大学で初めてKlausur(試験)を受けた時のこと

入学した年の10月。季節もいよいよ秋になり2ゼメスター目(2学期目)に入った私が取らなければいけなくなった授業の中には「(音楽)教育学」「(音楽)心理学」という2つの授業があった。 

 

姉から「おじいちゃん先生だから話がちょっと聞き取りにくいよ」というのは聞いていたけど、実際に受けてみると全くその通りだった。しかも、いまいち何を言っているのか分からないモゴモゴ具合なのに加えて話すスピードもとても速い。 

 

ひたすら先生が90分間講義をするのだけど、うっかりしていると追いつけなさ過ぎて頭がぐらぐらしてくる。例えば、ちょっと「今の単語何だったんだろう」とか思ってスマホで調べているうちに、あっという間にビューっと授業が進んでいってしまう。 

 

初めのうちは分からない単語が続出で、授業が終わると毎回その日持ち合わせていた頭の中の糖分をすべて持っていかれたような状態になっていた。そのうち毎回出てくる常連の単語というのが自分でも分かってくると、少しは内容を理解できるようになったけれど、それでも多分7.8割も理解できていたかは自信がない。 

 

取っていた2つの授業のうちの1つが、ドイツ人の割合が圧倒的に多かったのも授業の難易度を圧倒的に上げていた原因だったかもしれない。 

 

ドイツ人の学生たちによる超・本気モードのディスカッションが私を挟んで両隣で繰り広げられていたときなど、はたして自分がどうしていいのか分からない場面に遭遇することも多かった。 

  

もしくは今先生と目が合ったな、と思った瞬間に 

「Frau ○○(○○(私の名前)さん)、これについてのあなたの意見はどうですか?」 

と急に質問を投げかけられる時など。 

「え、私ですか?」「はい、どうぞ」 

 

それまで何やらざわざわしていた教室内が一瞬で静まって、みんなの視線がすーっとこちらに向けられた時のあの恐怖感。 

そういう時に便利な言葉として「それについては色々な意見があると思いますが、どれも的を得ていると思います」とか「個人的に私は○○さんの意見に賛成です」とかなんとか言えたらいいものの、急に先生に当てられるとびっくりしてしまって言葉が全く出てこなくなる。 

そういう時になんて言って切り抜けていたのかはもう忘れてしまったけれど、とにかく血の気が引く瞬間だったことは確か。 

 

それにしてもドイツの学生たちは誰かと意見交換をすることに対して全く緊張感を持っていないみたいだった。意見交換の相手が先生であれ、臆することなく自分の意見を堂々と述べる。 

 

先生も生徒の意見に真摯に向き合うし、そこに「先生だから偉いんだ」「学生は先生の意見に従わなければいけない」とかいう堅苦しいものはない 

それが、生徒たちが自分の意見を述べやすい雰囲気を作り出しているんだろうなーと思った。 

 

あと周りの人も誰かが何かに対しての意見を言ったことに対して「えー、あの人意見なんて言っちゃってるよ、真面目だわ~」(ネガティブな意味で皮肉っぽく褒める)みたいなことを言わないし、そういう空気も出さない。 ポンポンと意見交換が進んでいく。(それもちゃんと、その授業に合った真面目な内容の会話が。) 

 

この雰囲気は私が日本で過ごしていた小中学生時代には、体験することのないものだった。 

私が通っていた学校では授業に真面目に取り組む人は何やら煙たがれる対象のような扱いで、だから生徒は「いつも先生と交流を深くもって、非常に発言を多くする人」か、「授業には特に興味がないので進んで参加しようとも思わない人」の2パターンに別れていた気がする。 

 

専門的な知識を持つことに対して貪欲で、それをさらに伸ばすことを良しとしていた音高ではその限りではなかったけれど、(中学校のときよりは発言に対する壁が低くなってたと思う。)それでも例えばこんな雰囲気はあった 

普段発言しない人がいて、そのような人が珍しく何かを発言したとき。

 周りの反応は、

「あれ、ほーう、ふーん、○○さんそんなこと言うんだ 

そういう何か含んだ感じの、ちょっとだけ冷たい何かがあるような感じだった。 

こういう雰囲気は一体どこから来るのだろう。何年も前からあるもので、これからも変わることのないであろう、染みついてしまったものなのかと思う 

先生側と生徒側そして生徒側の中でも個人個人がお互い意識して歩み寄ろうとしない限り無くなることのない壁根深く存在しているのを感じる。 

 

