初めての一人でのビザの更新

こんにちは、妹です。

留学生が避けて通れないものの一つに、ビザの取得と更新がある。ドイツに到着した誰もが苦労する、ドイツ暮らしの最初の難関の一つだ。
ところが私はというと、ラッキーなことにすでにドイツ歴3年目になる姉という最強の付き添い人がいた。
その姉が最初のビザの取得と1度目の更新手続きのときには付き添ってくれていたのだ。

というか、付き添ってくれた、というより書類の記入から名前が呼ばれるのを待つところまで、すべてやってくれた。本来私が自分で言わないといけないことを役所の人に伝えてくれたりして。(本当にありがとう!!)

ところでこのビザの更新は一度行えばずっと有効なのではなく、もちろん期限がある。それが人によって3ヶ月有効だったり2年有効だったりする。この差は、窓口で対応してくれた人にもよるというのが、とてもドイツらしいところ・・
ビザの更新をするのには毎回お金が100€ ( 1万2000円くらい)かかるので、当然、こちらとしては有効期間を長くして欲しい。でも言葉の問題もあってうまく交渉(?)出来ず、言われるがままにたった3ヶ月のビザしかもらえないこともある。そんなときは再度お役所に出向き、またも更新料として100ユーロが目の前からはばたいてゆくのをただ悲しく見つめることになる。

ビザの期限が切れてしまうと帰国しなければならないので、ドイツに留まりたいならば期限に余裕のあるうちに、あの気難しいお役所に予約を入れて出向かなければいけない。

ドイツの役所には、入った瞬間にコレだと気づかされる雰囲気がある。怪しい動きがないかと監視する係(たぶん)のひとが何メートルかおきに立っているし、さまざまな国籍の人たちが多様な事情を抱えて何かを切実に訴えようとやって来るので、なんだかとても気軽には入れない感じだ。

お役所なのだから当たり前、とも思うけれど。ここは日本じゃないし。
でも、なるべくなら入りたくない場所ではある。

そうは言ってもビザの更新をしなければドイツには住み続けられない。

が、たとえばチーチーパッパな大学生が準備不足のままふわーっと訪ねたりしたら「はい、これもこれもこれも不足しているからね。この書類揃えて予約取り直して!」などとぴしっと言われてピーンと弾き飛ばされておしまいだ。

そう、私が初めて一人でビザの更新に行った時が、まさにそうだった。

何かをどこかに提出しなければいけない時、何か一つの書類が欠けてしまうのが私のやりがちな残念すぎるミスで、今回のビザの更新でも、注意深く全ての書類に目を通して必要なものは全て取り揃えたと思ったのに、やっぱりやってしまった。自分の証明写真を持っていくのを忘れてしまったのだ。

階段までズラリと並んだ長い順番待ちの列に加わり、1時間も待った後にようやく順番が来て、言われた通りの部屋に入る。

担当の女性が、ふんふん、と私の書類に目を通す。これもよしこれもよし。・・・ふと指が止まって顔をこちらに向けた。

「それで、あなたの顔写真はどこにあるの?」

顔写真は必須の提出資料の中に含まれていて、それがないともちろんビザの更新ができない。

あああああ・・
それが、家に忘れてしまって・・

「ああ、そう。そしたら今日は無理。〇〇日の〇〇時にまた来てください」

はあ。また、あの長い列に並ばなければならなくなった・・とぼとぼ

その後また役所に向かい、今度は何と2年分のビザを出してもらえた。前回は驚きのたったの3ヶ月のビザだったので、2年というのはとてもありがたい。

ちなみに前回たったの3ヶ月分のビザしかもらえなかったのには色々わけがあり、話すとあまりにも長くなる。まあつまるところ、役所が下した判断はその時の私の所持金では3ヶ月しかドイツで暮らせないだろう、だからビザも3ヶ月分で十分だ、ということだった。

