ヴァイオリンを選んだときのこと 

 

保育園に通っていたころから、家の中で誰かが何かを演奏していること日常生活の一部だった。音が聞こえてこない日などなかった。 

 

母はウクレレやピアノを時々弾いて、それ以外はもっぱら姉がピアノだったりヴァイオリンだったりを演奏していた 

 

私もそれに乗っかって一緒に合奏したかったけど、幼いながらに感じ取った「生半可な気持ちでは触れていけない大切なモノ」とどう向き合っていいのか分からず、大抵の場合は保育園で習った歌を家族の前で披露するにとどまるのだった。 

 

楽しそうに練習する姉が心底羨ましかった。(実際レッスンがハードで大変だったと思うけれど。ふふ) 

 

姉が持っていた姉だけのその大切なモノがもし自分にも与えられたら、なんてドキドキするだろう。それがあったら、私の感じていることや思いを自分でも表現できるかもしれない。 

まだ4歳くらいだったと思うけど、その時すでに少しずつ自分の中で「自分だけの楽器が欲しい」という気持ちが沸き上がっていた。 

 

そんなある日姉が母とワンサイズ上の楽器(ヴァイオリン)を選びに行くことになった。  

姉は体が大きくなって今の楽器のサイズでは合わなくなったらしい。そんな事情は全く知らずに、とりあえず私もその楽器屋さんへ一緒に付いていくことになった。 

よく晴れた、暖かい日だった気がする。ぽかぽかとしたお散歩日和。 

ある大きな表通りをしばらく歩いているとあるお店で母と姉が立ち止まった。私も立ち止まった。 

店に入っていくと、奥のほうのショーウインドーの中に、ニスがたっぷりと塗られた光沢のある楽器が並んでいるのが目に入った。様々なサイズのヴァイオリンを扱う楽器店だったのだ。

もうすでに長い距離を歩いており、疲れていた。ただ歩いているだけで不機嫌になってくるといういつもの謎のご機嫌斜めモードに入りつつあった私。その時ふとある一つの楽器に私の目が釘付けになった。 

それは、赤ちゃんみたいに本当に本当に小さな子ども用ヴァイオリンだった。 

 

遠くで母と姉が何かを話しているのが聞こえた。 

私はそんな話など全く耳に入らずに、ただ目の前に飾られているそのきらりと光るヴァイオリンに夢中になっていた。 

 

なんて綺麗で、美しいんだろう!小さい楽器。あれは、ひょっとして私のために作られたものではないだろうか? 

小さいヴァイオリンは、同じく豆みたいに小さかったわたしの身体にピッタリなサイズに見えた。 

 

精巧に作られた楽器の本体。4本の弦が張ってあって、楽器の表面は明るい照明のもとできらきらと輝いていた。何から何までが魅力的に映った。 

ぼうっとその楽器を見つめていると、母がお店の人と話している声がまた聞こえてきた。 

「じゃあ、こちらの楽器でよろしくお願いします。 姉の新しいヴァイオリンが決定したらしい。姉の手元には既に新しい楽器が見えた。 

が何かを買うということは私にも何か与えられるということではないか? ふとそんな考えが浮かんだ。 

いや、そうに違いない!! 

もうすっかり私の頭の中はではその小さなヴァイオリンは自分のものになっていた。 

 

そんなオーラを全身から放っていたのか、母が私の熱い視線に気が付いてこちらを向いた。

その楽器が気になる?」 

ええ、気になりますとも。

 

母は困惑したようだった。当然だ、今日は姉の新しい楽器を選びにきたのであって、私の楽器を買う予定などない。でも私はそんなこと知らなかった。薄々感づいていたかもしれなかったけれど、端からその考えを打ち消していた。 

姉が何かを買ってもらうなら、私にも何かあるはずそうでないとフェアじゃないと思っていた。 

だから、顔を上げた時に見えた母の困った表情は私を酷くうろたえさせた。 もしかして私の希望は通らないのだろうか?そんなことってあるだろうか。 これを諦めるなんてことはできない、と思っていた。

どうしたらこの思いを母に伝えられるだろうか?そう思って、もう、それまでにないくらいありったけのアツい気持ちを全身で母にぶつけた。 

そうしてこの保育園児の頑固な願い叶えられることになった。 

ああ、ショーウインドーからその小さな美しい楽器取り上げられるのが見える。 

私のところに来るために!

なんて幸せなんだろう。 

 

何から何まで小さかったその楽器はそれでも私の小さい体にはちょうど良い大きさだった。  

「ちょっと重いけど、自分で持てるかな?」 

お店のお兄さんから直接私にその楽器が手渡されたときには、ずっしりと重たいものを感じた。これは誰のものでもない、私だけの大切なモノだ。 

胸がキュー―ンと高鳴っていくのを抑えられなかった。肩に力が入って、気持ちが昂ってふつうに前を向いて歩くことができない。嬉しかった。とてもとても。 

母と姉がこちらを向いて笑って言った。「ふふ、良かったねえ。」 

 

