こんにちは、妹です!
2019年4月、大学に入学した。入学してしばら経ってから大学用のメールに送られてきたのは、外国人の学生向けに開校されている大学内の語学コースの案内だった。
入学してから半年以内には取らないといけないB2、大学内の語学コースを受講してそこで試験もさせてもらえるなら自分で独学で勉強するよりいい、と思って早速申し込みをした。
初めての語学コースの授業が始まる日。どんな人と一緒に学んでいくのかちょっと緊張して部屋に行ったら、まだだれも来ていなかった。
(これから半年間くらい続くこの語学コース、結局ほとんど毎回こんな感じで私が一番乗りに部屋で待ってる人になるんだけど。。)
ちんまりと部屋で待っていると、あとから他の受講者の人たちがぞろぞろ。
中国から3人、イタリアから1人、ロシアから2人、コロンビアから1人、ブラジルから1人、韓国から1人。
夏休みの特訓コースが始まると、このメンバーにあと1人、トルコからやってきたおじさんも加わった。(その時18歳だった私にはおじさんに見えたの。ある時授業中に「俺がまだ26歳だったころのトルコは。。」とか語ってたから、実際は30代だと思う。)
メンバーは私を入れると全部で11人。2人の先生をいれて13人の少人数で勉強が進められていくことになった。
その日初回の授業では、これからの授業の進め方を先生から説明された。
授業が朝の8時から始まること
夏には集中コースと言って、毎日4時間の授業が2週間にわたって行われること
その夏の集中コースが終わった後にテストがあるから、それに合格すればB2合格したことになること
この、「B2の試験」という説明を聞いたときにまたあのゲーテの嫌な思い出が蘇ってきた。ああ、落ちたら絶対絶命な試験だ。これをパスできなかったら入学許可を取り消されて日本に帰らないといけなくなる。。
心配になってチラッと隣のイタリアから来た男性の表情を伺うと、ドイツ語の試験があろうがそれについての不安要素なんてどこにも見当たらない、みたいな様子だったのでちょっと安心した。
一通り先生からのお話が終わった後、「お互いにまずは自己紹介しましょう」ということになった。
端から順番に、自分の名前/どこの国から来たのか/専攻の楽器は何なのかなどを自己紹介していく。この自己紹介の時点で「この人はB2クラスにいながら既に結構ドイツ語が話せてる。C1クラスにいても問題ないんじゃないの」とか「この人はまだドイツ語を話すのに慣れてない感じだ」とか、お互いどのくらいドイツ語が話せるのかが感じ取れてしまう。
みんなの自己紹介が終わって分かったのは、私がこのクラスでは一番年下だということ。
ちなみに後日、これについてちょっとした出来事があった。
いつも通り授業が終わって先生に挨拶して帰ろうとしたら、同じ語学コースのメンバーのブラジルからきたギタリストのお姉さんに呼び止められた。
お姉さん:「ちょっと来て」
私:「あ、はい。(え..なぜ?)」
「あなた、今いくつなの?」
「18です」
「あ、一応18歳にはなっているのね。あんまり顔が幼く見えるから、15歳くらいなのかと思った。それならいいわよ」
「あ、そうですか..?(私、もう行ってもいいのかな)」
そう、ここドイツではアジア人の顔立ちは幼く見えるらしい。
それに18歳でこの大学に入学してる人はごく稀だから、入学当時、私は年齢を聞かれたときによく周りの人から驚かれていた。
このブラジル人のお姉さんの目にも私はずいぶん若く映ったらしく、自分が18歳だと告げると安堵したような何やら期待外れだったような、何とも言えない表情をされた。
ドイツではそもそも入学した時点で20歳を超えている人も割と多いし、人によって入学するときの年齢は違うから、同じ学年だったとしても結構年齢はバラバラ。
そういうわけで、この語学コースの中では一番年上の人とは多分一回りくらい年齢の差があった気がする。
年齢がバラバラなら専攻する楽器もバラバラで、指揮専攻、バイオリン、声楽、クラリネット、ギター、ホルンなど人それぞれだった。
ところで一番人数が多いはずのピアノは誰ひとり専攻しておらず。
自己紹介が終わったあとで先生が「じゃあ全員立って、みんなお互いのことをもっとよく知るためにこのカードに書いてあることについて質問したり、それに対して答えたりしてみましょうか」と言った。
カードというのは「趣味は何ですか」みたいな月並みな質問が書かれたもので、全部で10個くらいの質問が用意されていた。
好きな色は何ですか、好きな季節は。。
プロフィールノートから飛び出してきたような「初めまして、よろしく」感を今さっき知り合ったばかりの人と共有するなんてこと、かれこれもう何年も経験していなかったことだったから新鮮だった。(音高時代に3年間クラス替えが無かったからかも)
それに何といってもこの異国感満載の部屋の雰囲気。
