A1に落ちたことを受け止めてから、まだ勉強を続けていた。
そうして数か月経ったころ、今度はもう一つ上のレベルの試験に挑戦してみたくなった。
A2レベル。これに受かれば、
- 日常でよく使われる文や表現を理解し、使いこなすことができる
- 単純な、よくある状況でコミュニケーションでき、日常的になじみのあるテーマについて情報交換できる
- 簡単な言い方で、自分の出身地や学歴、身近な状況や必要なものについて説明することができることが証明できる
ようになるらしい。(ゲーテの公式サイトより)
そんな、英語でも全く到達していないレベルの試験を(A1に受かってもいないのに)いきなり受けて良いものだろうかという考えもちらっと浮かんだ。
だけど、とりあえず受けてみてこの数か月の自分の勉強成果を見てみたいと思ったから、お申込みフォームのところへいって銀行振り込みの手続きを完了させるまでにそう時間はかからなかった。
その後はテキストを買って試験の模擬問題を確認したり、ドイツ語をオンライン上で学べるサイトで文法を学んだり、ドイツ語の発音がまるで分からなかったのでスペルをタイピングして、その読み方をカタカナで書いていったり。
地道に勉強を進めた。
だけどこの1回目のA2の試験、正直気合が足りていなかったと思う。ドイツ音大入学の直前、B2の受験日が目前に控えていたころの私のそばには常に単語帳や教本があって、時間を惜しんで本当に焦って勉強していたから、それに比べたらまだまだお気楽なものだった。
なにせ、覚えようとしている単語量が合格ラインに全く見合っていない。それでよしとしてしまっていたのは、落ちても受かっても、何が起こるわけでもなくただ私の努力が結果に出るだけだったからかも。そのころの私には、留学直前だった姉と違って、ドイツ語試験に受からなければならない理由もなかった。
ドイツ語の勉強仲間はいたけれど(母と姉、そして公民館のドイツ語会話同好会の皆さん)気分は独学だった。実際のところ、私のドイツ語勉強は完全に自分のペースで進められていった。
塾みたいなところに行かされて、先生から何日までにここまでやらないと落ちるよ、などと言われることもなく、だから毎日どれだけ勉強が進むかは自分次第だった。
あ、これはバイオリンも同じか。結局、この「どうなるかはすべて自分次第」というのは楽器の練習と全く同じことだ。違ったのは、私のドイツ語勉強にはバイオリンみたいに毎週の恐怖のレッスンがないこと。
もしレッスンがあると?
それはもう誰にも何も言われなくても、準備不足による恐ろしすぎるレッスンを迎えることだけは避けたいと思うようになる。
「この日までにこの曲がここまで完成されていなければならない」という使命があれば毎日のノルマも自然に出来上がってくる。
この「ノルマを自分で設定して確実にそれをこなす」というそれに向けての気合、やる気というものがこのドイツ語勉強に関してはこのころ、さっぱりなかった。
これが敗因か、結局1回目のA2(通算2回目のゲーテ試験)も不合格だった。それも100点中30点という、なかなか信じたくない酷い点数だった。
胸がまたきゅーんとなった。自業自得だ。
一体どれほどの勉強を自分に課すことが出来たのか?どれほど集中して取り組んだ?
反省することはたくさんあった。
たくさんあったのだけど。
2か月後、この胸の痛みを抱えながらまたA2の試験にチャレンジした。4つのモジュールの点数を合計100点に換算した点数は、前回より20点上がって50点だった。Schreiben(書く)の点数が前回の10点から50点に上がっていたのは嬉しかった。
だけど、結果はまた不合格。
ああ、いったいどうやってこの「3回も不合格になった」という事実と向き合えばいいのだろう?
60点以上点を取らなければ、いつまでも自分は何の試験にも合格していない、ただのお金を無駄にするだけの人になってしまう。
そんな気持ちが自分の心の奥に表れていたのに気づきながら、3月。16歳の誕生日を迎えた私はそれからしばらくして懲りずにまたゲーテの試験を、今度はB1に挑戦することにした。
A2も受かっていないのにB1を受けることにしたのは、もうA2の試験問題集を解くのは嫌だという気持ちと、A2で50点取れていたのならB1も雲の上のレベルではないはず、と思ったから。
それに3回も試験を受けているから、会場の雰囲気はもう十分に知り尽くしている。Sprechen(話す)の試験官の先生も、どの先生がきても全員一度は話したことのある先生だ。
オンライン上でドイツ人の先生とドイツ語で会話できるレッスンも受け始め、以前よりドイツ語を話す機会も増えていた。
覚えなければいけない単語の数も把握しているし、こなさなければいけない課題も一通り終わらせた。
だけど。
B1の試験当日。
試験慣れはしていたはずだったけど、と同時にどこか自分の心の中に「今回この試験を受けてもまた落ちるんじゃないか。」という気持ちが試験中もずっとあった。
まただめになるんじゃないか。あ、今なんて言ったのか聞こえなかった、どうしよう、この問題取り損ねたかも。あれ、この課題では何点取ればいいんだったっけ。
隣の人の、すごい勢いで問題を解いている音が耳に入る。いやな音だ。周りの人の答案用紙が裏返されていくのを自分の耳がキャッチしてしまう。つまり皆、もう後半の問題に取り掛かっているということだ。
そして私は?
まずい、時間がない。もうあと10分以内にこの作文の課題をすべて書き終えなければいけないだなんて、どうしよう!