その日は多分私のそれまでの短い人生の中で一番大きく心を―感情を揺さぶられた日だった。 

これから毎日この新しい友達と遊ぼう思った。毎朝毎晩この子に挨拶して、ちゃんときれいにお手入れして、そうしたらきっと仲良くなれるだろうと思った。  

楽器ケースを開けると、そこにはつやつやの楽器が美しく横たわっていた。 

新しい楽器独特の匂いが私の気持ちを高ぶらせた。 

楽器の上からかぶせるためのカバーもふかふかだった。その高貴な楽器を守るためのカバーはふかふかで、光沢があってお姫様を寝かせるためのベッドみたいだった。 

 

なんて素敵なんだろう。 

 

音を出してみることにした。まだヴァイオリンを習い始めていなかったからどうやって弾いていいのかは分からなかったけれど、自分の抑えた弦の位置どおりに音が上がったり下がったりするのを聞くのはとても気分が良かった。 

保育園の歌や、知っている曲をピンピンと指だけで弾いてみた。  

どの位置を押さえたら自分の鳴らしたい音が出るのかを探していくのはとても楽しい遊びだった。 

 

そうして、わたしはすっかりこの楽器の虜になった。 

 

私が使っていたものの中には姉から譲り受けたお下がりのものも多くあったから、なおさらこの自分だけの特別なパートナーに心惹かれたのかもしれない。 

 

それからは、姉のヴァイオリンのレッスンに同行するたびに「いつか私もヴァイオリンのレッスンを受けてみたいなあ。。」と願うようになった。 

 

この願いが叶うのは、保育園を卒業して関東に帰ることになってからだ。 

5年間お世話になった保育園のあった場所は私たちの故郷からはずいぶん遠かった。 私の保育園卒業と同時に再び父の転勤があり、この自然あふれる豊かな土地とお別れすることになったのだった。) 

初めてのヴァイオリンを手にしてから2年ほどが経ち、私は小学校に入学した。 

大好きなヴァイオリンを思い出深い九州からぎゅっと抱きしめて連れてきて、新しい土地での生活が始まった。 

 

新しく引っ越してきたこの土地は生まれ故郷ではあるけれど、私にとっての故郷は九州の大自然に囲まれたあの場所であったから、新しい環境になじむまでには少々時間がかかった。 

この新しい土地の人が話す言葉が私がそれまで慣れ親したんだものとはずいぶん違ったことも、私を戸惑わせたことのうちの一つだった。私の話す言葉のイントネーションを同世代の他の子たちから指摘されあの懐かしい方言をもう聞くことができないのだと悟った時、胸がキュンと痛んだ。  

そんな中で私のこのヴァイオリンだけは変わらない大切な友達だった。 

相変わらずケースを開け閉めするときには挨拶を欠かさずして、そのヴァイオリンとの楽しい時間を過ごしていった。 

 

そんなある日、ある音楽教室に体験レッスンにいくことになった。 

なんとついに私もヴァイオリンのレッスンを受けることが出来るようになるらしい! 

わくわくして向かったヴァイオリンの初めての体験レッスン。 

 

きっと沢山音を鳴らして、もっともっとヴァイオリンのことを知れるようになるに違いない。そう期待していった体験レッスンだったけれど、残念ながら一度も楽器を構えることなく音を鳴らすこともなくただ楽器の説明だけでレッスンが終わってしまった。 

 

期待していたものと全く違って、カラーンカラーン心がから回った音が聞こえた。 

 

しょんぼりしてその後も自己流にヴァイオリンと遊んでいたある日、今度はまた別の先生の体験レッスンを受けることになった。まだ若いお姉さんのようなとてもきれいな先生だった。 

 

その先生はまだ6歳になりたての小さい私に初めから楽器を構えさせてくださって、それからボーイングの練習や上手な楽器の構え方を教えてくださった。 

 

先生が私の右手の上にご自分の右手を置いて、一緒に弓を動かした。私が自分だけで弾いているわけではないというのに、先生の右手を通して生まれた音の美しさにキュンキュンしていた。 

 

もう、楽しくて仕方がなかった。これが初めてのヴァイオリンのレッスンだった。 

そしてこれが、その後何年かしてヴァイオリンを専攻すると決心し、音高を受験、合格、卒業し、そしてドイツの音楽大学に在籍している今までずっと、まるで家族のように私のことを時には厳しく、暖かく見守ってくださっている先生との出会いだった。 

 

6歳の時に初めて先生にお会いしてからもうおよそ15年が経とうとしている。ヴァイオリンの道を選んでからは厳しいことの連続だったけれど、それでもずっと続けてこれたのは先生がずっと私をそばで見守って、道に迷わないように寄り添い続けてくださったから。 

人生の中で大きな割合を占める楽器との出会い、そして私の第二の母のような先生との出会いはこんな風だった。 

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ドイツ音大受験その3

ドイツ音大受験 つづき

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実技試験をパスした人を待ち構えているものが、聴音の試験と副科ピアノの試験。

聴音/和声の試験と副ピの試験はほとんど同時に行われた。最初に聴音試験でその次にピアノの人もいれば、その逆の人もいた。そうして最後に来るのが和声の口頭試験。私は、この和声の試験に強い不安感を抱いていた。なぜかって、そこではまたドイツ語を話さないといけないからだ。しかも今度はもちろん自己紹介程度では済まず、聴音の和声課題で担当の先生から聞かれた質問に対してドイツ語で答えなければいけない。

その部屋には男性の先生が2人いて何か楽しそうにお話していたけれど、私が入っていくと「次は君かな」みたいな感じでお二人がくるりとこちらを向いて、部屋の雰囲気がすーと青色の試験モードに切り替えられていくのを感じた。

ああ、とうとう試験が始まってしまう!

