイテムだった。 

その時は、まさか9年後に自分がドイツの大学に入学することになるなんて全く思ってなかったど。 

  

月日は流れて、4年後。私は中学3年生になった。姉は高校2年生(音高ピアノ科)、第二外国語の授業を受けられる学年だ。それで姉はドイツ語を選択したらしく、そういうわけで家には自然とドイツ語の教科書がいつもピアノの上あたりに置かれるようになった。 

 まあ何となく想像がつくかもしれないけど、いつもいつも姉の持ってるものや取り組んでいることに興味津々な私が、その新しいドイツ語の教科書に対して興味が湧かないはずがなかった。 

  

ドイツ語の授業の様子― 何が難しいだの、そもそもドイツ語がどんな言語なのか、先生はどんな感じの先生なのか、とかいろいろ姉から聞かされているうちに私も高校に入ったら第二外国語はドイツ語を選択したい!という気持ちが膨らんだ。 

 

(もちろん、高校は姉と同じところに行く気満々。結局私は保育園から大学、(ひょっとしたら大学院も!?)まで姉とずっと同じ学校に通っている。) 

 

そのうち、高校2年生にならないうち、ひと足早くドイツ語の勉強をしてみたいと思うようになった。 

語学の勉強が大変だっていう自覚はその時はあまりなかったし、どんな言葉なのかという興味の方が強くて、ぼちぼち姉の教科書を眺めたり、スケジュール帳の後ろについてる海外の数字の言い方コーナーのドイツ語のところをみたりしていったのが、その後長―く続くことになるドイツ語との馴れ初め。 

  

以前記事でご紹介した通りそうしているうちに姉がもしかしたらドイツの音大を受験することになるかも?という話があがった。留学したいのならもっとドイツ語の勉強をするべし、そうと決まれば近所にドイツ語愛好会というサークルみたいなのがあるからそこに通おう!ということが決定。 

 

姉一人行くのもなんだから、私もついでに行ってみたら?ということで、特に反対する理由も持たずにドイツ語愛好会に参加。季節は1月、私は音高受験を間近に控えていた。 

 

入会したときは自分の名前もスラスラ言えない状態だったのにドイツ語愛好会の皆さんは本当に暖かく迎えてくださって、だから特に自分のドイツ語レベルに気兼ねすることなくマイペースに勉強を進めていこうと思えた。 

  

2月。音高受験(バイオリン)に無事に合格し、4月、晴れて花の女子高生に。(まあ実際には初めて高校まで行って帰ってきた時、家から学校までの往復5時間という長い通学時間に、これからの3年間の高校生活を想像して少しばかり自分に憐みの目を向けていたのだけど。) 

 

そうして数か月たったころ、姉がゲーテインスティテュートのドイツ語試験を受けることに。せっかくドイツ語を勉強しているわけだし、私も受けてみたいな、と思ってA1(一番下のレベル)を受験することにした。 

 

A1のための試験本を買い、単語を覚えて、「れくらい出来てたらきっと受かるよ!」なーんていう優しい母の言葉を信じて本気の試験対策をすることなく試験日を迎えた。(自分に対していつものことながら甘い!) 

姉はA2(一つ上のレベル)を受けるというので、滅多にないことに一人でのお出かけ。 

教本を持って、青山一丁目駅を降りて何分か歩いたのちに無事に会場に到着した。 

 

ところが、この会場の冷たい静まり返った空気は何? 

 

高校1年になったばかりの子供みたいな私が、大した覚悟もなくぽわーんとやってきて良い場所じゃなかった、ということにその時やっと気が付いた。学生証を手に受付に並んだものの、こんなところに来るべきじゃなかった・・という気持ちが隠せない。 

 

受付のドイツ人のお姉さんから年齢を聞かれ「15歳です」と答えると、笑われた。 なぜ?

「そんなに若いなんて!」と言う言葉が聞き取れたので、私が子供なので可笑しかったのかなと思う言われてみれば、周りにいる人はみんな大人だった。 

 

スタンプの押された受験票を手に握りしめて、おずおずと受験会場の席に着く。 

試験開始の時間になったころ、担当の人がやってきて試験を受ける際の説明を日本語でしてくれた。(これが、A2かB1となるともう全てドイツ語での説明となる。) 

 

青または黒のボールペンしか使えないこと、間違えた解答は塗りつぶして正しいと思う回答に×印をつけること、それも違うと思ったらそれもまた塗りつぶして違う回答に×印をつけること、など。 

  

全部で3時間くらいあったのかな、記述試験がすべて終わったころには私の頭はすっかり疲弊していた。でも、まだ口頭試験がある。 

  

口頭試験、それは私が一番恐れていたもので、実際にこのA1の試験結果は口頭試験のおかげで不合格になってしまったのだった。 

  

口頭試験では、2人のドイツ人の試験官の方が受験者に色々質問をしたり、受験者同士があるテーマに沿ってドイツ語で会話をしたりしながら進められていく。 

 

この時の受験者は私と、もう2人大学生っぽい若めの男の人がいた。試験官の方が2人で、全部で5人が同じ部屋に集まる。 

 

 始めに自分の名前を聞かれてそれに答えた。次にあなたの名前はアルファベットでは何と綴るのですか、と聞かれたからそれにも答えた。そんな軽い自己紹介の後で、何枚かカードが配られて、カードに描かれた絵を使ってほかの受験者の方に質問をしたり、またその反対に質問に答えたりするという課題が始まった。 

私はこの試験のために数多くの単語を覚えていったわけではなかったから、知らない単語ばかり出てきてとても焦った。当たり前だ、試験にはちゃんと準備した人しか合格できない。 

口頭試験で一緒になったその若い男性2人がどうやら同じ大学に通っていて気心知れたでありそうだったも、試験で緊張した理由の一つだったかもしれない。 

 

質問するのも答えるのも彼らは楽しそうにしているのに、私は一人だ。と思うと胸がキューっなった。今だったらたくさんの質問を考えて、投げかけられた質問にも答えられるのに。 

こうしてA1試験が終わった。私がいただいた結果通知に書かれていた文字は・・ 

 

惜しい不合格合格ラインの60点まであと3点足りなかった。 

 

あまり勉強しなかったのだから逆にあと3点で合格だったのは驚きだ、とか、もうちょっと勉強するべきだったとか、ドイツ人の試験官の方がなんて言ってるのか正直ほとんど分からなかったとか、あの2人組はきっと合格しただろうな・・とか、不合格通知を見つめながら色々な思考が頭の中に浮かんでは消えていく。 

 

と同時に他の人はあんなにスラスラ話せてすごいな、私ももっと勉強すればあんなに話せるようになるのかな、とか本当のドイツ語の発音ってかっこいいなーとか、今度は合格してみたい!というドイツ語を操れるようになることへの憧れの気持ちが生まれた。 

 

こののち、B2に合格するまで、残り約2.5年。 

 

その間に受験した試験の数は多分8回、不合格だったのはそのうち6回。めげずに何度も頑張った。 

ゲーテの東京会場には何度も足を運んだから、何年か経った今でも・・方向音痴な私でも、地図なしですいすい会場まで行けるはずだ。それくらい、ドイツに留学するまでにたくさん訪れた思い出深い場所。 

多分また行くことになるよね、C1受験するときに。C1、来年の春に取りたい。きっととても難しいに違いないけど・・。 

 

A2受験とB1に合格するまで、に続く。