アジア勢は私含め全員メガネ(黒)をしているのがお揃いみたいで面白かったし、ブラジルやコロンビア、イタリアなどいかにもアツそうな国からきた人たちからはその露出度高めの服装からして「oh、アモーレ!」みたいな雰囲気が醸し出されていた。
この濃いメンバーと半年間ずっとドイツ語を学んでいくのかと思うと、やっていけるのだろうかとちょっと不安に思いながらもわくわくした。
これが初めて語学コースの授業を受けた時の思い出。
こうして愉快な仲間との語学コースがスタートして、7月中旬。
夏休みが来る頃には私たちはお互いの性格を非常によく把握できるようになっていった。(と思う。)
この人はいつも遅刻するとか、この人はチャラそうに見えて宿題を手抜きせずにコツコツ頑張ってるとか、この人は自分の国について語るのが好きなんだなとか。
ずっと一緒の机に並んで学んでいると特に「私はこうこうこういう人なんです」とはっきり言わなくてもその人の人柄ってだんだん分かってくるものなんだなあと思った。
夏休み、みんなが各々の母国に帰国する時期。先生が課題として一人一人に一冊の本とプリントを渡した。
先生からの宿題は、課題の本を読んで渡されたプリントに書いてある質問に答えること。
読書感想文の簡単バージョンみたいなものだった。
渡された本はドイツ語を学ぶ人向けに易しめのドイツ語で書かれた短めの小説で、ベルリンの壁が崩壊するまでの当時の東ドイツと西ドイツの関係や人々の暮らしについて書かれたものだった。フィクションだったけど、そこに書かれた当時の暮らしぶりは実際にあったこと。
短めといっても100ページはあったと思う。短期間で読み終えられるとは思えない。。
そういうわけで初めてのドイツ語での読書感想文もどきの課題を手に日本に帰国したあと暫くしてから、毎日数ページずつその本を読んでいくことに。
昔小学校の国語の授業であったような音読をしてみたり、分からない言い回しをツイッターで調べたりしながら読み進めていった。B1レベルとは書いてあるものの、結構難しい表現も頻繁に登場してて、そのたびに何回も調べていかないといけなかった。
アルファベットの羅列ってどうしてこんなに頭がぐるぐるするんだろうと思ったりした。
ゲーテの「読む」の試験の問題を解いているみたいだ、とも。
ただ読んで終わりではなくて、先生からのプリントを埋めないといけないというプレッシャーが、本の中で分からない言い回しに出会った時の疲労感を倍増させた。
プリントの質問内容は本の冒頭部分から終わりにかけてまんべんなくカバーされていたから、いい加減に読んでいくことはできなかった。
そんなこんなで苦戦しながら8月下旬、暑い日本ではまだ蝉が騒がしく鳴いていたころ、やっと私の読書課題も終わった。
そして9月も第2週目に入り、もうずっと先のことだと思っていた夏の集中講座が始まった。夏というか、気分はほとんど秋だ。
9月のドイツは時々ザーっと冷たい雨が降り注いで、朝も夜も冷え込みが厳しくなる季節。日本とはまるで違う。
長ズボンを履いて薄手のコートを羽織って1回目の集中講座へ向かった。
十分にバカンスを楽しんだ模様のこんがりと日焼けしたイタリアから来たフィリップは、前日にパーティーに行っていたのかその日も微妙にお酒臭くて、ついでにタバコのにおいがした。先生が、「またパーティーに参加してきたの?Fleissig !(勤勉だこと!)」と笑って言った。
そんな彼に対して日焼け対策を万全にしてきたアジア勢。。夏休み前と肌の色は全く変わっていない。バックの中には常に日焼け止め。
夏休みの過ごし方にもお国柄が表れる。
ちょっとガヤガヤした教室の雰囲気が落ち着くと、先生が皆に「宿題どうだった?そこまで難しくなかったと思うんだけど、どうだったかな?」と聞いた。ギク、私あれ結構難しいと思ったのに。
でも、ほかにも「質問文の意味が分からなかった」と言っている人がいたのでちょっとホッとした。宿題を忘れた人も何人かいた。
本そのものを忘れた人もいた。それを知らされた先生はちょっと困った顔をして、「○日までに絶対返してね、そうしないと私が図書館から苦情を言われてしまうわ」と言った。
小学校の夏休み明けの宿題提出の雰囲気にそっくりだと思った。
どれだけ集中して受けなければいけないのかと身構えていた集中コースだったけど、先生は以前と変わらず丁寧に優しく教えてくれて、ただ授業時間が1・5時間から4時間に増えただけだった。
お昼休みは12時に15分間あって、その間授業中に質問したかったけど聞きそびれたことなどを先生に質問できた。先生は2人いたのだけど、夏の集中コースを受け持った方の先生は誰かが宿題を忘れても「ちゃんと次までにやってくるのよ」とそれ以上忘れてきたことを責めない、優しい先生だった。
先生にまだ5歳と9歳くらいのお子さんがいて、時々育児の苦労話なども聞いた。