なんの楽器弾いてるの、どんな曲弾いてるの、実技試験はどうだった、なんていう和声の試験には関係ないことを聞かれてそれに答えていくうちに「じゃあ、カデンツァ課題からやってみようか」ということになった。

カデンツァ課題に関しては、かなり準備をしていった。カデンツァ課題というのは、私が受けた音大では先生が指定した調のカデンツァを12小節分くらい、自分でドイツ語で解説を加えながらピアノで弾いていくもの。

私は確かa moll (イ短調)を指定された気がする。緊張しつつも、何十回も練習していったとおりに口から言葉が出てくる出てくる。弾き終わってほっとしていたところで、一番私がやりたくなかった和音の分析の方に課題が進んでしまった。

この課題では先生がなにかしらの和音をピアノで弾いて、それに対して受験生側がそれが何の和音か答える。実は日本で習ってきた和声とドイツのそれにはかなり異なる点がいくつもあって、それが私をひどく参らせていた。例えば、ドミソという簡単な和音。これが転回してミソドになったとする。これは日本では「第一転回形」ということになるのに、ドイツでは「ゼクストアコード(6の和音)」という。なぜゼクスト(6、という意味)かというと、根音のミ(和音の一番低い音)から見て一番高い音のドが6番目にきているからだ。

これらをすべて学習し終えてなるほど、と思えるまでにはいくらかの時間が必要だ。

先生がぽろんぽろんピアノを弾いていく。今先生が弾いているのが何調で、その調にとってその和音が何なのか(属和音など)その和音そのものは何という和音なのか(長3和音、減7和音など)。答えなければいけないことはたくさんある。

私はそれらをドイツ語で素早く答えなければいけないプレッシャーに押しつぶされそうだった。中には「これは分からなくてもいいけど、もしかして分かったりする?」なんて言われたものもあって、その時の私は残念ながらうまく答えられなかった。でもドイツの音大で1年間和声の授業を受けた今なら、落ち着いて答えられるかなと思う。

そうしてやっとその和声の試験が終わった。試験時間は多分10分程度のものだったと思うけど、私にはひどく長く感じられた。

その次に同じ部屋で続けてリズム打ちと新曲視唱の課題があった。これらは私がもともと割と得意としていたもので、それまでの和音分析と比べたらもう10秒くらいで終わった感覚だった。

和声の試験の後は聴音の試験があったけど、これも問題なく終わった。簡単なメロディー聴音と和声の書き取り問題たち。

聴音の試験は特にドイツ語を話さなくて良かったので気が楽だった。

最後が副科ピアノの試験だった。ここではちょっとしたハプニングが。(というかかなりのハプニング?)

私は副科ピアノ受験用に1曲だけを準備して熱心に練習していったけれど、本当は違う時代の作曲家から2曲を選んで弾かなければいけなかったのだ。

当日ピアノの試験会場で用意した曲を弾き終えてほっとしていると、試験官の先生から「素晴らしい!それで、2曲目は?別の時代からもう一曲弾いてくれるかな?」と言われ、なんと、耳を疑うとはまさにこのことだ、と思った。

そんな、今急に言われても・・だけど、試験官の先生は「入試要項に書いてあったでしょう?」と。あちゃー、あんまり確認してなかったかもしれない。

運よく最近まで練習していたバッハがまだ弾ける状態にあったので、急きょ、それを弾くことにした。試験官の先生方(2人いらっしゃった)がフレンドリーだったのもあって、ハプニングがあったにも関わらずピアノの試験はそれまで受けてきた試験のどれよりもリラックスして受けられた気がする。

このあと外国人だけがドイツ語の試験を別の会場で受けて、そして、全ての試験が終わった。

何はともあれ、私が勉強するべきなのは一にも二にもドイツ語だ、と思った。ドイツ語がもっとできていれば、入試要項に目を通したときに副科ピアノで2曲弾かなければいけないことなんてきっとすぐに理解できたはずだ。
それに、和声の試験でもきっとあんなに緊張せずに済んだに違いない。

こうして私のどきどきな受験が終わった。試験をすべてパスしたことが確認できて、今までにない安心感を感じながら蒸し暑い日本へ帰った。

高校を卒業したら、とうとうあの大学へ通うことになるのか。色々と苦労はたくさんしたけれど、、高校卒業後すぐに始まる新しい大学生活をドイツで始められることが決定して、私はとてもわくわくしていた。

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ドイツ音大受験 その2

前回の続き。
それで何はともあれ高3の初夏、日本を出国できてドイツの姉(既に留学中)が住む家に着いた。季節は6月も中旬に近づき、暖かい日差しが差し込んでいた。エアコンは無くても、心地よく流れてくる風で十分過ごせるドイツの快適な気候。受験旅に持ってきたのは、もちろん楽器(バイオリン)と楽譜、入試の舞台で着る衣装(黒のワンピース)とパスポートなどの重要書類たちと普段用の衣類。
受験のために来ただけで、観光する予定もなかったので極力少ない荷物をつめこんでいった気がする。

