ヴァイオリンを選んだときのこと 

 

保育園に通っていたころから、家の中で誰かが何かを演奏していること日常生活の一部だった。音が聞こえてこない日などなかった。 

 

母はウクレレやピアノを時々弾いて、それ以外はもっぱら姉がピアノだったりヴァイオリンだったりを演奏していた 

 

私もそれに乗っかって一緒に合奏したかったけど、幼いながらに感じ取った「生半可な気持ちでは触れていけない大切なモノ」とどう向き合っていいのか分からず、大抵の場合は保育園で習った歌を家族の前で披露するにとどまるのだった。 

 

楽しそうに練習する姉が心底羨ましかった。(実際レッスンがハードで大変だったと思うけれど。ふふ) 

 

姉が持っていた姉だけのその大切なモノがもし自分にも与えられたら、なんてドキドキするだろう。それがあったら、私の感じていることや思いを自分でも表現できるかもしれない。 

まだ4歳くらいだったと思うけど、その時すでに少しずつ自分の中で「自分だけの楽器が欲しい」という気持ちが沸き上がっていた。 

 

そんなある日姉が母とワンサイズ上の楽器(ヴァイオリン)を選びに行くことになった。  

姉は体が大きくなって今の楽器のサイズでは合わなくなったらしい。そんな事情は全く知らずに、とりあえず私もその楽器屋さんへ一緒に付いていくことになった。 

よく晴れた、暖かい日だった気がする。ぽかぽかとしたお散歩日和。 

ある大きな表通りをしばらく歩いているとあるお店で母と姉が立ち止まった。私も立ち止まった。 

店に入っていくと、奥のほうのショーウインドーの中に、ニスがたっぷりと塗られた光沢のある楽器が並んでいるのが目に入った。様々なサイズのヴァイオリンを扱う楽器店だったのだ。

もうすでに長い距離を歩いており、疲れていた。ただ歩いているだけで不機嫌になってくるといういつもの謎のご機嫌斜めモードに入りつつあった私。その時ふとある一つの楽器に私の目が釘付けになった。 

それは、赤ちゃんみたいに本当に本当に小さな子ども用ヴァイオリンだった。 

 

遠くで母と姉が何かを話しているのが聞こえた。 

私はそんな話など全く耳に入らずに、ただ目の前に飾られているそのきらりと光るヴァイオリンに夢中になっていた。 

 

なんて綺麗で、美しいんだろう!小さい楽器。あれは、ひょっとして私のために作られたものではないだろうか? 

小さいヴァイオリンは、同じく豆みたいに小さかったわたしの身体にピッタリなサイズに見えた。 

 

精巧に作られた楽器の本体。4本の弦が張ってあって、楽器の表面は明るい照明のもとできらきらと輝いていた。何から何までが魅力的に映った。 

ぼうっとその楽器を見つめていると、母がお店の人と話している声がまた聞こえてきた。 

「じゃあ、こちらの楽器でよろしくお願いします。 姉の新しいヴァイオリンが決定したらしい。姉の手元には既に新しい楽器が見えた。 

が何かを買うということは私にも何か与えられるということではないか? ふとそんな考えが浮かんだ。 

いや、そうに違いない!! 

もうすっかり私の頭の中はではその小さなヴァイオリンは自分のものになっていた。 

 

そんなオーラを全身から放っていたのか、母が私の熱い視線に気が付いてこちらを向いた。

その楽器が気になる?」 

ええ、気になりますとも。

 

母は困惑したようだった。当然だ、今日は姉の新しい楽器を選びにきたのであって、私の楽器を買う予定などない。でも私はそんなこと知らなかった。薄々感づいていたかもしれなかったけれど、端からその考えを打ち消していた。 

姉が何かを買ってもらうなら、私にも何かあるはずそうでないとフェアじゃないと思っていた。 

だから、顔を上げた時に見えた母の困った表情は私を酷くうろたえさせた。 もしかして私の希望は通らないのだろうか?そんなことってあるだろうか。 これを諦めるなんてことはできない、と思っていた。

どうしたらこの思いを母に伝えられるだろうか?そう思って、もう、それまでにないくらいありったけのアツい気持ちを全身で母にぶつけた。 

そうしてこの保育園児の頑固な願い叶えられることになった。 

ああ、ショーウインドーからその小さな美しい楽器取り上げられるのが見える。 

私のところに来るために!

なんて幸せなんだろう。 

 

何から何まで小さかったその楽器はそれでも私の小さい体にはちょうど良い大きさだった。  

「ちょっと重いけど、自分で持てるかな?」 

お店のお兄さんから直接私にその楽器が手渡されたときには、ずっしりと重たいものを感じた。これは誰のものでもない、私だけの大切なモノだ。 

胸がキュー―ンと高鳴っていくのを抑えられなかった。肩に力が入って、気持ちが昂ってふつうに前を向いて歩くことができない。嬉しかった。とてもとても。 

母と姉がこちらを向いて笑って言った。「ふふ、良かったねえ。」 

 

その日は多分私のそれまでの短い人生の中で一番大きく心を―感情を揺さぶられた日だった。 

これから毎日この新しい友達と遊ぼう思った。毎朝毎晩この子に挨拶して、ちゃんときれいにお手入れして、そうしたらきっと仲良くなれるだろうと思った。  

楽器ケースを開けると、そこにはつやつやの楽器が美しく横たわっていた。 

新しい楽器独特の匂いが私の気持ちを高ぶらせた。 

楽器の上からかぶせるためのカバーもふかふかだった。その高貴な楽器を守るためのカバーはふかふかで、光沢があってお姫様を寝かせるためのベッドみたいだった。 

 

なんて素敵なんだろう。 

 

音を出してみることにした。まだヴァイオリンを習い始めていなかったからどうやって弾いていいのかは分からなかったけれど、自分の抑えた弦の位置どおりに音が上がったり下がったりするのを聞くのはとても気分が良かった。 

保育園の歌や、知っている曲をピンピンと指だけで弾いてみた。  

どの位置を押さえたら自分の鳴らしたい音が出るのかを探していくのはとても楽しい遊びだった。 

 

そうして、わたしはすっかりこの楽器の虜になった。 

 

私が使っていたものの中には姉から譲り受けたお下がりのものも多くあったから、なおさらこの自分だけの特別なパートナーに心惹かれたのかもしれない。 

 

それからは、姉のヴァイオリンのレッスンに同行するたびに「いつか私もヴァイオリンのレッスンを受けてみたいなあ。。」と願うようになった。 

 

この願いが叶うのは、保育園を卒業して関東に帰ることになってからだ。 

5年間お世話になった保育園のあった場所は私たちの故郷からはずいぶん遠かった。 私の保育園卒業と同時に再び父の転勤があり、この自然あふれる豊かな土地とお別れすることになったのだった。) 

初めてのヴァイオリンを手にしてから2年ほどが経ち、私は小学校に入学した。 

大好きなヴァイオリンを思い出深い九州からぎゅっと抱きしめて連れてきて、新しい土地での生活が始まった。 

 

新しく引っ越してきたこの土地は生まれ故郷ではあるけれど、私にとっての故郷は九州の大自然に囲まれたあの場所であったから、新しい環境になじむまでには少々時間がかかった。 

この新しい土地の人が話す言葉が私がそれまで慣れ親したんだものとはずいぶん違ったことも、私を戸惑わせたことのうちの一つだった。私の話す言葉のイントネーションを同世代の他の子たちから指摘されあの懐かしい方言をもう聞くことができないのだと悟った時、胸がキュンと痛んだ。  

そんな中で私のこのヴァイオリンだけは変わらない大切な友達だった。 

相変わらずケースを開け閉めするときには挨拶を欠かさずして、そのヴァイオリンとの楽しい時間を過ごしていった。 

 

そんなある日、ある音楽教室に体験レッスンにいくことになった。 

なんとついに私もヴァイオリンのレッスンを受けることが出来るようになるらしい! 

わくわくして向かったヴァイオリンの初めての体験レッスン。 

 

きっと沢山音を鳴らして、もっともっとヴァイオリンのことを知れるようになるに違いない。そう期待していった体験レッスンだったけれど、残念ながら一度も楽器を構えることなく音を鳴らすこともなくただ楽器の説明だけでレッスンが終わってしまった。 

 

期待していたものと全く違って、カラーンカラーン心がから回った音が聞こえた。 

 

しょんぼりしてその後も自己流にヴァイオリンと遊んでいたある日、今度はまた別の先生の体験レッスンを受けることになった。まだ若いお姉さんのようなとてもきれいな先生だった。 

 

その先生はまだ6歳になりたての小さい私に初めから楽器を構えさせてくださって、それからボーイングの練習や上手な楽器の構え方を教えてくださった。 

 

先生が私の右手の上にご自分の右手を置いて、一緒に弓を動かした。私が自分だけで弾いているわけではないというのに、先生の右手を通して生まれた音の美しさにキュンキュンしていた。 

 

もう、楽しくて仕方がなかった。これが初めてのヴァイオリンのレッスンだった。 

そしてこれが、その後何年かしてヴァイオリンを専攻すると決心し、音高を受験、合格、卒業し、そしてドイツの音楽大学に在籍している今までずっと、まるで家族のように私のことを時には厳しく、暖かく見守ってくださっている先生との出会いだった。 

 

6歳の時に初めて先生にお会いしてからもうおよそ15年が経とうとしている。ヴァイオリンの道を選んでからは厳しいことの連続だったけれど、それでもずっと続けてこれたのは先生がずっと私をそばで見守って、道に迷わないように寄り添い続けてくださったから。 

人生の中で大きな割合を占める楽器との出会い、そして私の第二の母のような先生との出会いはこんな風だった。 

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大学で初めてKlausur(試験)を受けた時のこと

入学した年の10月。季節もいよいよ秋になり2ゼメスター目(2学期目)に入った私が取らなければいけなくなった授業の中には「(音楽)教育学」「(音楽)心理学」という2つの授業があった。 

 

姉から「おじいちゃん先生だから話がちょっと聞き取りにくいよ」というのは聞いていたけど、実際に受けてみると全くその通りだった。しかも、いまいち何を言っているのか分からないモゴモゴ具合なのに加えて話すスピードもとても速い。 

 

ひたすら先生が90分間講義をするのだけど、うっかりしていると追いつけなさ過ぎて頭がぐらぐらしてくる。例えば、ちょっと「今の単語何だったんだろう」とか思ってスマホで調べているうちに、あっという間にビューっと授業が進んでいってしまう。 

 

初めのうちは分からない単語が続出で、授業が終わると毎回その日持ち合わせていた頭の中の糖分をすべて持っていかれたような状態になっていた。そのうち毎回出てくる常連の単語というのが自分でも分かってくると、少しは内容を理解できるようになったけれど、それでも多分7.8割も理解できていたかは自信がない。 

 

取っていた2つの授業のうちの1つが、ドイツ人の割合が圧倒的に多かったのも授業の難易度を圧倒的に上げていた原因だったかもしれない。 

 

ドイツ人の学生たちによる超・本気モードのディスカッションが私を挟んで両隣で繰り広げられていたときなど、はたして自分がどうしていいのか分からない場面に遭遇することも多かった。 

  