次の更新まであと1年。
今度は絶対に、何も不備がないようにしなくては。

ドイツ音大受験 その1 

こんにちは、妹です。 

 私が高校3年生の6月にドイツの音大受験をした時の話。 

その時期になぜ大学入試?と思われると思う。 

 私はもともと高校卒業後すぐの4月入学を希望していたので、本来なら高校年生の1月にドイツへ飛んで受験をするのがスタンダードな形だった。 

 が、高校年のその時期はドイツ語の試験勉強(入学までにB2に合格しないといけない)音高の卒業試験(演奏と筆記)など予定が詰まっておりドイツへ受験をしに行く余裕は、実はなかった。 

ドイツ音大受験対策コース
ドイツ語A1~B2対策コース
ドイツ音大 ソルフェ対策コース

 それが、突然のことだったがなんと入試を半年前倒しで受けさせてもらえることになったのだった (入試は夏・冬ゼメスターで年に2回あり、4月入学は夏ゼメ入試(=1月受験)、10月入学は冬ゼメ入試(=6月受験)だった

 そもそもこのお話は、ドイツ・ケルンの静かな住宅街を、レッスンの合間に先生(ドイツ人教授)とお散歩をしているとき(散歩といっても先生は健康志向なので、いつものことながら走るように歩く。先生はいつでも軽やかなのに、小走りでついて行く私の足取りはすぐに重くなる)の会話に始まった。 (高2の冬だったと思う)

 先生と話しているうちに話の流れが入試のことになり、実イツの入試の時期と高校の卒試の時期が重なっていて悩んでいる、とち明けた。すると先生があっさり あら、それなら前の年に受験すればいいじゃない 一言。 

 エッ! 

 わりと一大イベントであろう入試そんな融通が効いていいのですか? 

 とその時はかなり驚いたけど、そんなこともアリらしい。 

なんでも、先生が入試の事務局に申請してくださるという。入試の時期をずらす、というよりも入学を半年遅らせる、という発想のようだった。 

 とにかくそういうわけで私は高3の6月に大学受験できることとなり、急遽受験で弾く曲選びなどを始めることになった。 



 ところでドイツを発つ前に待ち構えていた、必ず解決しなければいけない問題が一つ 

 ドイツでの受験のために、高校のオーケストラの授業を休まなければいけないということだ。 

 オーケストラの授業というのは、演奏ももちろんのことではあるけれどそこにいて授業に参加する、ということがとても大事なにしろ授業を回でも休めば単位の取得が危うくなるという厳しいものだった。当然、単位がもらえないと卒業できない 

 にも関わらず、当初の予定では私オケの授業を回も欠席することになっていた。 

 最初に飛行機を予約したとき入試という理由ならオケの先生も許してくださるはず、と楽観的に考えてしまっていた。が、時間がたつにつれや、これはまずいかもしれない」 と思い始めてきた。 

 回もオケの授業を休んでいいのか? 

いや・・理由入試のためなら多分大丈夫だろう。 

 いやでもオケの授業を休むそれも2回も? 

 いや、1回なら休んでいる人他にたし大丈夫じゃないか? 

 いやー・・万が一にも単位がもらえなかったら?? 

 困った・・弱った・・ 

 

そんな風にひどく悩むようになり、このままでは単位をもらえず卒業出来なくなる可能性もあると考え、最終的に、涙涙で飛行機のチケットを買い直すことになった。 

 結局、2往復分買うことになったにも関わらず、全て払ってくれた母には本当に感謝しかない・・ 

 涙の航空券のおかげでオケの授業は回休むだけで済むことになった。 

 受験のためにオケの授業を休むという理由を書いた紙に飛行機のチケットのコピーを添え、さらに実技の先生のサインをいただいたものをオーケストラの先生に提出し、それが承認されて、晴れてドイツへの渡航認められた時のあの安心感。 

 この一連のオケの授業にまつわる骨折りなあれやこれやのおかげで、受験の旅への出発前には既に精神的に疲れ果てていた。 

  

ドイツ 音大受験その2 に続く 

関連記事:

ドイツ語A1受験

ドイツ語B1受験

ドイツ語B2受験

 