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ドイツに着いた翌日。さっそく入試が始まった。

海外の大学ではよく聞く話だけれど、実力があったとしてもそれだけで合格出来るわけではないのが難しいところで、師事したい先生に事前にコンタクトを取って何度もレッスンを受けて、その先生から(あるいは他の門下生からも)門下生にしても良い、と思ってもらえないとまず受からない。座る「席(プラッツ)」を用意してもらえないのだ(しかもその席はたいてい、1年に1つか2つくらいしか空かない)。コミュニティの一員として迎えてよいか、ということをいろんな角度から見られるのだと思う。ドイツ音大を受験するときにまず「先生」を探す、というのはそういうことなのだろう。

ところで私が入試のために準備していった曲は、バッハの無伴奏ソナタから2曲と、モーツァルトとグラズノフのコンチェルト(それぞれ1楽章)と、エチュードを1曲。

試験で弾く前には、軽く自己紹介と自分が何を弾きたいのかをドイツ語で(もしくは英語でもいいのかな。でもドイツ語のほうがやっぱり印象がいい気がする。)話さないといけない。それで、一曲弾き終わってからも審査員の先生から「次は何を弾きたいの?」とか聞かれたりするから、ヴァイオリンを弾くことよりも先生方が投げかけた質問に答えられるか、ということの方に対して緊張した気がする。
実際にある一人の先生が私に「モーツァルトかバッハ、あまり時間がないからあなたの弾きたい方を弾いてくれるかな?」とおっしゃった。

モーツァルトかバッハとは、どうしよう?えーとえーとと思っていたら、審査員の別の先生が「バッハがいいんじゃない?」とアドバイスしてくださった。

入試というただでさえ緊張しやすい本番が、さらに外国語で先生方とちょっとしたコミュニケーションを取りながら進められていくのは外国人にとってはちょっとハードルが高い気がする。いつもそばにいてくれる姉もさすがに試験会場には入れないから、姉と別れて試験の行われる部屋へ向かう時は心細かった。

あと一つ、実技試験ぎりぎりまで私の胃をきゅるきゅるさせていたのは、伴奏の先生がなかなか現れなかったことだった。ピアノ以外の楽器で受ける人は、弾く曲が無伴奏でない限りピアノ伴奏の先生と一緒に弾くことになる。伴奏の先生は、一緒に本番を迎える同士というか、「一緒に」という意識を持って挑む仲間。

伴奏の先生というのは、もし一緒に弾く相手が間違えたとしてもそれをフォローして何事もなかったように引っ張っていったり、暗譜が分からなくなったらメロディーをひっそり弾いて暗譜の手助けをする、とか大事な役割を担っている。

その大切な伴奏の先生が、もう次は私の弾く番になってしまったというのにまだ現れない。

困った、焦った、どうしよう!もし今私の出番になって呼ばれてしまったら?

焦って青ざめておろおろしているうちに試験部屋のドアがキイイと鳴って、前の受験生の人が出てきてしまった。ああ、絶体絶命。。だってどうやってドイツ語でこの状況を説明すればいいのだろうか?今だったら多分なんとか伝えられると思うけど、入試を受けた当時の私のドイツ語力は残念なもので、とてもそんなことできそうになかった。

そうはいっても何とかして伝えなくては。。と意を決して部屋に向かおうとしたその時、別のドアが開いて伴奏の先生が出てきた!

ああ、やっと!!

日本では伴奏の先生はコンクールなどでも常に自分のそばにいてフォローをしてくださっていたので、初めてドイツで伴奏の先生と弾くことになったこの時はこの対応の違いにかなりタジタジしてしまった。

そんなこんなですべての曲を弾き終わって、ほっと一息ついたのもつかの間、割とすぐに結果発表。30分後くらいだったかな、ドキドキしながら掲示板へ向かう。

と、そこに私の名前が!!

私の名前はアルファベットで書かれていてもパッと目に入りやすい。それに、Japanと書いているかを見ればいいのだから、合否はすぐに分かった。

そう、実技試験はとりあえずパスできた。これで入試の大部分はgeschafft (やり遂げた)。

ドイツ音大受験その3(ソルフェージュと副科ピアノの試験編)に続く。

ドイツ音大受験その2

ドイツ音大受験その1

ドイツ音大受験 その1 

こんにちは、妹です。 

 私が高校3年生の6月にドイツの音大受験をした時の話。 

その時期になぜ大学入試?と思われると思う。 

 私はもともと高校卒業後すぐの4月入学を希望していたので、本来なら高校年生の1月にドイツへ飛んで受験をするのがスタンダードな形だった。 

 が、高校年のその時期はドイツ語の試験勉強(入学までにB2に合格しないといけない)音高の卒業試験(演奏と筆記)など予定が詰まっておりドイツへ受験をしに行く余裕は、実はなかった。 

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 それが、突然のことだったがなんと入試を半年前倒しで受けさせてもらえることになったのだった (入試は夏・冬ゼメスターで年に2回あり、4月入学は夏ゼメ入試(=1月受験)、10月入学は冬ゼメ入試(=6月受験)だった

 そもそもこのお話は、ドイツ・ケルンの静かな住宅街を、レッスンの合間に先生(ドイツ人教授)とお散歩をしているとき(散歩といっても先生は健康志向なので、いつものことながら走るように歩く。先生はいつでも軽やかなのに、小走りでついて行く私の足取りはすぐに重くなる)の会話に始まった。 (高2の冬だったと思う)

 先生と話しているうちに話の流れが入試のことになり、実イツの入試の時期と高校の卒試の時期が重なっていて悩んでいる、とち明けた。すると先生があっさり あら、それなら前の年に受験すればいいじゃない 一言。 

 エッ! 