もしくは今先生と目が合ったな、と思った瞬間に 

「Frau ○○(○○(私の名前)さん)、これについてのあなたの意見はどうですか?」 

と急に質問を投げかけられる時など。 

「え、私ですか?」「はい、どうぞ」 

 

それまで何やらざわざわしていた教室内が一瞬で静まって、みんなの視線がすーっとこちらに向けられた時のあの恐怖感。 

そういう時に便利な言葉として「それについては色々な意見があると思いますが、どれも的を得ていると思います」とか「個人的に私は○○さんの意見に賛成です」とかなんとか言えたらいいものの、急に先生に当てられるとびっくりしてしまって言葉が全く出てこなくなる。 

そういう時になんて言って切り抜けていたのかはもう忘れてしまったけれど、とにかく血の気が引く瞬間だったことは確か。 

 

それにしてもドイツの学生たちは誰かと意見交換をすることに対して全く緊張感を持っていないみたいだった。意見交換の相手が先生であれ、臆することなく自分の意見を堂々と述べる。 

 

先生も生徒の意見に真摯に向き合うし、そこに「先生だから偉いんだ」「学生は先生の意見に従わなければいけない」とかいう堅苦しいものはない 

それが、生徒たちが自分の意見を述べやすい雰囲気を作り出しているんだろうなーと思った。 

 

あと周りの人も誰かが何かに対しての意見を言ったことに対して「えー、あの人意見なんて言っちゃってるよ、真面目だわ~」(ネガティブな意味で皮肉っぽく褒める)みたいなことを言わないし、そういう空気も出さない。 ポンポンと意見交換が進んでいく。(それもちゃんと、その授業に合った真面目な内容の会話が。) 

 

この雰囲気は私が日本で過ごしていた小中学生時代には、体験することのないものだった。 

私が通っていた学校では授業に真面目に取り組む人は何やら煙たがれる対象のような扱いで、だから生徒は「いつも先生と交流を深くもって、非常に発言を多くする人」か、「授業には特に興味がないので進んで参加しようとも思わない人」の2パターンに別れていた気がする。 

 

専門的な知識を持つことに対して貪欲で、それをさらに伸ばすことを良しとしていた音高ではその限りではなかったけれど、(中学校のときよりは発言に対する壁が低くなってたと思う。)それでも例えばこんな雰囲気はあった 

普段発言しない人がいて、そのような人が珍しく何かを発言したとき。

 周りの反応は、

「あれ、ほーう、ふーん、○○さんそんなこと言うんだ 

そういう何か含んだ感じの、ちょっとだけ冷たい何かがあるような感じだった。 

こういう雰囲気は一体どこから来るのだろう。何年も前からあるもので、これからも変わることのないであろう、染みついてしまったものなのかと思う 

先生側と生徒側そして生徒側の中でも個人個人がお互い意識して歩み寄ろうとしない限り無くなることのない壁根深く存在しているのを感じる。 

 

 

そしてここドイツでは 

 

2ゼメスター目で私が取った授業中の先生は、確かに学生たちに何かを教える立場ではあるものの、個人としての立場は学生たちと変わらず、ただ学生が自分たちの考えをうまく引き出せるようなサポートに回っている感じだった。 

先生が主体ではなくて、学生たちが主体というか。それが私が通っていた学校との違いなのかな。 

まあ授業に参加できるかどうかは、授業内容を完全に把握できるだけの語学力を持っているかよるのだど。 

私の方はというと、ドイツ人学生たちの発言やプチ講義みたいなのに支えられて授業がスイスイ進んでいくのに胡坐をかいて、いまいち授業内容が完全に理解できないまま時間だけが過ぎていった。 

そしてとうとう年が明けてしまった。 

 

1月頭、最初の授業で先生から試験についてのお話がった。 

1月の終わりに試験がある試験は今までの授業で出てきたことから出るから、これまでの授業内容をよく復習しておくように、とのこと。 

えー、まいったまいった。どうしよう、落ちたら次のゼメスターでもまたこのおじいちゃん先生の講義をとらないといけなくなる。そしたら、今までに受けた授業分の時間がパーだ。 

 

私が講じた授業に対する置いてけぼりにされないための対策としては、とりあえず授業中に出てきた分からない単語たちを書き出して、それらの単語の意味を調べる。 

あとは、先生が授業中に話していた重要そうなことを忘れないように紙に書く、くらいのことだった。 

 

先生の講義は、一回の授業につき多いと5枚くらいのびっちりと難しい心理学用語なんかが詰まったドイツ語で書かれたプリントを渡されるところからスタートする。 

それ10-15分くらいでざーっと読んで要点をかいつまんだところで自分なりの意見を他の人との意見交換を交えながら見つけていく。 

 

たいてい4人ずつくらいのグループになって(この講義には25人くらい参加者がいた。)それぞれのグループから出た意見を一人の人がまとめて発表するのだけど、油断していると先生から発表した人以外にも質問が飛んできたりするから要注意。  

そんなこんなでその日のテーマについて十分な意見交換がされた上で、そのトピックスにまつわる動画を見たりして、先生からそれについての説明などが加えられていく。 

それでまた学生側がそれについて意見を述べたり。。の繰り返し。 

意見交換の場が多いのはいいと思うけど、正直ドイツ語が外国語である外国人にとってはかなり苦痛授業スタイル。 

何しろ内容が理解できていないと手も足も出ないから。 

かといって授業中ずーっと無言で透明人間のようにして座っているのも「授業に対する参加意欲がない」と思われてしまうからよろしくない。 

だから、1月末に行われる試験は外国人である私たちが唯一「普段先生のお話をよおく聞いておりまする」ということをアピールできる機会でもあった。 

  

逆に言うと、この試験で点数が取れないと本当にお手上げ。 

授業の単位は試験の点数と、(6割取れていたら合格)任意でみんなの前で何かしらのテーマについて発表する発表課題によって取れるのだけど、みんなの前で発表するのはドイツ語を母国語に持たない私たちにとってはハードルが高すぎるので、試験を頑張るしかなかった。 

ちなみにドイツ人の学生たちは全員この発表課題をこなしていた。これに取り組めばテストの点数が自動的に30点追加される仕組みだったから、もし私がドイツ人だったら多分自分も取り組んでいたと思う。試験の点数30点アップは大きいもの。 

まあ、結局発表はやめたのだけど。。 

 

そういうわけで試験の日程も決まり、困った時の強力な助っ人の姉から試験の過去問を貰い、あとは勉強するのみとなった。 

 

ところがどっこい試験日がだんだんと迫ってきているのにいつまで経っても試験勉強のやる気が全然でない。。 

 

理由は多分、今までの授業内容を6割程度しか理解できていなかった自分の語学力に絶望していたのと、そんな自分が試験を受けても合格なんてできるだろうかという気持ちが消えなかったからだと思う。 

 

それに今までの授業で配られたプリントの束(多分全部で200枚以上あった。)を前に、姉からの過去問があるとはいってもどうしていいのか分からなかったから。 

正直すごく試験を受けることに対してストレスを抱えていた。 

 

私は取り組まなければいけない現実から全力で逃げる傾向にあるのだけど、この時も例に漏れず、常に頭の中は試験のことでいっぱいなものの、試験勉強を始められないでいた。 

 

そうこうしているうちに、気が付いたら試験までなんと日間しかない。しかも3日前と言ってもこの日はもう太陽が沈みかけていたから、試験まで実質2.5日間しかなかった。 

 

これはさすがにマズイと思った。ものすごく気分が乗らないけど、試験勉強を始めることにした。 

まずは、先生の作っているホームページ上に載っている、授業内では配られなかった、でも授業に関する重要なことが沢山載っている資料をプリンターで印刷するところから。 

それらの資料が印刷されている間に、試験まで自分がどのくらいのペースで勉強していけば間に合うのかを考えた。  

目を通さなければいけないプリント数は全部で200ページ以上。残された試験勉強に使える時間は約2.5日間。 

寝る時間や食事にかかる時間以外をすべて試験勉強に費やすことにして、1時間につき何ページ進めていけばいいのかを計算した。 

 

さらに、1ページごとに使える勉強時間を計算してそれをスマホのタイマーで設定して、常にそのタイマーが鳴るまでにページを進めていくことにした。 

 

手元にはスマホのタイマーと、重要そうなことに印をつけるためのラインマーカー、リラックスして勉強に取り組むためのハーブティー。 

 

勉強にかかる時間を計算していったら、試験を受けたくないと嘆いている時間は1秒もなさそうだったので、ひたすらページを進めることだけを考えた。 

 

教会の鐘がゴーンゴーンと鳴って、時間がどんどん過ぎていく。だんだんと空が暗くなってくる。 

どうして自分はいつもスタートを切るのがこんなに遅いんだろうと思ったけど、そんなことを悠長に考えている暇なかった。 

 

ところで、目を通さなければいけないプリント数が200ページにもなった理由としては、私がその学期で度に2つの授業を取っていたためである。 

 

学生1人1人に配られる「学生ブック(そこに、自分が取らなければいけない授業やその授業で取れる単位数、先生からサインをいただくページなどが綴じてある。)には、1ゼメスター目では音楽心理学と教育心理学を、(心理学系)2ゼメスター目では一般教授法(どうやったらうまく人に何かを教えられるか、というもの)と音楽教育学(教育学系)を取るように書いてあった。 

 

全部で4つの授業があるのだけど、試験ではそれぞれ「教育学系の試験」と「心理学系の試験」にまとめられるから、受ける試験数としては2つだけということだった。) 

 

ところが私は入学した時点ではドイツ語がB1しかとれていなかったために、一般授業を取ることができなかった。つまり、他の普通の人よりも1ゼメスター分遅れを取っていた。 

 

まあ、どういう組み合わせで授業をとるかは人それぞれ 

例えば卒業間近の8ゼメスター目ではあまり授業を取りなくないからそれまでにできるだけ単位を取っておこうとか、自分はこの学生ブック通りにマイペースに進めていこう、とか。 

この2ゼメスター目で遅れた分を取り戻してもいいし、取らなくても良かったのだけど、私はここで一気2つの試験を受けて他の皆と同じラインに追いついておきたかった。 

それが、試験2.5日前になってようやく試験勉強を始めた私の首を絞めていた。 

 

もう、すべて自業自得。。 

幸い試験日前後の体のコンディションはばっちりで頭も冴えていたので、一日に17-18時間勉強するのを2日続け、試験日の朝大学に着いてから先生が試験問題集を持ってやってくるまで勉強を続けた。 

 

そうして試験が終わって、結果が返ってきた。 

 

音楽心理学と教育心理学の方は65点で何とか合格だった。教授法の試験も、心理学よりは取り組みやすいものだったので、他の多くの人と同様に1.0(5段階で一番上の評価)で合格を貰えた。 

 

 

試験が終わったあとの私の頭はほとほと疲れていて、試験問題を解き終わった後に「次に試験を受けるときは絶対にもっと早くから取り組もう」と思った。  

 

そうしてやっと、年明けからずっとストレスの原因だった2つのKlausur(単位取得のために必須の大きな試験)から解放されたのだった。 

 

思えば、中学校の期末試験などの対策もいつもこんな感じだったから、現実逃避をする癖はあの時から全く変わっていないんだなあ。。 

 

ただ、これまでのドイツ語の試験勉強のおかげで大きな試験を前にした勉強時間の配分と自分への精神的な追い込みだけはレベルアップした気がする。 

 

だけど、やっぱり準備は早くから始めるに越したことはないのだ思い知らされ試験だった。 

大学内のドイツ語コース 愉快な仲間たちと過ごした時間

こんにちは、妹です!

