音高時代・癒しのヨガの時間

音高時代

音高の必須科目の中には、音高生が苦手とする(?)「体育」の授業もあった。 

水泳、テニス、卓球、ヨガ、バドミントンなど学期が変わるごとに微妙に入れ替わる5種目くらいの中から、好きなものを選べるシステムだ。1種目につき15人くらいのメンバーで一緒に授業を受ける。 

人気の種目には当然手を挙げる人が多いので、そういう時はくじ引きで決める。残念ながら落ちてしまった人は、人気のない種目へと移らないといけない。 

ちなみにいつも人気があったのはバドミントンと卓球で、一番人気がなかったのは水泳だった。不人気の理由は、水泳を選ぶと次の授業までの短い休み時間の間に髪を乾かさないといけないし、次に実技のレッスンなどがあって急がないといけない人には不向きだったからかな。 

私も水泳の授業は一度も取らなかった。なぜかって、自分にもっと向いている種目(!)を見つけてしまったからだ。 

私が3年間ほとんどずっと取っていたのはヨガの授業。 でも体育の授業では同じ種目を2回続けては取れないという決まりがあった。 

だからちょいちょいヨガのほかにもダンスやテニスを取ることもあったけれど、それでも必ず戻ってきて続けていたのはヨガの授業だった。 

ヨガに惹かれた理由は? 

何しろヨガだからあんまり激しく動かなくてよかったし、女子しかいなくてまったりした女子会みたいな雰囲気が流れている中で行われ、気を張ることがなかったから。あと授業中にちょっと眠れたから。(一応男女共学だったけど、女子生徒の数が圧倒的に多かった。8対2か、学年によっては9対1くらい?) 

1限目の体育は、朝の8時50分開始。着替えの時間を考慮して普段より10分遅く始まる。(ほかの授業は8時40分開始。) 

体育着に着替え終わると、普段使っている校舎の横にある体育館へ向かう。 

ところでこの体育着はすぐ乾くし、さらさらして肌触りもいいのでドイツまで持ってきてしまった。高校1年の時からだから、もう長く使っている。 

体育着の色は学年によって異なり、私たちの時は緑だった。姉は青。 

時刻は8時50分近く。 

時間になると皆ばらばらとやってきて、おはようー眠いねーとか言いながら各自でマットを引っ張てくる。(このマットがなかなか重かった。) 

そうしているうちに先生がくると、授業がスタート。一通り点呼が終わったらマットの上に横になって、あとは先生が「腕を伸ばしてください~」とか「首をゆっくりと回してみましょう~」とか言うのを、消えてしまいそうな意識の遠くのほうで、ぼんやりと聞きながらゆっくりと自分のペースでその通りに身体を動かしていく。 

金曜日の朝、月曜日から頑張り続けて疲れた身体で受けるこのヨガの授業。 

授業の間、ずっとヒーリング音楽みたいな曲が後ろの方で流れていて、体育館にはその音楽と先生の静かな優しい声だけが聞こえる。誰も何も話さないし、みんな今こそ日頃の練習で疲れた身体を休ませる機会、と全身をマットに預けてだらーんとしていた。 

そういうのんびりとした授業だったから、授業中に本当に眠り込んでしまう子もちらほらいた。(私もとっても眠かったので一瞬意識が飛んでしまうことがしょっちゅうあった。) 

だから授業が終わるころに「○○、起きてー。授業終わったよー」とか声をかけられる子もいたりして。 

みんな本当に疲れていて眠そうだった。普段はよく喋ってハイテンションな子も、普段から静かな子も、みんな同じようにこのヨガの時間を楽しんでいた。 

晴れた日には外で鳴いている小鳥の声がちゅんちゅんと聞こえて、雨の日には雨のしとしと降る音が体育館の天井に響いていた。 

時々下の階から、卓球の熱戦を繰り広げているであろう卓球組の子たちの叫び声が聞こえてきたりもした。(私たちがヨガの授業を受けていた場所は、4階分くらいあった体育館の一番上の階だった。) 