 わりと一大イベントであろう入試そんな融通が効いていいのですか? 

 とその時はかなり驚いたけど、そんなこともアリらしい。 

なんでも、先生が入試の事務局に申請してくださるという。入試の時期をずらす、というよりも入学を半年遅らせる、という発想のようだった。 

 とにかくそういうわけで私は高3の6月に大学受験できることとなり、急遽受験で弾く曲選びなどを始めることになった。 



 ところでドイツを発つ前に待ち構えていた、必ず解決しなければいけない問題が一つ 

 ドイツでの受験のために、高校のオーケストラの授業を休まなければいけないということだ。 

 オーケストラの授業というのは、演奏ももちろんのことではあるけれどそこにいて授業に参加する、ということがとても大事なにしろ授業を回でも休めば単位の取得が危うくなるという厳しいものだった。当然、単位がもらえないと卒業できない 

 にも関わらず、当初の予定では私オケの授業を回も欠席することになっていた。 

 最初に飛行機を予約したとき入試という理由ならオケの先生も許してくださるはず、と楽観的に考えてしまっていた。が、時間がたつにつれや、これはまずいかもしれない」 と思い始めてきた。 

 回もオケの授業を休んでいいのか? 

いや・・理由入試のためなら多分大丈夫だろう。 

 いやでもオケの授業を休むそれも2回も? 

 いや、1回なら休んでいる人他にたし大丈夫じゃないか? 

 いやー・・万が一にも単位がもらえなかったら?? 

 困った・・弱った・・ 

 

そんな風にひどく悩むようになり、このままでは単位をもらえず卒業出来なくなる可能性もあると考え、最終的に、涙涙で飛行機のチケットを買い直すことになった。 

 結局、2往復分買うことになったにも関わらず、全て払ってくれた母には本当に感謝しかない・・ 

 涙の航空券のおかげでオケの授業は回休むだけで済むことになった。 

 受験のためにオケの授業を休むという理由を書いた紙に飛行機のチケットのコピーを添え、さらに実技の先生のサインをいただいたものをオーケストラの先生に提出し、それが承認されて、晴れてドイツへの渡航認められた時のあの安心感。 

 この一連のオケの授業にまつわる骨折りなあれやこれやのおかげで、受験の旅への出発前には既に精神的に疲れ果てていた。 

  

ドイツ 音大受験その2 に続く 

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ドイツ語会話同好会の皆さん

高校に入学する数ヶ月前。まだ中学生のころ。

鼻が赤くなりそうな一月の寒い日に、ある小さな公民館で開かれていたドイツ語会話のクラスに初めて参加した。

もちろん姉も一緒に。というより、姉が参加するドイツ語会話クラスに私もついてきたのだった。

その頃、姉はすでにドイツの音大を受験することを考え始めていたので、色々と準備を進めていた。

とはいえ私も姉も海外に行った経験が一度もなく、姉が一人旅でドイツまで入試を受けにいくということを母は心配していて、もし受験するなら、とりあえず母も私も一度は一緒に行くという話になった。それで、家の中には「ドイツに行ったときのために今からドイツ語を学んでおこう」という雰囲気になっていた。

そんなとき、市の広報誌に「ドイツ語会話同好会。初心者向けです。楽しく学びませんか」という案内を母が見つけた。語学は教室に通うととても高くつくので、近くの公民館で行われているというその同好会にはぜひ行くといい、ということで姉と2人で、早速入会の申し込みをした。

私はというとその当時はドイツ語のアルファベット(たとえばabcはそれぞれアー、ベー、ツェーと読む) の読み方すら怪しくて、さすがに自分の名前くらいはドイツ語で言えないとまずいだろうと直前になって焦って練習したほどだった。

当時その同好会に参加していたのは10名ほどで、70代から80代の、私の祖父母くらいの年代の方々が多かった。

歳の差が大きいためか、孫くらいの歳の私たちを皆さんとても温かく迎えてくださり、そののんびりと流れる空気にそれまで少し緊張していた肩の力が抜けたような気がした。

お話していると時々、歴史の教科書を読んでいるような気持ちになることもあって、そんな時には世代が違うってこういうことなのか!と新鮮な気持ちになった。

そこでは私たちはいつも「若い人」だった。

「若い人、これ読んでくれる? 老眼で近くが見えなくて・・ふふふ、困ったねえ。」
「今どきの若い人に流行っているものって何なのでしょうかねえ。」
「僕が若かりし頃はあんなものやこんなものがあって・・若い人はきっと知らないでしょうなあ」