 

 

2019年4月、大学に入学した。入学してしばら経ってから大学用のメールに送られてきたのは、外国人の学生向けに開校されている大学内の語学コースの案内だった。

 

入学してから半年以内には取らないといけないB2、大学内の語学コースを受講してそこで試験もさせてもらえるなら自分で独学で勉強するよりいい、と思って早速申し込みをした。

 

初めての語学コースの授業が始まる日。どんな人と一緒に学んでいくのかちょっと緊張して部屋に行ったら、まだだれも来ていなかった。

 

(これから半年間くらい続くこの語学コース、結局ほとんど毎回こんな感じで私が一番乗りに部屋で待ってる人になるんだけど。。)

 

ちんまりと部屋で待っていると、あとから他の受講者の人たちがぞろぞろ。

 

中国から3人、イタリアから1人、ロシアから2人、コロンビアから1人、ブラジルから1人、韓国から1人。

夏休みの特訓コースが始まると、このメンバーにあと1人、トルコからやってきたおじさんも加わった。(その時18歳だった私にはおじさんに見えたの。ある時授業中に「俺がまだ26歳だったころのトルコは。。」とか語ってたから、実際は30代だと思う。)

 

メンバーは私を入れると全部で11人。2人の先生をいれて13人の少人数で勉強が進められていくことになった。

 

 

その日初回の授業では、これからの授業の進め方を先生から説明された。

 

授業が朝の8時から始まること

夏には集中コースと言って、毎日4時間の授業が2週間にわたって行われること

その夏の集中コースが終わった後にテストがあるから、それに合格すればB2合格したことになること

 

この、「B2の試験」という説明を聞いたときにまたあのゲーテの嫌な思い出が蘇ってきた。ああ、落ちたら絶対絶命な試験だ。これをパスできなかったら入学許可を取り消されて日本に帰らないといけなくなる。。

 

心配になってチラッと隣のイタリアから来た男性の表情を伺うと、ドイツ語の試験があろうがそれについての不安要素なんてどこにも見当たらない、みたいな様子だったのでちょっと安心した。

一通り先生からのお話が終わった後、「お互いにまずは自己紹介しましょう」ということになった。

 

端から順番に、自分の名前/どこの国から来たのか/専攻の楽器は何なのかなどを自己紹介していく。この自己紹介の時点で「この人はB2クラスにいながら既に結構ドイツ語が話せてる。C1クラスにいても問題ないんじゃないの」とか「この人はまだドイツ語を話すのに慣れてない感じだ」とか、お互いどのくらいドイツ語が話せるのかが感じ取れてしまう。

 

みんなの自己紹介が終わって分かったのは、私がこのクラスでは一番年下だということ。

ちなみに後日、これについてちょっとした出来事があった。

 

いつも通り授業が終わって先生に挨拶して帰ろうとしたら、同じ語学コースのメンバーのブラジルからきたギタリストのお姉さんに呼び止められた。

 

お姉さん:「ちょっと来て」

私:「あ、はい。(え..なぜ?)」

 

「あなた、今いくつなの?」

「18です」

 

「あ、一応18歳にはなっているのね。あんまり顔が幼く見えるから、15歳くらいなのかと思った。それならいいわよ」

「あ、そうですか..?(私、もう行ってもいいのかな)」

 

 

 

そう、ここドイツではアジア人の顔立ちは幼く見えるらしい。

 

それに18歳でこの大学に入学してる人はごく稀だから、入学当時、私は年齢を聞かれたときによく周りの人から驚かれていた。

 

このブラジル人のお姉さんの目にも私はずいぶん若く映ったらしく、自分が18歳だと告げると安堵したような何やら期待外れだったような、何とも言えない表情をされた。

 

ドイツではそもそも入学した時点で20歳を超えている人も割と多いし、人によって入学するときの年齢は違うから、同じ学年だったとしても結構年齢はバラバラ。

 

そういうわけで、この語学コースの中では一番年上の人とは多分一回りくらい年齢の差があった気がする。

 

年齢がバラバラなら専攻する楽器もバラバラで、指揮専攻、バイオリン、声楽、クラリネット、ギター、ホルンなど人それぞれだった。

 

ところで一番人数が多いはずのピアノは誰ひとり専攻しておらず。

 

自己紹介が終わったあとで先生が「じゃあ全員立って、みんなお互いのことをもっとよく知るためにこのカードに書いてあることについて質問したり、それに対して答えたりしてみましょうか」と言った。

 

カードというのは「趣味は何ですか」みたいな月並みな質問が書かれたもので、全部で10個くらいの質問が用意されていた。

 

好きな色は何ですか、好きな季節は。。

 

プロフィールノートから飛び出してきたような「初めまして、よろしく」感を今さっき知り合ったばかりの人と共有するなんてこと、かれこれもう何年も経験していなかったことだったから新鮮だった。(音高時代に3年間クラス替えが無かったからかも)

 

それに何といってもこの異国感満載の部屋の雰囲気。

 

アジア勢は私含め全員メガネ(黒)をしているのがお揃いみたいで面白かったし、ブラジルやコロンビア、イタリアなどいかにもアツそうな国からきた人たちからはその露出度高めの服装からして「oh、アモーレ!」みたいな雰囲気が醸し出されていた。

この濃いメンバーと半年間ずっとドイツ語を学んでいくのかと思うと、やっていけるのだろうかとちょっと不安に思いながらもわくわくした。

 

これが初めて語学コースの授業を受けた時の思い出。

 

こうして愉快な仲間との語学コースがスタートして、7月中旬。

 

夏休みが来る頃には私たちはお互いの性格を非常によく把握できるようになっていった。(と思う。)

 

この人はいつも遅刻するとか、この人はチャラそうに見えて宿題を手抜きせずにコツコツ頑張ってるとか、この人は自分の国について語るのが好きなんだなとか。

 

ずっと一緒の机に並んで学んでいると特に「私はこうこうこういう人なんです」とはっきり言わなくてもその人の人柄ってだんだん分かってくるものなんだなあと思った。

 

夏休み、みんなが各々の母国に帰国する時期。先生が課題として一人一人に一冊の本とプリントを渡した。

 

先生からの宿題は、課題の本を読んで渡されたプリントに書いてある質問に答えること。

 

読書感想文の簡単バージョンみたいなものだった。

 

渡された本はドイツ語を学ぶ人向けに易しめのドイツ語で書かれた短めの小説で、ベルリンの壁が崩壊するまでの当時の東ドイツと西ドイツの関係や人々の暮らしについて書かれたものだった。フィクションだったけど、そこに書かれた当時の暮らしぶりは実際にあったこと。

 

短めといっても100ページはあったと思う。短期間で読み終えられるとは思えない。。

 

そういうわけで初めてのドイツ語での読書感想文もどきの課題を手に日本に帰国したあと暫くしてから、毎日数ページずつその本を読んでいくことに。

 

昔小学校の国語の授業であったような音読をしてみたり、分からない言い回しをツイッターで調べたりしながら読み進めていった。B1レベルとは書いてあるものの、結構難しい表現も頻繁に登場してて、そのたびに何回も調べていかないといけなかった。

 

アルファベットの羅列ってどうしてこんなに頭がぐるぐるするんだろうと思ったりした。

ゲーテの「読む」の試験の問題を解いているみたいだ、とも。

ただ読んで終わりではなくて、先生からのプリントを埋めないといけないというプレッシャーが、本の中で分からない言い回しに出会った時の疲労感を倍増させた。

 

プリントの質問内容は本の冒頭部分から終わりにかけてまんべんなくカバーされていたから、いい加減に読んでいくことはできなかった。

 

そんなこんなで苦戦しながら8月下旬、暑い日本ではまだ蝉が騒がしく鳴いていたころ、やっと私の読書課題も終わった。

 

そして9月も第2週目に入り、もうずっと先のことだと思っていた夏の集中講座が始まった。夏というか、気分はほとんど秋だ。

 

9月のドイツは時々ザーっと冷たい雨が降り注いで、朝も夜も冷え込みが厳しくなる季節。日本とはまるで違う。

 

長ズボンを履いて薄手のコートを羽織って1回目の集中講座へ向かった。

 

十分にバカンスを楽しんだ模様のこんがりと日焼けしたイタリアから来たフィリップは、前日にパーティーに行っていたのかその日も微妙にお酒臭くて、ついでにタバコのにおいがした。先生が、「またパーティーに参加してきたの?Fleissig !(勤勉だこと!)」と笑って言った。

 

そんな彼に対して日焼け対策を万全にしてきたアジア勢。。夏休み前と肌の色は全く変わっていない。バックの中には常に日焼け止め。

 

夏休みの過ごし方にもお国柄が表れる。

 

ちょっとガヤガヤした教室の雰囲気が落ち着くと、先生が皆に「宿題どうだった?そこまで難しくなかったと思うんだけど、どうだったかな?」と聞いた。ギク、私あれ結構難しいと思ったのに。

 

でも、ほかにも「質問文の意味が分からなかった」と言っている人がいたのでちょっとホッとした。宿題を忘れた人も何人かいた。

 

本そのものを忘れた人もいた。それを知らされた先生はちょっと困った顔をして、「○日までに絶対返してね、そうしないと私が図書館から苦情を言われてしまうわ」と言った。

 

小学校の夏休み明けの宿題提出の雰囲気にそっくりだと思った。

 

 

どれだけ集中して受けなければいけないのかと身構えていた集中コースだったけど、先生は以前と変わらず丁寧に優しく教えてくれて、ただ授業時間が1・5時間から4時間に増えただけだった。

 

お昼休みは12時に15分間あって、その間授業中に質問したかったけど聞きそびれたことなどを先生に質問できた。先生は2人いたのだけど、夏の集中コースを受け持った方の先生は誰かが宿題を忘れても「ちゃんと次までにやってくるのよ」とそれ以上忘れてきたことを責めない、優しい先生だった。

 

先生にまだ5歳と9歳くらいのお子さんがいて、時々育児の苦労話なども聞いた。

 

先生の旦那さんはドイツ人ではなくて、だから子どもは2か国語を話せるけど、うまく話せるのはお母さん(先生)の母国語であるドイツ語らしい。やっぱり住んでいる国の言葉をより使うようになるものなー。

 

ところで、もう一人の方の先生はいつもちょっと厳しかった。発音について、特に。

 

皆立ってホワイトボードに貼ってある発音の印を見ながらウムラウトの発音練習をするのだけど、これは結構どの国の言葉がその人の母国語かによってうまく発音できるかどうかが異なってた気がする。多分私は残念な発音の方。

 

一人ずつ単語を発音していって、うまくできなかったらその場で先生から発音のアドバイスを受ける。これがなかなか緊張した。先生はいつも手にミニ鏡を持っていて、「私の口の動きを見て」と言って鏡を使いながらお手本の発音を示すのだけど、みんなが見ている前で一人だけで発音練習をするのは何だか恥ずかしい。余りうまく発音できていない自覚もあって、なおさら。

 