 

そしてここドイツでは 

 

2ゼメスター目で私が取った授業中の先生は、確かに学生たちに何かを教える立場ではあるものの、個人としての立場は学生たちと変わらず、ただ学生が自分たちの考えをうまく引き出せるようなサポートに回っている感じだった。 

先生が主体ではなくて、学生たちが主体というか。それが私が通っていた学校との違いなのかな。 

まあ授業に参加できるかどうかは、授業内容を完全に把握できるだけの語学力を持っているかよるのだど。 

私の方はというと、ドイツ人学生たちの発言やプチ講義みたいなのに支えられて授業がスイスイ進んでいくのに胡坐をかいて、いまいち授業内容が完全に理解できないまま時間だけが過ぎていった。 

そしてとうとう年が明けてしまった。 

 

1月頭、最初の授業で先生から試験についてのお話がった。 

1月の終わりに試験がある試験は今までの授業で出てきたことから出るから、これまでの授業内容をよく復習しておくように、とのこと。 

えー、まいったまいった。どうしよう、落ちたら次のゼメスターでもまたこのおじいちゃん先生の講義をとらないといけなくなる。そしたら、今までに受けた授業分の時間がパーだ。 

 

私が講じた授業に対する置いてけぼりにされないための対策としては、とりあえず授業中に出てきた分からない単語たちを書き出して、それらの単語の意味を調べる。 

あとは、先生が授業中に話していた重要そうなことを忘れないように紙に書く、くらいのことだった。 

 

先生の講義は、一回の授業につき多いと5枚くらいのびっちりと難しい心理学用語なんかが詰まったドイツ語で書かれたプリントを渡されるところからスタートする。 

それ10-15分くらいでざーっと読んで要点をかいつまんだところで自分なりの意見を他の人との意見交換を交えながら見つけていく。 

 

たいてい4人ずつくらいのグループになって(この講義には25人くらい参加者がいた。)それぞれのグループから出た意見を一人の人がまとめて発表するのだけど、油断していると先生から発表した人以外にも質問が飛んできたりするから要注意。  

そんなこんなでその日のテーマについて十分な意見交換がされた上で、そのトピックスにまつわる動画を見たりして、先生からそれについての説明などが加えられていく。 

それでまた学生側がそれについて意見を述べたり。。の繰り返し。 

意見交換の場が多いのはいいと思うけど、正直ドイツ語が外国語である外国人にとってはかなり苦痛授業スタイル。 

何しろ内容が理解できていないと手も足も出ないから。 

かといって授業中ずーっと無言で透明人間のようにして座っているのも「授業に対する参加意欲がない」と思われてしまうからよろしくない。 

だから、1月末に行われる試験は外国人である私たちが唯一「普段先生のお話をよおく聞いておりまする」ということをアピールできる機会でもあった。 

  

逆に言うと、この試験で点数が取れないと本当にお手上げ。 

授業の単位は試験の点数と、(6割取れていたら合格)任意でみんなの前で何かしらのテーマについて発表する発表課題によって取れるのだけど、みんなの前で発表するのはドイツ語を母国語に持たない私たちにとってはハードルが高すぎるので、試験を頑張るしかなかった。 

ちなみにドイツ人の学生たちは全員この発表課題をこなしていた。これに取り組めばテストの点数が自動的に30点追加される仕組みだったから、もし私がドイツ人だったら多分自分も取り組んでいたと思う。試験の点数30点アップは大きいもの。 

まあ、結局発表はやめたのだけど。。 

 

そういうわけで試験の日程も決まり、困った時の強力な助っ人の姉から試験の過去問を貰い、あとは勉強するのみとなった。 

 

ところがどっこい試験日がだんだんと迫ってきているのにいつまで経っても試験勉強のやる気が全然でない。。 

 

理由は多分、今までの授業内容を6割程度しか理解できていなかった自分の語学力に絶望していたのと、そんな自分が試験を受けても合格なんてできるだろうかという気持ちが消えなかったからだと思う。 

 

それに今までの授業で配られたプリントの束(多分全部で200枚以上あった。)を前に、姉からの過去問があるとはいってもどうしていいのか分からなかったから。 

正直すごく試験を受けることに対してストレスを抱えていた。 

 

私は取り組まなければいけない現実から全力で逃げる傾向にあるのだけど、この時も例に漏れず、常に頭の中は試験のことでいっぱいなものの、試験勉強を始められないでいた。 

 