これだけ年上の皆さんと一緒に学ぶという経験は、なかなか得られない貴重なものだった気がする。

ところで、教えてくださる方も年配のドイツ人の先生で、もう何十年も日本に住んでいらっしゃるとのことだった。
生徒さん(おじいちゃんばかり)とも「ええええ、そうなんです。今はそんなこともありますよね。」など、全くなんの問題もなくごく自然に日本語で会話をしていた。

おじいちゃんが話す言葉って時々もごもごしていて日本人の私でも聞き取りにくいこともあったりするのに、あんな風に自然な会話が成り立つだなんて!と、それまで外国から日本にやって来た人でそれほど日本語が流暢な人に出会ったことがなかった私は軽く衝撃を受けた。

そんなふうにして雑談や休憩を挟みつつのんびりと「日本語で」進められていったドイツ語会話のレッスンだったけれど、時々ぽんぽんぽん、と順番が回ってきて、そこで何かドイツ語で発言をしなければいけない、ということもあった。

そしてそんな時はいくらゆったりした空気が流れているとは言っても、やっぱり焦った。

端の席の人から順に、隣に座っている方に質問をして、また隣の人がそれに答えて、と少しずつ自分に順番が回ってくる時のドキドキ感。

そもそも「ドイツ語で話す」ということに全く慣れていなかったし、こんなに下手なドイツ語を皆の前で披露するだなんて、という恥ずかしい気持ちもあって、何か発言をしなければいけないときはいつも緊張していた。

あれ、この感じ見覚えが。。😅

そう、ドイツの大学の授業で先生に当てられた時のドキドキ感と全く同じなんだ、そういえば。

私はAngsthase (直訳すると、不安なうさぎ。 小心者のこと)だから、みんなの前で発言するのはいつも勇気がいる。

小学生の頃はそんなこともなかったんだけどなあ。
小さい頃なんてむしろやんちゃすぎなくらいだったのに、いつの間にか観葉植物のように静かな人になってしまった。と、自分では思う。

ところで私たちが通っていたこのドイツ語会話同好会は初心者向けで、A2(語学能力を6段階に分けたうちの下から2番目。独検でいうと3―4級くらいかな?)をマスターしたい方向け。使用する教科書も、A2レベルのもの。

A2とはいえ決して侮ってはならず、教科書が進んでいくと結構難しい。

よく隣に座っていたYさんは、「我々なんて毎年同じ教科書を使っていますが、これがなかなか難しくてですね、一向に進みませんから。ハハハ」が口癖だった。
そんなこと言いながらも、なんだか楽しそう。

ドイツ語会話の皆さんと一緒に時間を過ごしてみて、80代になってもまだ何かを学ぼう、学びたい、と思えることって本当に素敵だなあ、そんな風に年を重ねたいなあと思った。

そうして月に2回、一回90分のレッスンでゆっくりのんびりと皆さんとドイツ語を学んでいるうちに夏がきて秋がきて、私が高校2年生になる春がきた。初めてドイツ語会話に参加してから1年が過ぎていた。

高校2年生。

私が通っていた音高では、高2になったら毎週金曜日の夕方3時間は必修のオーケストラの授業を取らないといけない。

ドイツ語会話は毎週金曜日の午後6時からスタートだったので、学校から家まで片道2時間半かかる私は、残念ながら高校1年の3月をもってこのドイツ語会話の同好会を去らなければいけなくなった。

間近にドイツ音大受験を控えていた姉も同様だった。姉にとってはもう大学受験が目前に迫っており(ドイツでは主に10月入学が主流で、その場合、受験が6月にある。なので日本の大学生と比べると半年ほど遅いスタートとなる。)ピリピリした時期だった。

私たちが辞めると知ったドイツ語会話の皆さんはとても残念がって、最後のレッスンの日に教室でお別れ会を開いてくださった。コーヒー、紅茶と美味しいクッキーと共に楽しくお話しして、時間はあっという間に過ぎていった。

その後、私もドイツ音大に進学し、もうドイツ語会話には参加できなくなってしまったけれど、その当時一緒に学んでいた皆さんとはいまだに年賀状やクリスマスカードのやり取りをしている。

いつまでもどうかお元気でいらっしゃいますように。

コンサートにもいつも来てくださってありがとうございます😊

【ドイツ音大】先生との出会い その2

こんにちは、妹です。一時帰国しています。いま雨が、滝のように降っています。おそらく気圧の変化のせいだと思いますが、朝から頭痛がします。雨のあまり降らないドイツに住んでいるとなかなか起きない現象です。でもここは日本。

湿めった空気が常に肌にまとわりついて、得体の知れない小さな虫(蚊?)に夜中に刺されたことに朝方になって気がつく、今日この頃です。

土深くもぐるミミズもこの雨にはさすがに気付いていると思います。じめじめ。そろそろ梅雨でしょうか。


その1の続き。

・・私は先生に、たどたどしいドイツ語で自己紹介をした。

私の名前、年齢、今弾いている曲など。

私はその時やっと16歳になったところで先生はそれを聞くと Ach, Du bist sehr jung.(なんて若いのかしら)とおっしゃった。そして、若いのにはるばるよく来たわねえ、と明るく笑ってくださりレッスンが始まった。

ところでドイツ語では英語のYouに当たるものがDu Sie2パターンある。

どう考えてもまだ子どもだ、みたいな相手には初対面でもDuを使うことが認められている気がする。

例えば大学の授業では、学生同士ではDuでも先生方が私たちに使うのは大抵の場合Sie. 何故なら私たちはもう大人とみなされているからだ。

だけど、この時レッスンで先生は完全なる初対面の私に初めからDuを使った。

Weisst du…? (・・は知ってる?)