だから、いつもできることならさっさと終わらせてしまいたい気持ちで一杯だった。人が発音するのを聞いている分には特に緊張しないのだけど。。

 

なぜ発音がいまいちなのか言い訳すると、日本語の中には例えばÖとかÜの発音はない。Äはエにかなり近いからほかの2つのウムラウトよりは上手く発音できてると思うけど、ÖとÜは本当に難しくて。

 

あとRの発音もいまいちだなあと自分で思う。前に市役所を意味する「Rathaus」と言ってもなかなか通じなかったし、そういうこともあってこの発音の先生の日はいつもより肩に力が入っていた気がする。汗

 

 

だけど、単語の発音をする上で重要な「単語のどこに(頭か中間か、など)アクセントを置くか」という仕組みがこの先生の授業を受けられたおかげで理解できるようになったのはとても良かったと思う。

 

語学コースを卒業してしまった今は、YouTubeの動画を聞きながら聞こえた文章を発音する練習を続けている。自分の声を自分で聞くのが普段どうやって発音しているのかが一番分かりやすいと聞いて、何度か自分の声を録音して練習したりもしてたんだけど、なんか妙に高い声に慣れなくてやめてしまった。効果があるならまたやってみようかな。

 

 

語学コース話に戻ると、コースのほうでは相変わらず先生から毎日何ページかの宿題をもらってそれを次回の授業までに解くというのを繰り返していた。

 

あとは、授業中に行われる単語テスト。毎回全部で20問くらいあって、これは答え合わせの時にお隣の人と交換して丸付けする形式だったので、できていないとお隣さんに勉強してこなかったのがバレてしまうタイプのテストだった。

 

 

それから教科書の章が終わるごとに大きめのテストもあった。これは聞き取り問題から作文、文法、単語のスペルチェックとすべてのモジュールをカバーしていたもので、このテストを受けるのも結構緊張した。

 

なんでかって、B2の試験をこのコース内で受けるためにはこのテストである程度の点数を取っていなければならなかったから。6回ほどあるテストの合計点があまりにも酷い点数だった場合や、そもそも授業に参加していなくてテストを受けられなかった場合などには、B2の試験を受ける資格はないと見なされてしまう。

 

だから教科書や授業で出てきた単語や文法、作文の書き方などはすべて復習しておく必要があった。

 

教科書は全部で200ページくらいあって、出てくる単語数はだからかなりの数になった。

 

毎回の単語テストや、大きな章ごとのテスト、宿題と、勉強しなければいけないものが多くあったおかげでこの語学コースに通って身についた語彙力は結構大きかったんじゃないかなーと思う。

 

 

勤勉に授業に参加して(1度だけいけなかったけど、あとは半年間全部の授業に出席した)、真面目に勉強していたので、本命のB2試験には焦ることなく挑めたし、結果も合格だった。

 

 

半年間ほぼ毎日顔を合わせた語学コースのメンバーとはかなり親しくなれた。宿題も教えあったり励ましあったりして一緒にドイツ語の勉強を頑張ってきた仲間、という感じ。

 

オケの楽器を専攻にしている人が多かったのもあって、今でもオケの休み時間とかたまに顔を合わせることがあると、一緒におやつを食べながら大学生活について語り合ったりしている。

 

 

B2の試験に落ちたらどうしよう、とプレッシャーだった時期も長かったんだけど、終わってみると楽しかったなあ。(B2合格通知をもらった時は、嬉しくてすぐに家族に連絡した。やっと正規の学生として専攻の実技レッスン以外の授業を取ることが認められた、と一人で感動していた。)

 

あんな風に本格的にドイツ語をドイツ人の先生にみっちり教科書を使いながら教えてもらうのは新鮮だったから、勉強を楽しく進められた。

 

ドイツ語のことも、独りで勉強していた時より好きになったと思う。先生が褒めてくれるのが嬉しかったし、みんなに追いつけるように頑張ろうと思えたから。

 

一緒に学べる仲間がいるって大事だなと思った経験だった。

音高時代・癒しのヨガの時間

音高の必須科目の中には、音高生が苦手とする(?)「体育」の授業もあった。 

水泳、テニス、卓球、ヨガ、バドミントンなど学期が変わるごとに微妙に入れ替わる5種目くらいの中から、好きなものを選べるシステムだ。1種目につき15人くらいのメンバーで一緒に授業を受ける。 

人気の種目には当然手を挙げる人が多いので、そういう時はくじ引きで決める。残念ながら落ちてしまった人は、人気のない種目へと移らないといけない。 

ちなみにいつも人気があったのはバドミントンと卓球で、一番人気がなかったのは水泳だった。不人気の理由は、水泳を選ぶと次の授業までの短い休み時間の間に髪を乾かさないといけないし、次に実技のレッスンなどがあって急がないといけない人には不向きだったからかな。 

私も水泳の授業は一度も取らなかった。なぜかって、自分にもっと向いている種目(!)を見つけてしまったからだ。 

私が3年間ほとんどずっと取っていたのはヨガの授業。 でも体育の授業では同じ種目を2回続けては取れないという決まりがあった。 

だからちょいちょいヨガのほかにもダンスやテニスを取ることもあったけれど、それでも必ず戻ってきて続けていたのはヨガの授業だった。 

ヨガに惹かれた理由は? 

何しろヨガだからあんまり激しく動かなくてよかったし、女子しかいなくてまったりした女子会みたいな雰囲気が流れている中で行われ、気を張ることがなかったから。あと授業中にちょっと眠れたから。(一応男女共学だったけど、女子生徒の数が圧倒的に多かった。8対2か、学年によっては9対1くらい?) 

1限目の体育は、朝の8時50分開始。着替えの時間を考慮して普段より10分遅く始まる。(ほかの授業は8時40分開始。) 

体育着に着替え終わると、普段使っている校舎の横にある体育館へ向かう。 

ところでこの体育着はすぐ乾くし、さらさらして肌触りもいいのでドイツまで持ってきてしまった。高校1年の時からだから、もう長く使っている。 

体育着の色は学年によって異なり、私たちの時は緑だった。姉は青。 

時刻は8時50分近く。 

時間になると皆ばらばらとやってきて、おはようー眠いねーとか言いながら各自でマットを引っ張てくる。(このマットがなかなか重かった。) 

そうしているうちに先生がくると、授業がスタート。一通り点呼が終わったらマットの上に横になって、あとは先生が「腕を伸ばしてください~」とか「首をゆっくりと回してみましょう~」とか言うのを、消えてしまいそうな意識の遠くのほうで、ぼんやりと聞きながらゆっくりと自分のペースでその通りに身体を動かしていく。 

金曜日の朝、月曜日から頑張り続けて疲れた身体で受けるこのヨガの授業。 

授業の間、ずっとヒーリング音楽みたいな曲が後ろの方で流れていて、体育館にはその音楽と先生の静かな優しい声だけが聞こえる。誰も何も話さないし、みんな今こそ日頃の練習で疲れた身体を休ませる機会、と全身をマットに預けてだらーんとしていた。 

そういうのんびりとした授業だったから、授業中に本当に眠り込んでしまう子もちらほらいた。(私もとっても眠かったので一瞬意識が飛んでしまうことがしょっちゅうあった。) 

だから授業が終わるころに「○○、起きてー。授業終わったよー」とか声をかけられる子もいたりして。 

みんな本当に疲れていて眠そうだった。普段はよく喋ってハイテンションな子も、普段から静かな子も、みんな同じようにこのヨガの時間を楽しんでいた。 

晴れた日には外で鳴いている小鳥の声がちゅんちゅんと聞こえて、雨の日には雨のしとしと降る音が体育館の天井に響いていた。 

時々下の階から、卓球の熱戦を繰り広げているであろう卓球組の子たちの叫び声が聞こえてきたりもした。(私たちがヨガの授業を受けていた場所は、4階分くらいあった体育館の一番上の階だった。) 

90分間マットの上でごろごろ、難しいことは何もしなくていい、まさに「癒し」の時間。 

それは、私が今まで受けてきた小学校、中学校の体育の授業とは全く正反対のものだった。 

小学校の頃は今よりももうちょっとアクティブだったから、気持ちというか、勢いで体育の授業も乗り越えられていた。(気がする。) 

そもそも授業内容がまだそんなにハードではなかったし。 

水泳は一番下のクラスで気楽に泳いでいたし、恐ろしい高跳びも、できない人グループに振り分けられてその中でぴょんぴょん飛んでいれば「よくできました」 をもらえた。

そうはいかなくなったのが中学に入ってから。 

中学の体育は、まさに「これは義務教育です。全てこなして当然です。苦手とか、そんな言い訳で逃げてはいけません。」という感じで厳しくてキツイものばかりだった。先生も厳しかった。 

長距離で走らされる距離は想像を超えていたし、速く走ることもできない自分にとっては短距離走も超・苦手種目。 

それにバスケットボールとかバレーボールという球技は男女合同で行われて、背も高くて体格もがっちりした男子の投げてくるボールが速くて速くて恐怖でしかなくて、毎回「もうこのへんで勘弁して」という気持ちで授業に参加していた。 

ボールと遊ぶのって、本当に苦手。年に一度の体力測定で「ボール投げ」という種目があったけれど、毎回、全国の平均値にまったく届かなかった。なぜか、ボールを一回つくともう二度とバウンドしてくれないの。もしくはあさっての方向にコロコロ転がっていっちゃう。難しかったなー。 

体力測定で全国平均より上回ったのっていえば、握力くらい。 

右左どちらも33くらいあったから、それだけはかろうじて点数が良かった。あとはボロボロ。 

小学生の時には多少あった活発さも、中学校での体育を経験していくうちにすっかり気持ちが挫け、どこかへいってしまった。 

いつも皆の前で自分の不出来さをさらすことになるのも辛かった。 

あと、リレーの時に自分のせいでチームが順位を落とされた時も辛かった。精神的にはそういうのが一番ダメージが大きかった。 

中学での体育の授業にそういう黒歴史があっただけに、音高に入学して初めてこのヨガの授業を受けたときは本当に「体育の授業ってこんなにリラックスして受けることもできるんだ」と思った。 

全身の力が抜けていく感じ。もう、誰かの足を引っ張ることはないんだ、という安堵の思い。 

それからはじめて体育の時間が楽しみになった。 

体育がある金曜日はオケもある日で、楽器とカバンを抱えつつ体育着も持ち満員電車(いつも以上に疲れ切った人でいっぱい)に乗り込むという、通学に関して言えば一週間で最も過酷な日だった。毎週それに耐えられたのは、その先にあの癒しの時間が待っていると知っていたから。 

体育ってこういうのもアリなんだよ、って教えてくれた音高の体育の先生には本当に感謝している。 

授業中のみんなの表情もリラックスしていて、笑顔も浮かんでる。自分のやりたいペースで進められる。「技術の差」によって成績をつけられることもない。 

それで、いいじゃないかと思う。体育が得意な人がいるように苦手な人もいる。みんながそれぞれ好きなように思い思いに体を動かしてスポーツを楽しめれば、スポーツの本来の目的を達成できているんじゃないか、と。 

まあ、音高の体育の授業は実技で成績を決めない分、欠席に関しては厳しく、例えば授業を2回休めばもう「3」となった。遅刻は2回で欠席1回分。5分遅れれば遅刻扱い、15分遅れるとその日は欠席扱いとなる。(電車の遅延による遅刻はまた別。) 