ドイツ語会話同好会の皆さん

高校に入学する数ヶ月前。まだ中学生のころ。

鼻が赤くなりそうな一月の寒い日に、ある小さな公民館で開かれていたドイツ語会話のクラスに初めて参加した。

もちろん姉も一緒に。というより、姉が参加するドイツ語会話クラスに私もついてきたのだった。

その頃、姉はすでにドイツの音大を受験することを考え始めていたので、色々と準備を進めていた。

とはいえ私も姉も海外に行った経験が一度もなく、姉が一人旅でドイツまで入試を受けにいくということを母は心配していて、もし受験するなら、とりあえず母も私も一度は一緒に行くという話になった。それで、家の中には「ドイツに行ったときのために今からドイツ語を学んでおこう」という雰囲気になっていた。

そんなとき、市の広報誌に「ドイツ語会話同好会。初心者向けです。楽しく学びませんか」という案内を母が見つけた。語学は教室に通うととても高くつくので、近くの公民館で行われているというその同好会にはぜひ行くといい、ということで姉と2人で、早速入会の申し込みをした。

私はというとその当時はドイツ語のアルファベット(たとえばabcはそれぞれアー、ベー、ツェーと読む) の読み方すら怪しくて、さすがに自分の名前くらいはドイツ語で言えないとまずいだろうと直前になって焦って練習したほどだった。

当時その同好会に参加していたのは10名ほどで、70代から80代の、私の祖父母くらいの年代の方々が多かった。

歳の差が大きいためか、孫くらいの歳の私たちを皆さんとても温かく迎えてくださり、そののんびりと流れる空気にそれまで少し緊張していた肩の力が抜けたような気がした。

お話していると時々、歴史の教科書を読んでいるような気持ちになることもあって、そんな時には世代が違うってこういうことなのか!と新鮮な気持ちになった。

そこでは私たちはいつも「若い人」だった。

「若い人、これ読んでくれる? 老眼で近くが見えなくて・・ふふふ、困ったねえ。」
「今どきの若い人に流行っているものって何なのでしょうかねえ。」
「僕が若かりし頃はあんなものやこんなものがあって・・若い人はきっと知らないでしょうなあ」

これだけ年上の皆さんと一緒に学ぶという経験は、なかなか得られない貴重なものだった気がする。

ところで、教えてくださる方も年配のドイツ人の先生で、もう何十年も日本に住んでいらっしゃるとのことだった。
生徒さん(おじいちゃんばかり)とも「ええええ、そうなんです。今はそんなこともありますよね。」など、全くなんの問題もなくごく自然に日本語で会話をしていた。

おじいちゃんが話す言葉って時々もごもごしていて日本人の私でも聞き取りにくいこともあったりするのに、あんな風に自然な会話が成り立つだなんて!と、それまで外国から日本にやって来た人でそれほど日本語が流暢な人に出会ったことがなかった私は軽く衝撃を受けた。

そんなふうにして雑談や休憩を挟みつつのんびりと「日本語で」進められていったドイツ語会話のレッスンだったけれど、時々ぽんぽんぽん、と順番が回ってきて、そこで何かドイツ語で発言をしなければいけない、ということもあった。

そしてそんな時はいくらゆったりした空気が流れているとは言っても、やっぱり焦った。

端の席の人から順に、隣に座っている方に質問をして、また隣の人がそれに答えて、と少しずつ自分に順番が回ってくる時のドキドキ感。

そもそも「ドイツ語で話す」ということに全く慣れていなかったし、こんなに下手なドイツ語を皆の前で披露するだなんて、という恥ずかしい気持ちもあって、何か発言をしなければいけないときはいつも緊張していた。

あれ、この感じ見覚えが。。😅

そう、ドイツの大学の授業で先生に当てられた時のドキドキ感と全く同じなんだ、そういえば。

私はAngsthase (直訳すると、不安なうさぎ。 小心者のこと)だから、みんなの前で発言するのはいつも勇気がいる。

小学生の頃はそんなこともなかったんだけどなあ。
小さい頃なんてむしろやんちゃすぎなくらいだったのに、いつの間にか観葉植物のように静かな人になってしまった。と、自分では思う。

ところで私たちが通っていたこのドイツ語会話同好会は初心者向けで、A2(語学能力を6段階に分けたうちの下から2番目。独検でいうと3―4級くらいかな?)をマスターしたい方向け。使用する教科書も、A2レベルのもの。