そうこうしているうちに、気が付いたら試験までなんと日間しかない。しかも3日前と言ってもこの日はもう太陽が沈みかけていたから、試験まで実質2.5日間しかなかった。 

 

これはさすがにマズイと思った。ものすごく気分が乗らないけど、試験勉強を始めることにした。 

まずは、先生の作っているホームページ上に載っている、授業内では配られなかった、でも授業に関する重要なことが沢山載っている資料をプリンターで印刷するところから。 

それらの資料が印刷されている間に、試験まで自分がどのくらいのペースで勉強していけば間に合うのかを考えた。  

目を通さなければいけないプリント数は全部で200ページ以上。残された試験勉強に使える時間は約2.5日間。 

寝る時間や食事にかかる時間以外をすべて試験勉強に費やすことにして、1時間につき何ページ進めていけばいいのかを計算した。 

 

さらに、1ページごとに使える勉強時間を計算してそれをスマホのタイマーで設定して、常にそのタイマーが鳴るまでにページを進めていくことにした。 

 

手元にはスマホのタイマーと、重要そうなことに印をつけるためのラインマーカー、リラックスして勉強に取り組むためのハーブティー。 

 

勉強にかかる時間を計算していったら、試験を受けたくないと嘆いている時間は1秒もなさそうだったので、ひたすらページを進めることだけを考えた。 

 

教会の鐘がゴーンゴーンと鳴って、時間がどんどん過ぎていく。だんだんと空が暗くなってくる。 

どうして自分はいつもスタートを切るのがこんなに遅いんだろうと思ったけど、そんなことを悠長に考えている暇なかった。 

 

ところで、目を通さなければいけないプリント数が200ページにもなった理由としては、私がその学期で度に2つの授業を取っていたためである。 

 

学生1人1人に配られる「学生ブック(そこに、自分が取らなければいけない授業やその授業で取れる単位数、先生からサインをいただくページなどが綴じてある。)には、1ゼメスター目では音楽心理学と教育心理学を、(心理学系)2ゼメスター目では一般教授法(どうやったらうまく人に何かを教えられるか、というもの)と音楽教育学(教育学系)を取るように書いてあった。 

 

全部で4つの授業があるのだけど、試験ではそれぞれ「教育学系の試験」と「心理学系の試験」にまとめられるから、受ける試験数としては2つだけということだった。) 

 

ところが私は入学した時点ではドイツ語がB1しかとれていなかったために、一般授業を取ることができなかった。つまり、他の普通の人よりも1ゼメスター分遅れを取っていた。 

 

まあ、どういう組み合わせで授業をとるかは人それぞれ 

例えば卒業間近の8ゼメスター目ではあまり授業を取りなくないからそれまでにできるだけ単位を取っておこうとか、自分はこの学生ブック通りにマイペースに進めていこう、とか。 

この2ゼメスター目で遅れた分を取り戻してもいいし、取らなくても良かったのだけど、私はここで一気2つの試験を受けて他の皆と同じラインに追いついておきたかった。 

それが、試験2.5日前になってようやく試験勉強を始めた私の首を絞めていた。 

 

もう、すべて自業自得。。 

幸い試験日前後の体のコンディションはばっちりで頭も冴えていたので、一日に17-18時間勉強するのを2日続け、試験日の朝大学に着いてから先生が試験問題集を持ってやってくるまで勉強を続けた。 

 

そうして試験が終わって、結果が返ってきた。 

 

音楽心理学と教育心理学の方は65点で何とか合格だった。教授法の試験も、心理学よりは取り組みやすいものだったので、他の多くの人と同様に1.0(5段階で一番上の評価)で合格を貰えた。 

 

 

試験が終わったあとの私の頭はほとほと疲れていて、試験問題を解き終わった後に「次に試験を受けるときは絶対にもっと早くから取り組もう」と思った。  

 

そうしてやっと、年明けからずっとストレスの原因だった2つのKlausur(単位取得のために必須の大きな試験)から解放されたのだった。 

 

思えば、中学校の期末試験などの対策もいつもこんな感じだったから、現実逃避をする癖はあの時から全く変わっていないんだなあ。。 

 

ただ、これまでのドイツ語の試験勉強のおかげで大きな試験を前にした勉強時間の配分と自分への精神的な追い込みだけはレベルアップした気がする。 

 

だけど、やっぱり準備は早くから始めるに越したことはないのだ思い知らされ試験だった。