欠席とはなるものの、それでも授業に参加したい人は参加してもよし。どうするかは自分次第。ただし、その日は授業に参加したことにはならない。 

緩すぎるとそもそも授業に来ない人も出てきそうだから、そういう厳しさも必要なのかなあ・・。 

と、大学生になって体育の授業と完全にお別れした今、過去の体育の授業を振り返って思う。

教会の鐘とともにある生活

今日は日曜日。教会の鐘が朝から厳かに鳴り始める日。

ここドイツでは多くの人が教会に足を運ぶ日でもある。

 

「こんなに鐘が長くなっているということは、今日は日曜日だ。」という具合に、もしその日の朝に鳴る鐘の音がいつもより長く続くようなら、その日は日曜日ってことだ。

 

日曜日、パン屋さんなどを除くほぼ全てのお店は閉じられて、朝方の街はしーんと静まり返っている。

 

教会は、私の住んでいる家の周辺だけに限っても、少なくとも2つはある。街全体でいうと13くらいあった気がする。だから、この街にいる限り教会の鐘の音を聞かないことはない。

 

教会の鐘は、朝の9時ごろから夜の8時頃まで30分おきに鳴る。

だいたい「ゴーン」の一回で終わるけど、教会内で何かの催し物があるときはそうとも限らない。

 

ちなみにこの文章を書いている今現在も、教会の鐘がゴーンゴーンと鳴っております。あ、止んだ。あ、雨が降ってきた。窓を閉めなくては。

 

 

クリスマスなどの大切な行事が近づいてくると、教会で催し物が行われることも多い。そんなときふと目を向けると、入り口に行列ができていたりする。

 

きっとあの中で行われるのは、大切な人に向けた静かな祈りの時間。

 

 

 

教会とは違うけれど、日本の私の実家から歩いてすぐのところにはお寺がある。

 

そのお寺からもまた鐘の音が聞こえる。いつでも変わらない、ゴーンゴーンという静かな鐘の音を聞くのが好きだった。

 

ドイツの教会の鐘の音よりも少し低くて、長く余韻のある音。

 

 

休みの日に朝6時ごろに起きて窓を開けると、お寺から鐘の音が聞こえてきて、そういう日は「あ、今日は早起き出来たんだ~」と嬉しくなったりして。

 

そのお寺ではお正月の除夜の鐘から始まり、お彼岸、お十夜など毎月何かしらの行事が催されている。写経もできるし、精進料理もいただける。

 

お正月には多くの人が除夜の鐘をつきにやってきて、またお十夜では多くの屋台が立ち並ぶ。

 

お十夜が始まった日の夜の6時頃。

 

太陽が沈んで空が暗くなりはじめると屋台が次々に組み立てられていって、そうしているうちにどこからともなく近所の子どもたちがワイワイ賑やかにやって来る。

 

遊びに来るのは子どもたちだけではなくて、その家族や学校の先生も来る。浴衣姿のお姉さんたちも、いい感じの雰囲気のカップルも。

 

屋台はたこ焼き、お好み焼き、チョコバナナなどの定番メニューを売り出しているお店から数珠が並べられているお店、日本各地の郷土玩具を揃えたようなちょっと珍しいものまで様々。

 

つぎつぎ焼き上がるフランクフルトのジューシーな匂いに、昭和っぽいおもちゃの鉄砲撃ちに挑戦している男の子の歓声、混み合う屋台の中でカランカランとベルを鳴らして「おめでとうございます、チョコバナナもう一本当たりました~!」と叫ぶお兄さん。

 

どんどん盛り上がっていく。

 

ところで私の個人的なお気に入りのメニューはというと、イカ焼き。あのちょっと黒々とした肉厚イカに香ばしい匂いを放つお醤油がなんてマッチしていること!たまらないよね。お醤油が油断すると垂れるので、服を汚さないように注意が必要だ。

一パック500円くらいだったかな。

 

普段はたった500円でも本当に買って良いものかどうかずいぶん悩むのに、こういうお祭りの賑やかさのなかでは、ついお財布の紐も緩くなってしまう。

 

それからアツアツの大きくてしっかりとタコの入ったたこ焼きも好き。お祭りで買うと6つくらいしか入ってないけど一つ一つが大きくて、タコの他にも具材がみっちり詰められている完璧なたこ焼き。これも一パック500円くらいだ。

 

 

普段はほんとうに静かで、ただただ厳かで澄んだ「気」だけが存在しているような境内が、この時期だけはどこかからワアッと人が集まって来るから不思議だ。

この辺りってこんなに人が住んでいたんだ、と思ってしまう。

 

 

行事のないときにはお寺にやってくる人は多くなくて、たいていは気持ちよさそうに日向ぼっこしている猫しかいない。

 

時間が、ゆっくりと過ぎていく。

 

 

春。華やかに咲く桜の木の下には、いつものように気持ちよさそうに丸まって眠る猫たちの姿がある。

のんびりと寛ぐ猫たちを見ているととても穏やかな気持ちになる。

 

何でもないとき、ふだんのお寺で出会うのは、この猫たちの他にはお散歩中の犬とその飼い主さんくらいだ。猫はお寺に住みついているのだと思う。

 

私はお祭りをしているときの賑やかなお寺も好きだし、心が洗われるようなふだんの静けさも好き。

 

6歳の時にこの土地に引っ越してきて、18歳でドイツへ留学するまでの12年の間に、そのお寺は私にとっていつのまにか無くてはならない存在になっていた。

 

 

高校受験のときにはお守りを買いに行ったし、遠くに住む友達が遊びに来たときにはまるでお寺が自分の家であるかのように、境内を歩いて紹介してまわった。(笑)

 

お寺からは、すべてが浄化されるような清らかな「気」が感じられて、それが自分にも分け与えられるような感覚があり、それが私を癒し、安心させてくれた。

自宅から歩いてすぐのところにあるこじんまりしたそのお寺は、私にとってそういう存在だった。

 

 

今また教会の鐘がゴーンと短く鳴った。

 

日本からドイツにやってきて一年半。

 

ドイツの自分の家から歩いてすぐのところにある教会は、レンガ造りの、ステンドグラスが印象的な、いつも人の出入りが多いドーンとした大きな教会。

 

学校の合唱のコンサートの会場として使われることも多く、たぶんこの街の人から誇りに思われている教会。

 

これまであちこちで、何度もいろいろな教会に入ったことがある。とても大きくて立派な教会や、シンプルだけど清楚で落ち着いた佇まいの教会。

 

教会の中も、人を包み込むような温かい雰囲気があって気持ちが落ち着くから好き。

 

 

とはいえこの近所の教会にはまだ、なんとなく勇気が出なくて(入場料が2€かかるのもあるかも)入ったことがない。

 

いつか入ってみたいな。そこにもいつものように清らかで厳かで静かな空気が流れていると思うから。

B2受験とドイツへの旅立ち

ドイツ音大受験対策コース
ドイツ語A1~B2対策コース
ドイツ音大 ソルフェ対策コース

B1に合格して晴れてドイツ音大の入学条件をクリアした私。(多くの大学がB2を入学の条件にしているが、実際は入試の時点ではB1で通過、B2合格は入学後でよい場合もある。)

私の行きたかった大学は入試の時点でB1が必須、入学してから半年以内にB2に合格しなければ入学を取り消す、という決まりがあった。

それなら入学する時点でB2合格かそれに近い語学力がついていれば安心して留学生活をスタートできる、と考えて入試の後、さっそくB2の問題集を購入した。(ここまできて、語学のせいで半年後に退学になったらショックすぎる) 

 

買った練習問題集をパラパラとめくってみて思ったのは、 

B1も十分に難しかったけど、B2はそのもっとってこと。 

求められる語彙力はとても高く、なおかつある程度以上のドイツについての知識や自分の国についての意見持っていないと「話す」の試験には受からない。 

それに「読む」の試験では、短時間に必要最低限の情報だけを抜き取って問題を解くスピードも求められる。 

大量のテキストを読むことにも慣れていかなければいけないし、記事読んで目っているようでは受からない。実際私はこれをクリアすることが出来なくて、入学までに「読む」の試験には合格できなかった 

限られた時間のなかで全部をまんべんな勉強するのは難しく、4つのモジュールの中ではこの「読む」の勉強一番多くの時間を割いた 

 

その次、これまた難しい「聞く」の課題。 

最初の課題では、たったの1回きりしか話してくれない会話の内容を穴埋めしていかなければならない。これが本当に緊張する。 

聞き取る内容は、電話番号や何かの催し物の開催される場所、それを斡旋する団体の名前だったり人だったり、集合時間だったりと様々で、人の名前などの固有名詞が1課題につき2つくらいあるのも痛かった。 

例えばドイツ人にしてみればポピュラーかもしれない名前でも、日本人の私にしてみれば全然聞きなれない&未知の名前だったりする。これは聞き取れなくても仕方ないよね、と思う。 

だけど、たとえこの課題①の試験でうまく穴埋めができなくてもあきらめずにさっさと次の問題の準備に取り掛かる、というのがB2の「聞く」の試験に受かるコツかもしれない。  

ああなんで聞き取れなかたんだろう・・など一瞬でも考えていたらどんどん時間が過ぎて次の課題に移ってしまうので、そうなるくらいだったら課題①は放っておいてそこそこに点数の比率の高い課題かける時間を増やたほうがいい 

 

「書く」については、自分ではあまり対策をしなかった。B1とさほど変わらない気がしたし、何より自分には他に時間を割くべきもの(「聞く」と「読む」)があったから。  

このB2試験、もちろんB2レベルの語学力や知識が問われる試験ではあるけど、それと同じくらいにいかに「試験を要領よく解いていけるか」というのも非常に重要だと思った。  

結局のところ、ドイツへ渡航する前の段階では「話す」と「書く」の試験にしか合格できなかったのだけど、勉強して試験を受けておいた意義は十分にあったと思う。  

B1の時よりももっともっとドイツ語を勉強するようになったし、勉強の方法も自分なりに編み出せた気がするから。 

 

 

ところでB対策として週に1度カフェトークでドイツ人の先生と一緒に準備をしていったのだけど、これが「ドイツ語を話す」よい訓練になったと思う。  

先生はほかにも毎週プリントを3枚くらい宿題にして出してくださって、それらを解いていって文法をさらに詳しく学んだりした。「書く」の作文問題も添削していただいたりした。 

先生のレッスンはいつもすごーく楽しかった。とても優しくてお綺麗で、きちんとした真面目なお人柄で、だから画面越しだったけど毎週先生にお会いするのがとても楽しみだったB2の受験にあたって、この先生が私のドイツ語勉強のモチベーションを大いに上げてくださったのは言うまでもない。 

ドイツに渡ってからはレッスンを入れられずにいるけど、その節は本当にありがとうございました。 

 

 

ところでB2の試験対策に追われていたころ、私はにもいくつかこなさなければいけないものを抱えていた。   

高校の卒業試験と、ドイツへの渡航準備。自分たちのコンサートの開催、ピアノのコンクールへの参加。学校行事では卒業式があり、ついでに18歳になる自分の誕生日もその時期だった。   