A2とはいえ決して侮ってはならず、教科書が進んでいくと結構難しい。

よく隣に座っていたYさんは、「我々なんて毎年同じ教科書を使っていますが、これがなかなか難しくてですね、一向に進みませんから。ハハハ」が口癖だった。
そんなこと言いながらも、なんだか楽しそう。

ドイツ語会話の皆さんと一緒に時間を過ごしてみて、80代になってもまだ何かを学ぼう、学びたい、と思えることって本当に素敵だなあ、そんな風に年を重ねたいなあと思った。

そうして月に2回、一回90分のレッスンでゆっくりのんびりと皆さんとドイツ語を学んでいるうちに夏がきて秋がきて、私が高校2年生になる春がきた。初めてドイツ語会話に参加してから1年が過ぎていた。

高校2年生。

私が通っていた音高では、高2になったら毎週金曜日の夕方3時間は必修のオーケストラの授業を取らないといけない。

ドイツ語会話は毎週金曜日の午後6時からスタートだったので、学校から家まで片道2時間半かかる私は、残念ながら高校1年の3月をもってこのドイツ語会話の同好会を去らなければいけなくなった。

間近にドイツ音大受験を控えていた姉も同様だった。姉にとってはもう大学受験が目前に迫っており(ドイツでは主に10月入学が主流で、その場合、受験が6月にある。なので日本の大学生と比べると半年ほど遅いスタートとなる。)ピリピリした時期だった。

私たちが辞めると知ったドイツ語会話の皆さんはとても残念がって、最後のレッスンの日に教室でお別れ会を開いてくださった。コーヒー、紅茶と美味しいクッキーと共に楽しくお話しして、時間はあっという間に過ぎていった。

その後、私もドイツ音大に進学し、もうドイツ語会話には参加できなくなってしまったけれど、その当時一緒に学んでいた皆さんとはいまだに年賀状やクリスマスカードのやり取りをしている。

いつまでもどうかお元気でいらっしゃいますように。

コンサートにもいつも来てくださってありがとうございます😊

火災報知器を鳴らす。

こんにちは、妹です。

毎日自炊をしていると、料理を焦がして火災報知器を鳴らしてしまうことがある。

(言い訳だが、ドイツの火災報知器は簡単に鳴ってしまうという話をよく聞く。)

ある時は、お鍋のご飯を焦がしすぎて。

またある時は、野菜のオーブン焼き(シンプルだけど美味しい)をこれまた焦がしすぎて。

ピイイイイイイーーーーとかなり強烈で甲高い音が、けたたましくおよそ5分にわたって鳴り続ける。

それが鳴り始めると、なぜまたこんな失敗をしてしまったのだろうと自分の不注意が悔やまれて仕方がない。

とにかく非常に心臓に悪い音だ。

日本では経験がないから知らなかったけれど、火災報知器の音ってどこもこんな音だろうか?耳をつんざくような音だ。

危機を知らせるためのものだから仕方がないけれど。

きっとお隣さんは私が鳴らした火災報知器の音に、やれやれ、またかと呆れているに違いない。

本当に申し訳ないです。。

この間違いを繰り返さないために、私はご飯を作る時には、調理される野菜や肉の気持ちを考えるようにしている。

オーブンや鍋に入れたあとは、あまりにも時間が経って怒り出していないか?と用心深く見守る。

少しでも放っておくと機嫌を悪くして、あるとき急に真っ黒焦げになって私を驚かせる。

やーいやーい、焦げてやったぞ

それそれ、困ってみろ

みたいに。

ええそんな

お米さま、お野菜さま、どうかお怒りを鎮めてくださいまし!