Wie findest du, es kommt ein crescendo oder diminuendo ?

これからクレッシェンドが来るか、ディミヌエンドが来るか、あなたはどう思う?)

などなど。

それが何となく先生からの最初の親しみを込めた心遣いのように感じられて、緊張しながらも嬉しくなった。

多分、最初に一楽章をカデンツァ(コンチェルトの中にある、ソロパート。技術的に難しい箇所であることが多い抜きで通したんだと思う。そのあとの先生の第一声を聞くのが怖かった。(いつものことだけど)

恐ろしい2秒くらいの沈黙の後に、Das war schön! Deine Musikalität finde ich sehr toll. Lassen wir uns mal von vorne anfangen. (すごく良かったわ。音楽的にも上手くできていた。それじゃ、最初から一緒にやっていこうか)とおっしゃった。

多分そんな風にしてレッスンが始まったはず。それからの90分間、私の両耳は今までの自分の人生で恐らく一番くらいに開かれていて、できることならもっとダンボみたいに大きな耳があったら先生のおっしゃっていることがより理解できたかもしれないのに、とそれが少し悔やまれた。私の全神経は耳に集中していた気がする。

レッスン中、先生がなんておっしゃっているのか完璧には分からなかったけど、拍の重点が置かれるべきでないところに置かれているとか、ここの箇所は本来大きくなるべきなのに小さく終わってしまっている、とかいう細かいところまで指摘されている、ということには何とか気がつけた。

さらに先生はピアノ伴奏までご自身で弾いてくださって、楽譜上の和声進行を読み取るのがいかに重要か、とおっしゃった。

(そういう和声の流れを把握するにはピアノ譜を読んで、もしくは実際にピアノを弾いて分析していくのが手っ取り早い。ヴァイオリンはメロディー楽器だから、しばしば和声進行を無視して弾けてしまうのである。

ヴァイオリンが専科の人でも副科ピアノが必修なのはこういうわけだ。)

そうこうしているうちに1時間半ほどのレッスンは終わった。

必死に頭をフル回転させていたために、レッスンが終わる頃には私はかなりぐったりしていた。

それでも初めて受ける先生のレッスンに半ば興奮が収まらずに楽器をケースに閉まっていると、先生は見学していた門下生らしき一人に声をかけた。

(実は途中からいきなり現れたこの彼のために、私はますます緊張せざるを得なかった。)

その彼に、先生は「彼女(私のこと)どう思う?これから一緒にやっていくとしたらと聞いた。なんてドキドキする質問!!

そしたら彼は、「もちろん!素晴らしいことだと思います」 と答えた。

先生は私にも今後どうしたいか、と尋ねてくださり、私はぜひ先生のもとで勉強したいと答えた。

実はその日まで、自分がドイツの音大に進むなんてほとんど考えていなかったのだけれど、先生のレッスンを受けた後にはすっかり、ドイツで勉強したいという気持ちになっていた。

このとき私たちは日本にすぐに帰らなければならず、それ以上先生のレッスンを受けることは出来なかったのだけれど、それを残念がった先生は、また会いましょう、ぜひ夏にまたいらっしゃい、とおっしゃって別れ際にぎゅっとハグしてくださった。

【ドイツ音大 】先生との出会い その 1

こんにちは、妹です。

今、私が習っているドイツの音大の先生に初めてお会いしたのは、私が高校 2 年生になったばかりの 4 月の下旬のことだった。

姉がドイツ音大のピアノ科を受験することになった時、私も同じ音大の教授のレッスンを受けてみてはどうか、という話が上がったのだ。

その時の私のドイツ語力は(いつか記事にもアップしたように)勉強は続けていたものの会話力が追いついておらず、そのため始めの頃のレッスンはほとんど身振り手振りのなか進められていった。

初めてのレッスンの日。

約束の時間になり、先生がいらっしゃるというそのドアを初めて開ける時はそれはそれはとても緊張して、(今もレッスンが始まる時はいつもとても緊張するけれど)冷や汗ばかり出ていた気がする。

それまで日本でも何人もの先生の前で演奏してきたけれど、そしていつも弾く前にはすごくプレッシャーを感じていたけれど、今回はまた違う事情で身が縮む思い。

こんなにちんちくりんな私などが、恐れ多くもこの場にいてもよろしいのでしょうか?

不安の種を倍増させていたのは、はたして先生がおっしゃることをすぐに理解できるのか、そしてそれをパッとすぐに実行してみせることができるのか、ということと、

またその時レッスンに持っていったコンチェルトが、譜読みを始めてから 2 週間足らずだったため十分に弾きこめておらず、それを先生はどう思われるだろうか、ということだった。

そもそも私はそれまで外国人の先生のマスターコースなどを全く受けた経験がなく、今回が私にとって初めての外国人の先生のレッスンだったのだ。

初めての海外、それがドイツでの大学教授のレッスンとなった私の不安はそれは大きなものだった。

そしてドアを恐る恐る開ける。

女の先生がこちらを向いて近づいて来る。

ハロー、ウェルカム トゥー ジャーマニーみたいなことを優しく笑って言ってくださった時の安心感ったら!