ヴァイオリンに関しては、実を言うとこの頃は日によっては練習よりもドイツ語を勉強している時間の方が多いこともあったりして、多分自分としてはヴァイオリンよりもドイツ語の方が切羽詰まっている気持ちだったんだと思う。(勉強したいというよりも「絶対にやらねば!」という感じだった。) 

そうはいっても目前に迫る卒業試験、1番くじを弾いてしまった自分は一般公開で行われる卒業試験のトップバッターにふさわしい(?)演奏をしなければいけない。  

当時私が通っていた日本でもトップレベルの音高において実技のレベルが高いのは当たり前で、本当に飛びぬけて上手い人もぞろぞろいたその中でやっていだけ精神力を保つには実技のレベルを上げていくことしかなく、それとドイツ留学の準備(ドイツ語試験も含め)を両立させるのは簡単ではなかった。   

それと、渡航するにたって必要な書類の準備。 

各種証明書など大学に提出するものや、入国審査で必要なものなど必要な書類をリストアップして漏れがないかチェックして・・ 

受験の書類に何か漏れがあったら日本へ帰国しなければなくなるから、ピリピリした気持ちで準備をしていた。  

 

それと渡航の直前に自分たち(姉と私)コンサートも入っていて、その準備しなければならず、これも精神的に自分を焦らせていたものの一つだった。 

コンサートでは母や叔母、その他多くの方が受付や会場の準備、お客様の誘導などのコンサート開催に必要な作業すべて引き受けてくれていた。その手厚いサポートに感謝しつつも心の中では本番に向けて不安や焦りがあって。  

コンサートで弾く曲はもちろん完璧に弾き込み、曲と曲との間のトークもお客様にとって楽しく、かつ分かりやすいものを提供したいと思っていた。 

始まりのご挨拶や終わりの感謝のことば聞き取りやすい話し方や表情など、「コンサートに来て良かった」と思って頂けるように、今から考えておかなければならないことはたくさんあった。  

舞台に立つので、軽くダイエットもした。(私は食べることが大好きだから、こういう本番でもないとつい食べ物に手が伸びてしまう。ちなみに食べ物の中では、フルーツがとっても好き!)  

 

ドイツ渡航の1か月前に抱えていた本番としては、その他にもピアノコンクールへの出場があった  

当時音高で副科ピアノのレッスンをしてくださっていた先生から有難くも「一度ピアノのコンクールに出てみないか」というお誘いがあって受けることになったこのコンクール、出るからには良い結果を残したいという思いが強くあった   

副科の生徒である私に学校外での演奏機会を用意してくださった先生の期待にも応えたかったし、そういうわけでピアノの練習もやることリストに加えられた。 

このころ、高校生活の中で一番長くピアノを練習たと思う。自分はピアノも好きだなあと実感させてくれたコンクールだった。 

ピアノのコンクール

 

 そんなこんなで高校3年の2月3月のこの時期は、飛行機でドイツへ飛ぶまであと1か月というのに、真剣に打ち込まなければならない事を山ほど抱えており、だからこそ全てが終わった時には「やりきった」という充実感でいっぱいだった。 

ピアノのコンクールでは良い結果を残せたし、卒業試験でのトップバッターも乗り越え、ドイツ語のB2試験にも2つのモジュールに合格し、コンサートには思いがけなくとても多くのお客様が聴きに来てくださった。(本当に本当に嬉しかった。 

  

3月半ばには音高も卒業し、3年間通った往復5時間の旅とも別れを告げた。 

 

楽器を抱えながら乗り込むギュウギュウの車内、密着状態の人々の波に飲まれて満足に息もできずにじっと降りる駅が近づくのを待つしかないあの苦痛な満員電車さようなら。それに気づいた瞬間、心がふわーっと軽くなった気がした。 

 

次々に行事が終わり、去っていくのを実感しながらあとはいよいよドイツへ飛ぶだけとなった 

最初は何でも詰め込んでいたスーツケース。ドイツに持っていくにはすぎて手放さざるをえなかったものたち(冬服とか)と泣く泣くお別れしてちょっと痩せたスーツケースをゴロゴロ転がしながら、まだ明け方の人の少ない時間に空港へ向かった。 

 

そうし、私の新しい生活が始まった。 

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A2受験とB1に合格するまでの話

ドイツ音大受験対策コース
ドイツ語A1~B2対策コース
ドイツ音大 ソルフェ対策コース

A1に落ちたことを受け止めてから、まだ勉強を続けていた。 

そうして数か月経ったころ、今度はもう一つ上のレベルの試験に挑戦してみたくなった。 

 A2レベル。これに受かれば、 

 

  • 日常でよく使われる文や表現を理解し、使いこなすことができる 
  • 単純な、よくある状況でコミュニケーションでき、日常的になじみのあるテーマについて情報交換できる 
  • 簡単な言い方で、自分の出身地や学歴、身近な状況や必要なものについて説明することができることが証明でき 

 

ようになるらしい。(ゲーテの公式サイトより) 

そんな、英語でも全く到達していないレベルの試験を(A1に受かってもいないのに)いきなり受けて良いものだろうかという考えもちらっと浮かんだ。 

だけど、とりあえず受けてみてこの数か月の自分の勉強成果を見てみたいと思ったから、お申込みフォームのところへいって銀行振り込みの手続きを完了させるまでにそう時間はかからなかった。 

その後はテキストを買って試験の模擬問題を確認したり、ドイツ語をオンライン上で学べるサイトで文法を学んだり、ドイツ語の発音がまるで分からなかったのでスペルをタイピングして、その読み方をカタカナで書いていったり 

地道に勉強を進めた。 

 

だけどこの1回目のA2の試験、正直気合が足りていなかったと思う。ドイツ音大入学の直前、B2の受験日が目前に控えていたころの私のそばには常に単語帳や教本があって、時間を惜しんで本当に焦って勉強していたから、それに比べたらまだまだお気楽なものだった。 

なにせ、覚えようとしている単語量が合格ラインに全く見合っていない。それでよしとしてしまっていたのは、落ちても受かっても、何が起こるわけでもなくただ私の努力が結果に出るだけだったからかも。そのころの私には、留学直前だった姉と違って、ドイツ語試験に受からなければならない理由もなかった。

ドイツ語の勉強仲間はいたけれど(母と姉、そして公民館のドイツ語会話同好会の皆さん)気分は独学だった。実際のところ、私のドイツ語勉強は完全に自分のペースで進められていった。 

塾みたいなところに行かされて、先生から何日までにここまでやらないと落ちるよ、などと言われることもなく、だから毎日どれだけ勉強が進むかは自分次第だった。 

 

あ、これはバイオリンも同じ。結局、この「どうなるかはすべて自分次第」というのは楽器の練習と全く同じことだ。違ったのは、私のドイツ語勉強にはバイオリンみたいに毎週の恐怖のレッスンがないこと。 

 

もしレッスンがあると? 

 

それはもう誰にも何も言われなくても準備不足による恐ろしすぎるレッスンを迎えることだけは避けたいと思うようになる 

この日までにこの曲がここまで完成されていなければならないという使命があれば毎日のノルマも自然に出来上がってくる。 

このノルマを自分で設定して確実にそれをこなすというそれに向けての気合、やる気というものがこのドイツ語勉強に関してはこのころ、さっぱりなかった 

 

これが敗因か、結局1回目のA2(通算2回目のゲーテ試験)も不合格だった。それも100点中30点という、なかなか信じたくない酷い点数だった。 

胸がまたきゅーんとなった。自業自得だ。 

一体どれほどの勉強を自分に課すことが出来たのか?どれほど集中して取り組んだ 

反省することはたくさんあった。 

たくさんあったのだけど 

  

2か月後、この胸の痛みを抱えながらまたA2の試験にチャレンジした。4つのモジュールの点数を合計100点に換算した点数は、前回より20点上がって50点だった。Schreiben(書く)の点数が前回の10点から50点に上がっていたのは嬉しかった。 

 

だけど、結果はまた不合格 

 

ああ、いったいどうやってこの3回も不合格になったという事実向き合えばいいだろう? 

60点以上点を取らなければ、いつまでも自分は何の試験にも合格していない、ただのお金を無駄にするだけの人になってしまう。 

そんな気持ちが自分の心の奥に表れていたのに気づきながら、3月。16歳の誕生日を迎えた私はそれからしばらくして懲りずにまたゲーテの試験を、今度はB挑戦することにした。 

A2も受かっていないのにB1を受けることにしたのは、もうA2の試験問題集を解くのは嫌だという気持ちと、A2で50点取れてたのならB1も雲の上のレベルではないはず、と思ったから。 

それに3回も試験を受けているから、会場の雰囲気はもう十分に知り尽くしている。Sprechen(話す)の試験官の先生も、どの先生がきても全員一度は話したことのある先生だ。 

オンライン上でドイツ人の先生とドイツ語で会話できるレッスンも受け始め、以前よりドイツ語を話す機会も増えていた。 

覚えなければいけない単語の数も把握しているし、こなさなければいけない課題も一通り終わらせた。 

 

だけど 

 

B1の試験当日。 

試験慣れはしていたはずだったけど、と同時にどこか自分の心の中に「今回この試験を受けてもまた落ちるんじゃないか。」という気持ちが試験中もずっとあった。 

まただめになるんじゃないか。あ、今なんて言ったのか聞こえなかった、どうしよう、この問題取り損ねたかも。あれ、この課題では何点取ればいいんだったっけ。 

隣の人の、すごい勢いで問題を解いている音が耳に入る。いやな音だ。周りの人の答案用紙が裏返されていくのを自分の耳がキャッチしてしまう。つまり皆、もう後半の問題に取り掛かっているということだ。 

そして私は? 

まずい、時間がない。もうあと10分以内にこの作文の課題をすべて書き終えなければいけないだなんて、どうしよう! 

