保育園に通っていたころから、家の中で誰かが何かを演奏していることは日常生活の一部だった。音が聞こえてこない日などなかった。
母はウクレレやピアノを時々弾いて、それ以外はもっぱら姉がピアノだったりヴァイオリンだったりを演奏していた。
私もそれに乗っかって一緒に合奏したかったけど、幼いながらに感じ取った「生半可な気持ちでは触れていけない大切なモノ」とどう向き合っていいのか分からず、大抵の場合は保育園で習った歌を家族の前で披露するにとどまるのだった。
楽しそうに練習する姉が心底羨ましかった。(実際はレッスンがハードで大変だったと思うけれど。ふふ)
姉が持っていた姉だけのその大切なモノがもし自分にも与えられたら、なんてドキドキするだろう。それがあったら、私の感じていることや思いを自分でも表現できるかもしれない。
まだ4歳くらいだったと思うけど、その時すでに少しずつ自分の中で「自分だけの楽器が欲しい」という気持ちが沸き上がっていた。
そんなある日姉が母とワンサイズ上の楽器(ヴァイオリン)を選びに行くことになった。
姉は体が大きくなって今の楽器のサイズでは合わなくなったらしい。そんな事情は全く知らずに、とりあえず私もその楽器屋さんへ一緒に付いていくことになった。
よく晴れた、暖かい日だった気がする。ぽかぽかとしたお散歩日和。
ある大きな表通りをしばらく歩いていると、あるお店で母と姉が立ち止まった。私も立ち止まった。
店に入っていくと、奥のほうのショーウインドーの中に、ニスがたっぷりと塗られた光沢のある楽器が並んでいるのが目に入った。様々なサイズのヴァイオリンを扱う楽器店だったのだ。
もうすでに長い距離を歩いており、疲れていた。ただ歩いているだけで不機嫌になってくるといういつもの謎のご機嫌斜めモードに入りつつあった私。その時ふとある一つの楽器に私の目が釘付けになった。
それは、赤ちゃんみたいに本当に本当に小さな子ども用ヴァイオリンだった。
遠くで母と姉が何かを話しているのが聞こえた。
私はそんな話など全く耳に入らずに、ただ目の前に飾られているそのきらりと光るヴァイオリンに夢中になっていた。
なんて綺麗で、美しいんだろう!小さい楽器。あれは、ひょっとして私のために作られたものではないだろうか?
小さいヴァイオリンは、同じく豆みたいに小さかったわたしの身体にピッタリなサイズに見えた。
精巧に作られた楽器の本体。4本の弦が張ってあって、楽器の表面は明るい照明のもとできらきらと輝いていた。何から何までが魅力的に映った。
ぼうっとその楽器を見つめていると、母がお店の人と話している声がまた聞こえてきた。
「じゃあ、こちらの楽器でよろしくお願いします。」 姉の新しいヴァイオリンが決定したらしい。姉の手元には既に新しい楽器が見えた。
姉が何かを買うということは、私にも何か与えられるということではないか? ふとそんな考えが浮かんだ。
いや、そうに違いない!!
もうすっかり私の頭の中はではその小さなヴァイオリンは自分のものになっていた。
そんなオーラを全身から放っていたのか、母が私の熱い視線に気が付いてこちらを向いた。
「その楽器が気になる?」
ええ、気になりますとも。
母は困惑したようだった。当然だ、今日は姉の新しい楽器を選びにきたのであって、私の楽器を買う予定などない。でも私はそんなこと知らなかった。薄々感づいていたかもしれなかったけれど、端からその考えを打ち消していた。
姉が何かを買ってもらうなら、私にも何かあるはず。そうでないとフェアじゃないと思っていた。
だから、顔を上げた時に見えた母の困った表情は私を酷くうろたえさせた。 もしかして私の希望は通らないのだろうか?そんなことってあるだろうか。 これを諦めるなんてことはできない、と思っていた。
どうしたらこの思いを母に伝えられるだろうか?そう思って、もう、それまでにないくらいありったけのアツい気持ちを全身で母にぶつけた。
そうして、この保育園児の頑固な願いは叶えられることになった。
ああ、ショーウインドーからその小さな美しい楽器が取り上げられるのが見える。
私のところに来るために!