90分間マットの上でごろごろ、難しいことは何もしなくていい、まさに「癒し」の時間。 

それは、私が今まで受けてきた小学校、中学校の体育の授業とは全く正反対のものだった。 

小学校の頃は今よりももうちょっとアクティブだったから、気持ちというか、勢いで体育の授業も乗り越えられていた。(気がする。) 

そもそも授業内容がまだそんなにハードではなかったし。 

水泳は一番下のクラスで気楽に泳いでいたし、恐ろしい高跳びも、できない人グループに振り分けられてその中でぴょんぴょん飛んでいれば「よくできました」 をもらえた。

そうはいかなくなったのが中学に入ってから。 

中学の体育は、まさに「これは義務教育です。全てこなして当然です。苦手とか、そんな言い訳で逃げてはいけません。」という感じで厳しくてキツイものばかりだった。先生も厳しかった。 

長距離で走らされる距離は想像を超えていたし、速く走ることもできない自分にとっては短距離走も超・苦手種目。 

それにバスケットボールとかバレーボールという球技は男女合同で行われて、背も高くて体格もがっちりした男子の投げてくるボールが速くて速くて恐怖でしかなくて、毎回「もうこのへんで勘弁して」という気持ちで授業に参加していた。 

ボールと遊ぶのって、本当に苦手。年に一度の体力測定で「ボール投げ」という種目があったけれど、毎回、全国の平均値にまったく届かなかった。なぜか、ボールを一回つくともう二度とバウンドしてくれないの。もしくはあさっての方向にコロコロ転がっていっちゃう。難しかったなー。 

体力測定で全国平均より上回ったのっていえば、握力くらい。 

右左どちらも33くらいあったから、それだけはかろうじて点数が良かった。あとはボロボロ。 

小学生の時には多少あった活発さも、中学校での体育を経験していくうちにすっかり気持ちが挫け、どこかへいってしまった。 

いつも皆の前で自分の不出来さをさらすことになるのも辛かった。 

あと、リレーの時に自分のせいでチームが順位を落とされた時も辛かった。精神的にはそういうのが一番ダメージが大きかった。 

中学での体育の授業にそういう黒歴史があっただけに、音高に入学して初めてこのヨガの授業を受けたときは本当に「体育の授業ってこんなにリラックスして受けることもできるんだ」と思った。 

全身の力が抜けていく感じ。もう、誰かの足を引っ張ることはないんだ、という安堵の思い。 

それからはじめて体育の時間が楽しみになった。 

体育がある金曜日はオケもある日で、楽器とカバンを抱えつつ体育着も持ち満員電車(いつも以上に疲れ切った人でいっぱい)に乗り込むという、通学に関して言えば一週間で最も過酷な日だった。毎週それに耐えられたのは、その先にあの癒しの時間が待っていると知っていたから。 

体育ってこういうのもアリなんだよ、って教えてくれた音高の体育の先生には本当に感謝している。 

授業中のみんなの表情もリラックスしていて、笑顔も浮かんでる。自分のやりたいペースで進められる。「技術の差」によって成績をつけられることもない。 

それで、いいじゃないかと思う。体育が得意な人がいるように苦手な人もいる。みんながそれぞれ好きなように思い思いに体を動かしてスポーツを楽しめれば、スポーツの本来の目的を達成できているんじゃないか、と。 

まあ、音高の体育の授業は実技で成績を決めない分、欠席に関しては厳しく、例えば授業を2回休めばもう「3」となった。遅刻は2回で欠席1回分。5分遅れれば遅刻扱い、15分遅れるとその日は欠席扱いとなる。(電車の遅延による遅刻はまた別。) 

欠席とはなるものの、それでも授業に参加したい人は参加してもよし。どうするかは自分次第。ただし、その日は授業に参加したことにはならない。 

緩すぎるとそもそも授業に来ない人も出てきそうだから、そういう厳しさも必要なのかなあ・・。 

と、大学生になって体育の授業と完全にお別れした今、過去の体育の授業を振り返って思う。