試験では始終焦っていた。 

「落ちる。落ちてしまう」という気持ちでいっぱいになってしまい、純粋に試験の問題と向き合えていなかったのかもしれない。 

 

結果、また合格できなかった。今回は「書く」の試験が79点で合格していたのが、ほかのモジュール(話す、聞く、読む)不合格通知を受け取った心のダメージをいくらか軽くしていた。(1モジュールずつバラバラに合格しても、4つ揃えばB1に合格となる。) 

でもまだこれからだ、だって全部合格してはいないのだから。 

 

次の試験どうしよう。受けるべきか、それとも 

 

あまり試験に落ち続けたので、これははたして受かることなどあるのだろうかと考え始めいた私にある日、「ドイツの大学見学しに行かないか」という何とも信じられないようなオファーがきた。(母と姉から。

姉は本物の音大受験のための渡航で、これを最後に当分は日本を離れてドイツで暮らすことになっていた 

えー、だってそんな、いや、私全然ドイツ語話せないし。英語だってソーリーしか言えないし。海外なんて、怖いよ。危ない。学校のオケも休まないといけなくなるし、レッスンだってあるのに。先生になんて言えばいいんだろう。 

いやでも、ドイツかせっかくドイツ語勉強してるしなあ。 

うーん。お姉ちゃんが行っちゃうなら、私もやっぱり行ってみたいような気がする。 

 

こんな調子で数日間、初めての海外・ドイツの旅に同行するかしないか迷っていたけど、そうこうしているうちに私も100パーセント行く方向に決定してしまい、気が付くと私は母と姉とともにドイツにあっさり着いてしまっていた。 

ところで私、どうしてこういう話が出る前からあんなに(義務でもないのに)本気で勉強していたんだろうか。 

まだ見知らぬ、でもその後出会うことになるドイツの先生とのレッスンに備えて?そんな考えはまだ浮かんでいなかった。 

初めてドイツ人教授のレッスンを受けるまでドイツの音大に入ろうなど考えていなかったのに、中学3年の終わり頃にはドイツ語の勉強を開始して、いつの間にか夢中になっていたのは謎だ。実に謎。 

だけど積み重ねてきたこの勉強のおかげで、いざドイツという国、言葉、文化実際に肌で感じてから抱いた憧れを、のちに音大入学という形で実現させることができた。 

 

もしそれまでののドイツ語勉強の時間がなかったら 

 

このドイツの旅のあとに語学の勉強を一から始めていたのでは、自分にもっとハードな勉強を課さなくてはいけないところだった 

もしくは勉強を始める前に、語学の壁の高さくじけてすべて諦めてしまっていたかもしれない。 

 

いくらでも甘くなれる自分に対して厳しい姿勢を貫くのは全然簡単じゃない。 

その点、それまで地道に勉強を続けてきた自分をちょっだけ褒めてあげたい。 

 

それでドイツの空港に着いたときに戻る。飛行機を降りた瞬間に、「あ、匂いが違う。ここはもはや日本ではない」と感じた。もう戻れない、と。(実際には10日間くらいで日本に戻ったのだけど。)  

日本人女性の平均身長を下回る私より背の低い人なんてそれこそ子どもしかいなかったし、空港に着いてしまってからは未知の土地に降り立ってしまったという恐怖と不安でいっぱいだった。 

空港にあったスタバで紅茶を注文したけど、「小さいサイズ」を何というのか、実際にドイツ人の店員さんを前にするとまるで言葉が出てこなくなる。 

使う言葉が違うってこういうことかとその時ちょっと実感した。 

そして待ち受けていた例の苦行のソルフェージュ講習。この講習を受けてみて、もう圧倒的な敗北感というか、そこでようやく初めて完全に自分のドイツ語力のレベルの低さを全身で体感した。スタバの紅茶の注文どころではない。 

 

なんという貴重な機会、もしこのとき母や姉と一緒に来ていなかったら永遠に自分の本当のドイツ語力を知ることができないままでいただろう。 

この時、講習だけでなく大学の教授の実技レッスンも受けることができた。初めての外国人の先生とのレッスン、緊張して緊張してレッスンの間ずっとドッキドキだったけれど、先生がとても温かく迎えてくださったことが忘れられない。(このときの記事: 先生との出会い1 )

色々体験してみて1週間たった時、自然に「高校卒業したらここで学びたい」と思った。  

そのためにはまずもっと語学力がなければいけない。 

 

帰国してからすぐに次のB1の試験の申込みをして、それから試験日まで、今までになく本気で勉強した。 

ドイツ語勉強に使える時間はどこにある、と探すまでもなく、そのことは自分でも分かっていた。 

長い通学時間-自宅から高校までの往復5時間の旅を有効活用すること。それしかない。そうしないと試験には受からない 

眠い時は電車の中でほとんど眠りながらドイツ語の単語アプリで延々と単語を聞いて、バスの待ち時間、電車のホームで並んでいる、学校の授業と授業の合間の休み時間。隙間の時間は全部ドイツ語の勉強に費やした。 

 

そうして迎えたB1の試験でようやく初めて4モジュール揃って合格することができた。  

涙が出そうだった。実際出てたかも。それまで試験に落ちすぎて精神的なダメージは相当なものだったし、自分の勉強方法が正しいのかもよく分からなかった。 

このときは試験会場に着いたときに「たくさん勉強したんだから落ちても悔いはない」と思えるくらいには自信があり、だから今回の試験は大丈夫だって思いながら試験を受けられたことが嬉しかった。 

ドイツ語を勉強し始めてから1年半が経っていた。 高校2年生の夏。

B2受験 につづく

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ドイツ語との馴れ初めとA1受験までの話

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一番初めにドイツ語の単語を覚えたのは多分小学3年生くらいの時、社会の授業が学校で始まったころに世界地図が配られたときだった。 

 

真新しい世界地図の本が一人ずつに配られて行って、私のところにも順番が回ってきた。 

表紙は緑で、大きく描かれた地球儀からいろんな人や雲、建物とかがびよーんって飛び出しているデザイン 

 始めのページをぱらぱらとめくっていくと、そこにはいろんな国の「こんにちは」が世界地図とともに載せられていた。 

 そこでふと、ドイツ語の”Hallo”が目に留まった。 

英語圏は”Hello”なのにドイツでは”Hallo”なんだ、1文字だけ違うなーと。 

 

ところで、世界地図は(地図読めないのに)割と私のお気に入りだった気がする。 

 

いろんな国の民族衣装や文化、言葉などが写真やイラストとともに紹介されていて、当時の私の好奇心を刺激するには十分なアイテムだった。 

その時は、まさか9年後に自分がドイツの大学に入学することになるなんて全く思ってなかったど。 

  

月日は流れて、4年後。私は中学3年生になった。姉は高校2年生(音高ピアノ科)、第二外国語の授業を受けられる学年だ。それで姉はドイツ語を選択したらしく、そういうわけで家には自然とドイツ語の教科書がいつもピアノの上あたりに置かれるようになった。 

 まあ何となく想像がつくかもしれないけど、いつもいつも姉の持ってるものや取り組んでいることに興味津々な私が、その新しいドイツ語の教科書に対して興味が湧かないはずがなかった。 

  

ドイツ語の授業の様子― 何が難しいだの、そもそもドイツ語がどんな言語なのか、先生はどんな感じの先生なのか、とかいろいろ姉から聞かされているうちに私も高校に入ったら第二外国語はドイツ語を選択したい!という気持ちが膨らんだ。 

 

(もちろん、高校は姉と同じところに行く気満々。結局私は保育園から大学、(ひょっとしたら大学院も!?)まで姉とずっと同じ学校に通っている。) 

 

そのうち、高校2年生にならないうち、ひと足早くドイツ語の勉強をしてみたいと思うようになった。 

語学の勉強が大変だっていう自覚はその時はあまりなかったし、どんな言葉なのかという興味の方が強くて、ぼちぼち姉の教科書を眺めたり、スケジュール帳の後ろについてる海外の数字の言い方コーナーのドイツ語のところをみたりしていったのが、その後長―く続くことになるドイツ語との馴れ初め。 

  

以前記事でご紹介した通りそうしているうちに姉がもしかしたらドイツの音大を受験することになるかも?という話があがった。留学したいのならもっとドイツ語の勉強をするべし、そうと決まれば近所にドイツ語愛好会というサークルみたいなのがあるからそこに通おう!ということが決定。 

 

姉一人行くのもなんだから、私もついでに行ってみたら?ということで、特に反対する理由も持たずにドイツ語愛好会に参加。季節は1月、私は音高受験を間近に控えていた。 

 

入会したときは自分の名前もスラスラ言えない状態だったのにドイツ語愛好会の皆さんは本当に暖かく迎えてくださって、だから特に自分のドイツ語レベルに気兼ねすることなくマイペースに勉強を進めていこうと思えた。 

  

2月。音高受験(バイオリン)に無事に合格し、4月、晴れて花の女子高生に。(まあ実際には初めて高校まで行って帰ってきた時、家から学校までの往復5時間という長い通学時間に、これからの3年間の高校生活を想像して少しばかり自分に憐みの目を向けていたのだけど。) 

 

そうして数か月たったころ、姉がゲーテインスティテュートのドイツ語試験を受けることに。せっかくドイツ語を勉強しているわけだし、私も受けてみたいな、と思ってA1(一番下のレベル)を受験することにした。 

 

A1のための試験本を買い、単語を覚えて、「れくらい出来てたらきっと受かるよ!」なーんていう優しい母の言葉を信じて本気の試験対策をすることなく試験日を迎えた。(自分に対していつものことながら甘い!) 

姉はA2(一つ上のレベル)を受けるというので、滅多にないことに一人でのお出かけ。 

教本を持って、青山一丁目駅を降りて何分か歩いたのちに無事に会場に到着した。 

 

ところが、この会場の冷たい静まり返った空気は何? 

 

高校1年になったばかりの子供みたいな私が、大した覚悟もなくぽわーんとやってきて良い場所じゃなかった、ということにその時やっと気が付いた。学生証を手に受付に並んだものの、こんなところに来るべきじゃなかった・・という気持ちが隠せない。 

 

受付のドイツ人のお姉さんから年齢を聞かれ「15歳です」と答えると、笑われた。 なぜ?

「そんなに若いなんて!」と言う言葉が聞き取れたので、私が子供なので可笑しかったのかなと思う言われてみれば、周りにいる人はみんな大人だった。 

 

スタンプの押された受験票を手に握りしめて、おずおずと受験会場の席に着く。 

試験開始の時間になったころ、担当の人がやってきて試験を受ける際の説明を日本語でしてくれた。(これが、A2かB1となるともう全てドイツ語での説明となる。) 

 

青または黒のボールペンしか使えないこと、間違えた解答は塗りつぶして正しいと思う回答に×印をつけること、それも違うと思ったらそれもまた塗りつぶして違う回答に×印をつけること、など。 

  

全部で3時間くらいあったのかな、記述試験がすべて終わったころには私の頭はすっかり疲弊していた。でも、まだ口頭試験がある。 

  

口頭試験、それは私が一番恐れていたもので、実際にこのA1の試験結果は口頭試験のおかげで不合格になってしまったのだった。 

  

口頭試験では、2人のドイツ人の試験官の方が受験者に色々質問をしたり、受験者同士があるテーマに沿ってドイツ語で会話をしたりしながら進められていく。 

 

この時の受験者は私と、もう2人大学生っぽい若めの男の人がいた。試験官の方が2人で、全部で5人が同じ部屋に集まる。 

 

 始めに自分の名前を聞かれてそれに答えた。次にあなたの名前はアルファベットでは何と綴るのですか、と聞かれたからそれにも答えた。そんな軽い自己紹介の後で、何枚かカードが配られて、カードに描かれた絵を使ってほかの受験者の方に質問をしたり、またその反対に質問に答えたりするという課題が始まった。 

私はこの試験のために数多くの単語を覚えていったわけではなかったから、知らない単語ばかり出てきてとても焦った。当たり前だ、試験にはちゃんと準備した人しか合格できない。 

口頭試験で一緒になったその若い男性2人がどうやら同じ大学に通っていて気心知れたでありそうだったも、試験で緊張した理由の一つだったかもしれない。 

 

質問するのも答えるのも彼らは楽しそうにしているのに、私は一人だ。と思うと胸がキューっなった。今だったらたくさんの質問を考えて、投げかけられた質問にも答えられるのに。 

こうしてA1試験が終わった。私がいただいた結果通知に書かれていた文字は・・ 

 

惜しい不合格合格ラインの60点まであと3点足りなかった。 

 