先生の旦那さんはドイツ人ではなくて、だから子どもは2か国語を話せるけど、うまく話せるのはお母さん(先生)の母国語であるドイツ語らしい。やっぱり住んでいる国の言葉をより使うようになるものなー。
ところで、もう一人の方の先生はいつもちょっと厳しかった。発音について、特に。
皆立ってホワイトボードに貼ってある発音の印を見ながらウムラウトの発音練習をするのだけど、これは結構どの国の言葉がその人の母国語かによってうまく発音できるかどうかが異なってた気がする。多分私は残念な発音の方。
一人ずつ単語を発音していって、うまくできなかったらその場で先生から発音のアドバイスを受ける。これがなかなか緊張した。先生はいつも手にミニ鏡を持っていて、「私の口の動きを見て」と言って鏡を使いながらお手本の発音を示すのだけど、みんなが見ている前で一人だけで発音練習をするのは何だか恥ずかしい。余りうまく発音できていない自覚もあって、なおさら。
だから、いつもできることならさっさと終わらせてしまいたい気持ちで一杯だった。人が発音するのを聞いている分には特に緊張しないのだけど。。
なぜ発音がいまいちなのか言い訳すると、日本語の中には例えばÖとかÜの発音はない。Äはエにかなり近いからほかの2つのウムラウトよりは上手く発音できてると思うけど、ÖとÜは本当に難しくて。
あとRの発音もいまいちだなあと自分で思う。前に市役所を意味する「Rathaus」と言ってもなかなか通じなかったし、そういうこともあってこの発音の先生の日はいつもより肩に力が入っていた気がする。汗
だけど、単語の発音をする上で重要な「単語のどこに(頭か中間か、など)アクセントを置くか」という仕組みがこの先生の授業を受けられたおかげで理解できるようになったのはとても良かったと思う。
語学コースを卒業してしまった今は、YouTubeの動画を聞きながら聞こえた文章を発音する練習を続けている。自分の声を自分で聞くのが普段どうやって発音しているのかが一番分かりやすいと聞いて、何度か自分の声を録音して練習したりもしてたんだけど、なんか妙に高い声に慣れなくてやめてしまった。効果があるならまたやってみようかな。
語学コース話に戻ると、コースのほうでは相変わらず先生から毎日何ページかの宿題をもらってそれを次回の授業までに解くというのを繰り返していた。
あとは、授業中に行われる単語テスト。毎回全部で20問くらいあって、これは答え合わせの時にお隣の人と交換して丸付けする形式だったので、できていないとお隣さんに勉強してこなかったのがバレてしまうタイプのテストだった。
それから教科書の章が終わるごとに大きめのテストもあった。これは聞き取り問題から作文、文法、単語のスペルチェックとすべてのモジュールをカバーしていたもので、このテストを受けるのも結構緊張した。
なんでかって、B2の試験をこのコース内で受けるためにはこのテストである程度の点数を取っていなければならなかったから。6回ほどあるテストの合計点があまりにも酷い点数だった場合や、そもそも授業に参加していなくてテストを受けられなかった場合などには、B2の試験を受ける資格はないと見なされてしまう。
だから教科書や授業で出てきた単語や文法、作文の書き方などはすべて復習しておく必要があった。
教科書は全部で200ページくらいあって、出てくる単語数はだからかなりの数になった。
毎回の単語テストや、大きな章ごとのテスト、宿題と、勉強しなければいけないものが多くあったおかげでこの語学コースに通って身についた語彙力は結構大きかったんじゃないかなーと思う。
勤勉に授業に参加して(1度だけいけなかったけど、あとは半年間全部の授業に出席した)、真面目に勉強していたので、本命のB2試験には焦ることなく挑めたし、結果も合格だった。
半年間ほぼ毎日顔を合わせた語学コースのメンバーとはかなり親しくなれた。宿題も教えあったり励ましあったりして一緒にドイツ語の勉強を頑張ってきた仲間、という感じ。
オケの楽器を専攻にしている人が多かったのもあって、今でもオケの休み時間とかたまに顔を合わせることがあると、一緒におやつを食べながら大学生活について語り合ったりしている。
B2の試験に落ちたらどうしよう、とプレッシャーだった時期も長かったんだけど、終わってみると楽しかったなあ。(B2合格通知をもらった時は、嬉しくてすぐに家族に連絡した。やっと正規の学生として専攻の実技レッスン以外の授業を取ることが認められた、と一人で感動していた。)
あんな風に本格的にドイツ語をドイツ人の先生にみっちり教科書を使いながら教えてもらうのは新鮮だったから、勉強を楽しく進められた。
ドイツ語のことも、独りで勉強していた時より好きになったと思う。先生が褒めてくれるのが嬉しかったし、みんなに追いつけるように頑張ろうと思えたから。
一緒に学べる仲間がいるって大事だなと思った経験だった。