なんて幸せなんだろう。
何から何まで小さかったその楽器はそれでも私の小さい体にはちょうど良い大きさだった。
「ちょっと重いけど、自分で持てるかな?」
お店のお兄さんから直接私にその楽器が手渡されたときには、ずっしりと重たいものを感じた。これは誰のものでもない、私だけの大切なモノだ。
胸がキュー―ンと高鳴っていくのを抑えられなかった。肩に力が入って、気持ちが昂ってふつうに前を向いて歩くことができない。嬉しかった。とてもとても。
母と姉がこちらを向いて笑って言った。「ふふ、良かったねえ。」
その日は多分、私のそれまでの短い人生の中で一番大きく心を―感情を揺さぶられた日だった。
これから毎日この新しい友達と遊ぼう思った。毎朝毎晩この子に挨拶をして、ちゃんときれいにお手入れして、そうしたらきっと仲良くなれるだろうと思った。
楽器ケースを開けると、そこにはつやつやの楽器が美しく横たわっていた。
新しい楽器独特の匂いが私の気持ちを高ぶらせた。
楽器の上からかぶせるためのカバーもふかふかだった。その高貴な楽器を守るためのカバーはふかふかで、光沢があってお姫様を寝かせるためのベッドみたいだった。
なんて素敵なんだろう。
音を出してみることにした。まだヴァイオリンを習い始めていなかったからどうやって弾いていいのかは分からなかったけれど、自分の抑えた弦の位置どおりに音が上がったり下がったりするのを聞くのはとても気分が良かった。
保育園の歌や、知っている曲をピンピンと指だけで弾いてみた。
どの位置を押さえたら自分の鳴らしたい音が出るのかを探していくのはとても楽しい遊びだった。
そうして、わたしはすっかりこの楽器の虜になった。
私が使っていたものの中には姉から譲り受けたお下がりのものも多くあったから、なおさらこの自分だけの特別なパートナーに心惹かれたのかもしれない。
それからは、姉のヴァイオリンのレッスンに同行するたびに「いつか私もヴァイオリンのレッスンを受けてみたいなあ。。」と願うようになった。
この願いが叶うのは、保育園を卒業して関東に帰ることになってからだ。
(5年間お世話になった保育園のあった場所は私たちの故郷からはずいぶん遠かった。 私の保育園卒業と同時に再び父の転勤があり、この自然あふれる豊かな土地とお別れすることになったのだった。)
初めてのヴァイオリンを手にしてから2年ほどが経ち、私は小学校に入学した。
大好きなヴァイオリンを思い出深い九州からぎゅっと抱きしめて連れてきて、新しい土地での生活が始まった。
新しく引っ越してきたこの土地は生まれ故郷ではあるけれど、私にとっての故郷は九州の大自然に囲まれたあの場所であったから、新しい環境になじむまでには少々時間がかかった。
この新しい土地の人が話す言葉が私がそれまで慣れ親したんだものとはずいぶん違ったことも、私を戸惑わせたことのうちの一つだった。私の話す言葉のイントネーションを同世代の他の子たちから指摘され、あの懐かしい方言をもう聞くことができないのだと悟った時、胸がキュンと痛んだ。
そんな中で私のこのヴァイオリンだけは変わらない大切な友達だった。
相変わらずケースを開け閉めするときには挨拶を欠かさずして、そのヴァイオリンとの楽しい時間を過ごしていった。
そんなある日、ある音楽教室に体験レッスンにいくことになった。
なんとついに私もヴァイオリンのレッスンを受けることが出来るようになるらしい!
わくわくして向かったヴァイオリンの初めての体験レッスン。
きっと沢山音を鳴らして、もっともっとヴァイオリンのことを知れるようになるに違いない。そう期待していった体験レッスンだったけれど、残念ながら一度も楽器を構えることなく音を鳴らすこともなくただ楽器の説明だけでレッスンが終わってしまった。
期待していたものとは全く違って、カラーンカラーンと心がから回った音が聞こえた。
しょんぼりしてその後も自己流にヴァイオリンと遊んでいたある日、今度はまた別の先生の体験レッスンを受けることになった。まだ若いお姉さんのような、とてもきれいな先生だった。
その先生はまだ6歳になりたての小さい私に初めから楽器を構えさせてくださって、それからボーイングの練習や上手な楽器の構え方を教えてくださった。
先生が私の右手の上にご自分の右手を置いて、一緒に弓を動かした。私が自分だけで弾いているわけではないというのに、先生の右手を通して生まれた音の美しさにキュンキュンしていた。
もう、楽しくて仕方がなかった。これが初めてのヴァイオリンのレッスンだった。
そしてこれが、その後何年かしてヴァイオリンを専攻すると決心し、音高を受験、合格、卒業し、そしてドイツの音楽大学に在籍している今までずっと、まるで家族のように私のことを時には厳しく、暖かく見守ってくださっている先生との出会いだった。
6歳の時に初めて先生にお会いしてからもうおよそ15年が経とうとしている。ヴァイオリンの道を選んでからは厳しいことの連続だったけれど、それでもずっと続けてこれたのは先生がずっと私をそばで見守って、道に迷わないように寄り添い続けてくださったから。
人生の中で大きな割合を占める楽器との出会い、そして私の第二の母のような先生との出会いはこんな風だった。