あまり勉強しなかったのだから逆にあと3点で合格だったのは驚きだ、とか、もうちょっと勉強するべきだったとか、ドイツ人の試験官の方がなんて言ってるのか正直ほとんど分からなかったとか、あの2人組はきっと合格しただろうな・・とか、不合格通知を見つめながら色々な思考が頭の中に浮かんでは消えていく。 

 

と同時に他の人はあんなにスラスラ話せてすごいな、私ももっと勉強すればあんなに話せるようになるのかな、とか本当のドイツ語の発音ってかっこいいなーとか、今度は合格してみたい!というドイツ語を操れるようになることへの憧れの気持ちが生まれた。 

 

こののち、B2に合格するまで、残り約2.5年。 

 

その間に受験した試験の数は多分8回、不合格だったのはそのうち6回。めげずに何度も頑張った。 

ゲーテの東京会場には何度も足を運んだから、何年か経った今でも・・方向音痴な私でも、地図なしですいすい会場まで行けるはずだ。それくらい、ドイツに留学するまでにたくさん訪れた思い出深い場所。 

多分また行くことになるよね、C1受験するときに。C1、来年の春に取りたい。きっととても難しいに違いないけど・・。 

 

A2受験とB1に合格するまで、に続く。 

ドイツ音大受験その3

ドイツ音大受験 つづき

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実技試験をパスした人を待ち構えているものが、聴音の試験と副科ピアノの試験。

聴音/和声の試験と副ピの試験はほとんど同時に行われた。最初に聴音試験でその次にピアノの人もいれば、その逆の人もいた。そうして最後に来るのが和声の口頭試験。私は、この和声の試験に強い不安感を抱いていた。なぜかって、そこではまたドイツ語を話さないといけないからだ。しかも今度はもちろん自己紹介程度では済まず、聴音の和声課題で担当の先生から聞かれた質問に対してドイツ語で答えなければいけない。

その部屋には男性の先生が2人いて何か楽しそうにお話していたけれど、私が入っていくと「次は君かな」みたいな感じでお二人がくるりとこちらを向いて、部屋の雰囲気がすーと青色の試験モードに切り替えられていくのを感じた。

ああ、とうとう試験が始まってしまう!

なんの楽器弾いてるの、どんな曲弾いてるの、実技試験はどうだった、なんていう和声の試験には関係ないことを聞かれてそれに答えていくうちに「じゃあ、カデンツァ課題からやってみようか」ということになった。

カデンツァ課題に関しては、かなり準備をしていった。カデンツァ課題というのは、私が受けた音大では先生が指定した調のカデンツァを12小節分くらい、自分でドイツ語で解説を加えながらピアノで弾いていくもの。

私は確かa moll (イ短調)を指定された気がする。緊張しつつも、何十回も練習していったとおりに口から言葉が出てくる出てくる。弾き終わってほっとしていたところで、一番私がやりたくなかった和音の分析の方に課題が進んでしまった。

この課題では先生がなにかしらの和音をピアノで弾いて、それに対して受験生側がそれが何の和音か答える。実は日本で習ってきた和声とドイツのそれにはかなり異なる点がいくつもあって、それが私をひどく参らせていた。例えば、ドミソという簡単な和音。これが転回してミソドになったとする。これは日本では「第一転回形」ということになるのに、ドイツでは「ゼクストアコード(6の和音)」という。なぜゼクスト(6、という意味)かというと、根音のミ(和音の一番低い音)から見て一番高い音のドが6番目にきているからだ。

これらをすべて学習し終えてなるほど、と思えるまでにはいくらかの時間が必要だ。

先生がぽろんぽろんピアノを弾いていく。今先生が弾いているのが何調で、その調にとってその和音が何なのか(属和音など)その和音そのものは何という和音なのか(長3和音、減7和音など)。答えなければいけないことはたくさんある。

私はそれらをドイツ語で素早く答えなければいけないプレッシャーに押しつぶされそうだった。中には「これは分からなくてもいいけど、もしかして分かったりする?」なんて言われたものもあって、その時の私は残念ながらうまく答えられなかった。でもドイツの音大で1年間和声の授業を受けた今なら、落ち着いて答えられるかなと思う。

そうしてやっとその和声の試験が終わった。試験時間は多分10分程度のものだったと思うけど、私にはひどく長く感じられた。

その次に同じ部屋で続けてリズム打ちと新曲視唱の課題があった。これらは私がもともと割と得意としていたもので、それまでの和音分析と比べたらもう10秒くらいで終わった感覚だった。

和声の試験の後は聴音の試験があったけど、これも問題なく終わった。簡単なメロディー聴音と和声の書き取り問題たち。

聴音の試験は特にドイツ語を話さなくて良かったので気が楽だった。

最後が副科ピアノの試験だった。ここではちょっとしたハプニングが。(というかかなりのハプニング?)

私は副科ピアノ受験用に1曲だけを準備して熱心に練習していったけれど、本当は違う時代の作曲家から2曲を選んで弾かなければいけなかったのだ。

当日ピアノの試験会場で用意した曲を弾き終えてほっとしていると、試験官の先生から「素晴らしい!それで、2曲目は?別の時代からもう一曲弾いてくれるかな?」と言われ、なんと、耳を疑うとはまさにこのことだ、と思った。

そんな、今急に言われても・・だけど、試験官の先生は「入試要項に書いてあったでしょう?」と。あちゃー、あんまり確認してなかったかもしれない。

運よく最近まで練習していたバッハがまだ弾ける状態にあったので、急きょ、それを弾くことにした。試験官の先生方(2人いらっしゃった)がフレンドリーだったのもあって、ハプニングがあったにも関わらずピアノの試験はそれまで受けてきた試験のどれよりもリラックスして受けられた気がする。

このあと外国人だけがドイツ語の試験を別の会場で受けて、そして、全ての試験が終わった。

何はともあれ、私が勉強するべきなのは一にも二にもドイツ語だ、と思った。ドイツ語がもっとできていれば、入試要項に目を通したときに副科ピアノで2曲弾かなければいけないことなんてきっとすぐに理解できたはずだ。
それに、和声の試験でもきっとあんなに緊張せずに済んだに違いない。

こうして私のどきどきな受験が終わった。試験をすべてパスしたことが確認できて、今までにない安心感を感じながら蒸し暑い日本へ帰った。

高校を卒業したら、とうとうあの大学へ通うことになるのか。色々と苦労はたくさんしたけれど、、高校卒業後すぐに始まる新しい大学生活をドイツで始められることが決定して、私はとてもわくわくしていた。

関連記事:

ドイツ語A1受験

ドイツ語B1受験

ドイツ語B2受験

ドイツ音大受験 その2

前回の続き。
それで何はともあれ高3の初夏、日本を出国できてドイツの姉(既に留学中)が住む家に着いた。季節は6月も中旬に近づき、暖かい日差しが差し込んでいた。エアコンは無くても、心地よく流れてくる風で十分過ごせるドイツの快適な気候。受験旅に持ってきたのは、もちろん楽器(バイオリン)と楽譜、入試の舞台で着る衣装(黒のワンピース)とパスポートなどの重要書類たちと普段用の衣類。
受験のために来ただけで、観光する予定もなかったので極力少ない荷物をつめこんでいった気がする。

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ドイツに着いた翌日。さっそく入試が始まった。

海外の大学ではよく聞く話だけれど、実力があったとしてもそれだけで合格出来るわけではないのが難しいところで、師事したい先生に事前にコンタクトを取って何度もレッスンを受けて、その先生から(あるいは他の門下生からも)門下生にしても良い、と思ってもらえないとまず受からない。座る「席(プラッツ)」を用意してもらえないのだ(しかもその席はたいてい、1年に1つか2つくらいしか空かない)。コミュニティの一員として迎えてよいか、ということをいろんな角度から見られるのだと思う。ドイツ音大を受験するときにまず「先生」を探す、というのはそういうことなのだろう。

ところで私が入試のために準備していった曲は、バッハの無伴奏ソナタから2曲と、モーツァルトとグラズノフのコンチェルト(それぞれ1楽章)と、エチュードを1曲。

試験で弾く前には、軽く自己紹介と自分が何を弾きたいのかをドイツ語で(もしくは英語でもいいのかな。でもドイツ語のほうがやっぱり印象がいい気がする。)話さないといけない。それで、一曲弾き終わってからも審査員の先生から「次は何を弾きたいの?」とか聞かれたりするから、ヴァイオリンを弾くことよりも先生方が投げかけた質問に答えられるか、ということの方に対して緊張した気がする。
実際にある一人の先生が私に「モーツァルトかバッハ、あまり時間がないからあなたの弾きたい方を弾いてくれるかな?」とおっしゃった。

モーツァルトかバッハとは、どうしよう?えーとえーとと思っていたら、審査員の別の先生が「バッハがいいんじゃない?」とアドバイスしてくださった。

入試というただでさえ緊張しやすい本番が、さらに外国語で先生方とちょっとしたコミュニケーションを取りながら進められていくのは外国人にとってはちょっとハードルが高い気がする。いつもそばにいてくれる姉もさすがに試験会場には入れないから、姉と別れて試験の行われる部屋へ向かう時は心細かった。

あと一つ、実技試験ぎりぎりまで私の胃をきゅるきゅるさせていたのは、伴奏の先生がなかなか現れなかったことだった。ピアノ以外の楽器で受ける人は、弾く曲が無伴奏でない限りピアノ伴奏の先生と一緒に弾くことになる。伴奏の先生は、一緒に本番を迎える同士というか、「一緒に」という意識を持って挑む仲間。

伴奏の先生というのは、もし一緒に弾く相手が間違えたとしてもそれをフォローして何事もなかったように引っ張っていったり、暗譜が分からなくなったらメロディーをひっそり弾いて暗譜の手助けをする、とか大事な役割を担っている。

その大切な伴奏の先生が、もう次は私の弾く番になってしまったというのにまだ現れない。

困った、焦った、どうしよう!もし今私の出番になって呼ばれてしまったら?

焦って青ざめておろおろしているうちに試験部屋のドアがキイイと鳴って、前の受験生の人が出てきてしまった。ああ、絶体絶命。。だってどうやってドイツ語でこの状況を説明すればいいのだろうか?今だったら多分なんとか伝えられると思うけど、入試を受けた当時の私のドイツ語力は残念なもので、とてもそんなことできそうになかった。

そうはいっても何とかして伝えなくては。。と意を決して部屋に向かおうとしたその時、別のドアが開いて伴奏の先生が出てきた!

ああ、やっと!!

日本では伴奏の先生はコンクールなどでも常に自分のそばにいてフォローをしてくださっていたので、初めてドイツで伴奏の先生と弾くことになったこの時はこの対応の違いにかなりタジタジしてしまった。

そんなこんなですべての曲を弾き終わって、ほっと一息ついたのもつかの間、割とすぐに結果発表。30分後くらいだったかな、ドキドキしながら掲示板へ向かう。

と、そこに私の名前が!!

私の名前はアルファベットで書かれていてもパッと目に入りやすい。それに、Japanと書いているかを見ればいいのだから、合否はすぐに分かった。

そう、実技試験はとりあえずパスできた。これで入試の大部分はgeschafft (やり遂げた)。

ドイツ音大受験その3(ソルフェージュと副科ピアノの試験編)に続く。

ドイツ音大受験その2

ドイツ音大受験その1