試験では始終焦っていた。
「落ちる。落ちてしまう」という気持ちでいっぱいになってしまい、純粋に試験の問題と向き合えていなかったのかもしれない。
結果、また合格できなかった。今回は「書く」の試験が79点で合格していたのが、ほかのモジュール(話す、聞く、読む)不合格通知を受け取った心のダメージをいくらか軽くしていた。(1モジュールずつバラバラに合格しても、4つ揃えばB1に合格となる。)
でもまだこれからだ、だって全部合格してはいないのだから。
次の試験どうしよう。受けるべきか、それとも。
あまりに試験に落ち続けたので、これははたして受かることなどあるのだろうかと考え始めていた私にある日、「ドイツの大学を見学しに行かないか」という何とも信じられないようなオファーがきた。(母と姉から。)
姉は本物の音大受験のための渡航で、これを最後に当分は日本を離れてドイツで暮らすことになっていた。
えー、だってそんな、いや、私全然ドイツ語話せないし。英語だってソーリーしか言えないし。海外なんて、怖いよ。危ない。学校のオケも休まないといけなくなるし、レッスンだってあるのに。先生になんて言えばいいんだろう。
いやでも、ドイツか。せっかくドイツ語勉強してるしなあ。
うーん。お姉ちゃんが行っちゃうなら、私もやっぱり行ってみたいような気がする。
こんな調子で数日間、初めての海外・ドイツの旅に同行するかしないか迷っていたけれど、そうこうしているうちに私も100パーセント行く方向に決定してしまい、気が付くと私は母と姉とともにドイツにあっさり着いてしまっていた。
ところで私、どうしてこういう話が出る前からあんなに(義務でもないのに)本気で勉強していたんだろうか。
まだ見知らぬ、でもその後出会うことになるドイツの先生とのレッスンに備えて?そんな考えはまだ浮かんでいなかった。
初めてドイツ人教授のレッスンを受けるまでドイツの音大に入ろうなどとは考えていなかったのに、中学3年の終わり頃にはドイツ語の勉強を開始して、いつの間にか夢中になっていたのは謎だ。実に謎。
だけど積み重ねてきたこの勉強のおかげで、いざドイツという国、言葉、文化を実際に肌で感じてから抱いた憧れを、のちに音大入学という形で実現させることができた。
もしそれまでの1年半のドイツ語勉強の時間がなかったら。
このドイツの旅のあとに語学の勉強を一から始めていたのでは、自分にもっとハードな勉強を課さなくてはいけないところだった。
もしくは勉強を始める前に、語学の壁の高さにくじけてすべてを諦めてしまっていたかもしれない。
いくらでも甘くなれる自分に対して厳しい姿勢を貫くのは全然簡単じゃない。
その点、それまで地道に勉強を続けてきた自分をちょっとだけ褒めてあげたい。
それで、話はドイツの空港に着いたときに戻る。飛行機を降りた瞬間に、「あ、匂いが違う。ここはもはや日本ではない」と感じた。もう戻れない、と。(実際には10日間くらいで日本に戻ったのだけど。)
日本人女性の平均身長を下回る私より背の低い人なんてそれこそ子どもしかいなかったし、空港に着いてしまってからは未知の土地に降り立ってしまったという恐怖と不安でいっぱいだった。
空港にあったスタバで紅茶を注文したけど、「小さいサイズ」を何というのか、実際にドイツ人の店員さんを前にするとまるで言葉が出てこなくなる。
使う言葉が違うってこういうことかとその時ちょっと実感した。
そして待ち受けていた例の苦行のソルフェージュ講習。この講習を受けてみて、もう圧倒的な敗北感というか、そこでようやく初めて完全に自分のドイツ語力のレベルの低さを全身で体感した。スタバの紅茶の注文どころではない。
なんという貴重な機会、もしこのとき母や姉と一緒に来ていなかったら永遠に自分の本当のドイツ語力を知ることができないままでいただろう。
この時、講習だけでなく大学の教授の実技レッスンも受けることができた。初めての外国人の先生とのレッスン、緊張して緊張してレッスンの間ずっとドッキドキだったけれど、先生がとても温かく迎えてくださったことが忘れられない。(このときの記事: 先生との出会い1 )
色々体験してみて1週間たった時、自然に「高校を卒業したらここで学びたい」と思った。
そのためにはまずもっと語学力がなければいけない。
帰国してからすぐに次のB1の試験の申込みをして、それから試験日まで、今までになく本気で勉強した。
ドイツ語勉強に使える時間はどこにある、と探すまでもなく、そのことは自分でも分かっていた。
長い通学時間-自宅から高校までの往復5時間の旅を有効活用すること。それしかない。そうしないと試験には受からない。
眠い時は電車の中でほとんど眠りながらドイツ語の単語アプリで延々と単語を聞いて、バスの待ち時間、電車のホームで並んでいる間、学校の授業と授業の合間の休み時間。隙間の時間は全部ドイツ語の勉強に費やした。
そうして迎えたB1の試験でようやく初めて4モジュール揃って合格することができた。
涙が出そうだった。実際出てたかも。それまでの試験に落ちすぎて精神的なダメージは相当なものだったし、自分の勉強方法が正しいのかもよく分からなかった。
けれどこのときは試験会場に着いたときに「たくさん勉強したんだから落ちても悔いはない」と思えるくらいには自信があり、だから今回の試験は大丈夫だって思いながら試験を受けられたことが嬉しかった。
ドイツ語を勉強し始めてから1年半が経っていた。 高校2年生の夏。
B2受験 につづく