先生との出会い 2 に続く

ドイツ音大初潜入!ドイツ語の洗礼を受ける

「こすずめのぼうけん」のごとく生まれて初めて日本を出て、海外に発った高校2年生を待ち構えていたもの。

それは、20時間以上の長旅ののちにやっとの思いで到着したハンブルク中央駅から漂う 何やら怪しげな匂いなどとは違って逃げられるものではなく、容赦なく私に降りかかってきた。

気付いたら「受験生のための和声と聴音の集中講座」の席に座っていた。

元々は当時ドイツ音大受験を2ヶ月後に控えていた姉が、受験の課題について理解を深めたいということでこの集中講座への参加を決めていた。色々あって同じ時期に私も同大学のヴァイオリン教授のレッスンを受けることになり、姉と一緒にドイツに飛び立ったのだった。

<豆知識> 

*(ドイツ音大における)受験生のための和声と聴音の集中講座とは

受験に出る和声と聴音の課題をおさらいしよう!という集中講座。3日に渡って大学で開催された。和声や聴音の課題をたくさん解いて、来たる受験に備える。

この期間に何回か大学に足を運ぶことで、大学の雰囲気に慣れたりもする。
全てがドイツ語で書かれているのが当たり前でそれが新鮮な図書館に入ってみたり、学生さんたちがワイワイ食事をしている食堂で自分も学生になりきって何かお安くて美味しいものを注文してみたり。

コミュニケーション力が高い人は友達が出来ちゃったりするかもしれない、嬉しい講座。

ここに参加する人々の大半は周辺の地域からこの大学を目指してやってきたドイツ人。必然的に私たちアジア人(私と姉と、初対面の台湾人2名のみ)は珍しくただそこにいるだけで目立つ存在に。

*和声

メロディーに付くコードと同じもの。
明るい、暗い、不思議な感じがする・・というように、ハーモニーを作り上げる基礎のような。曲が作られるためのピースというか。この授業では一つの曲がどの和声から成り立っているかなどを分析したりする。
受験では自分でピアノ伴奏をしつつ、和声分析を口頭で行うという大学も(もちろんドイツ語で)。私たちが受験した大学もこのタイプ。難しい。

*聴音

聞いたメロディーを五線譜に書き取る。4回ほど聞きながらそれを覚えて、書き取ってよろしい、と言われた後に書く暗譜と呼ばれるものも。
後は、「リズム叩き」といって右手と左手で左右同時に異なる複雑なリズムを机の上で叩いたり、とか。
個人的に聴音の授業は音高時代から結構好きだった。

「…ist …dann……?…..bitte?」

あれ、何か先生が私を見てる。質問されてる?まずい。何か言わないと。

焦った気持ちとは裏腹に、へへへ、と得体の知れない笑いしか出てこない。

周りはシーンとした空気。

中学3年生の春休みからドイツ語をかじり始めた私は当時高校2年生、もう既に何年かドイツ語を学んでいる状態のはずだった。おはようございます、ご機嫌いかが、なんてレベルは卒業したと思い込んでいたし、実際ゲーテのB1の「書く」試験にはパスしていた。

ゲーテのB1とは

ゲーテ=ゲーテインスティテュートの略。世界共通の青少年および大人のためのドイツ語検定試験。「読む」「書く」「話す」「聞く」の4つのモジュールに合格しなければならない。B1は6段階の評価レベルのうち3番目に当たる。このB1試験に合格すると、ドイツ語圏を旅行する際に出会うほぼすべての状況に対応することができる、とゲーテインスティテュートのホームページには書いてあるが、真相はいかに?

・・・だからそれなりに出来るかな?と思って現地に来たわけだけど、ところがどっこい聞いて分かることがこれっぽっちもない。

フランクフルト空港のスタバの店員さんに「アイスティーbitte (お願いします)」と言うのが精一杯だった私にとって、

「この和音の属調のサブドミナントは何ですか?」(今振り返ると、多分そのようなことを聞かれていたと思う。)・・・なんて質問は余りにもハードすぎた。

その時の私は、いかにすれば先生から当てられずに済むか、どうしたら喋らずに済むか、という事ばかり考えている典型的な外国人の生徒だった。

何のことはない、とにかく何を聞かれても答えられないのだから開き直るしかない。そう自分に言い聞かせて必死に耐える。

その日、講座が終わって借りていたアパートに戻る道の途中で、ふと涙が出そうになった。何でここに来ちゃったんだろう。しかもあと2日もある。

それは正真正銘、まさしく苦行の時間だった。

暖かい巣から飛び出して冒険することの厳しさを、このとき初めて知った。

あれから3年が経ち、私は大学2年生になった。あの辛い洗礼を受けた大学に通い始めてもう1年以上になる。

先週受けた音楽史のセミナーでは、他の参加者全員の前で10分間以上も話してみせた。

少しは成長出来たのではないか?