と願っても時は遅し。

後には真っ黒になった、もとは野菜や米だったものが哀しくそこに横たわるのみ。

・・まあ失敗は成功のもとというし。

最近は火災報知器が鳴っても慌てずに対処できるようになってきた。

もし火災報知器が鳴ってしまったら:

まずは自分に慌てるな、と言い聞かせる。そして、換気扇の強をつけて全ての窓を全開にする。

あとは布団に潜り込んで耳を塞ぎ、スマホを見ながらあと3分、あと1分、と5分が過ぎるのをおとなしく待つ。

実際に警察や消防士が来るわけでもなく、5分程度で鳴り止むのだからそれまでの辛抱だ。

一度ならずこれまで数回も鳴らしてしまったことの言い訳をさせてもらえれば、例えばお鍋でお米1合分を上手く炊くのは、聞いていたより難しい。

(一人暮らしの私の場合、私が食べる分だけで良いから1合で十分なのだ)

日本の炊飯器はタイマーを設定しておくこともできるし、玄米用、無洗米用、とあらゆる種類のお米に応えた素晴らしい機能がついている。パンやお菓子まで焼けちゃう優れもの。

それに対して私が使っているドイツのお鍋は薄くてあっという間に熱が通ってしまう。

じっくりと煮込んで〜というようなレベルの高いことをするには全く向いていないタイプ。

私がスーパーで普段買っているお米もこれまた薄くて軽い感じ(お値段も1kg1ユーロ程度でとってもお買い得!)なので、軽いお米と軽いお鍋、さらに炊くのは1合だけときたら、もう本当にあっという間に炊き上がってしまうのである。

火災報知器を鳴らすまでいかなくても、お米を炊くために焦がしたお鍋は数知れず。

そうはいっても最近は私もコツを掴んできた。

どれくらい泡が吹き出てきたら火を止めて良いのか、どれくらいの時間を蒸らすのが良いのか、など。

パンやシリアルなどもっと楽に食べられるものがあるのにも関わらず、留学してから1年以上ほぼ毎日お米を食べ続けている私。

こんなにお米が好きだったなんて、自分でも知らなかった。

それに、こんな漫画みたいな失敗を繰り返すほどお米を鍋で炊くのが難しいだなんて。

貴重な体験をさせてもらっている。

【ドイツ音大】先生との出会い その2

こんにちは、妹です。一時帰国しています。いま雨が、滝のように降っています。おそらく気圧の変化のせいだと思いますが、朝から頭痛がします。雨のあまり降らないドイツに住んでいるとなかなか起きない現象です。でもここは日本。

湿めった空気が常に肌にまとわりついて、得体の知れない小さな虫(蚊?)に夜中に刺されたことに朝方になって気がつく、今日この頃です。

土深くもぐるミミズもこの雨にはさすがに気付いていると思います。じめじめ。そろそろ梅雨でしょうか。


その1の続き。

・・私は先生に、たどたどしいドイツ語で自己紹介をした。

私の名前、年齢、今弾いている曲など。

私はその時やっと16歳になったところで先生はそれを聞くと Ach, Du bist sehr jung.(なんて若いのかしら)とおっしゃった。そして、若いのにはるばるよく来たわねえ、と明るく笑ってくださりレッスンが始まった。

ところでドイツ語では英語のYouに当たるものがDu Sie2パターンある。

どう考えてもまだ子どもだ、みたいな相手には初対面でもDuを使うことが認められている気がする。

例えば大学の授業では、学生同士ではDuでも先生方が私たちに使うのは大抵の場合Sie. 何故なら私たちはもう大人とみなされているからだ。

だけど、この時レッスンで先生は完全なる初対面の私に初めからDuを使った。

Weisst du…? (・・は知ってる?)

Wie findest du, es kommt ein crescendo oder diminuendo ?

これからクレッシェンドが来るか、ディミヌエンドが来るか、あなたはどう思う?)

などなど。

それが何となく先生からの最初の親しみを込めた心遣いのように感じられて、緊張しながらも嬉しくなった。

多分、最初に一楽章をカデンツァ(コンチェルトの中にある、ソロパート。技術的に難しい箇所であることが多い抜きで通したんだと思う。そのあとの先生の第一声を聞くのが怖かった。(いつものことだけど)

恐ろしい2秒くらいの沈黙の後に、Das war schön! Deine Musikalität finde ich sehr toll. Lassen wir uns mal von vorne anfangen. (すごく良かったわ。音楽的にも上手くできていた。それじゃ、最初から一緒にやっていこうか)とおっしゃった。

多分そんな風にしてレッスンが始まったはず。それからの90分間、私の両耳は今までの自分の人生で恐らく一番くらいに開かれていて、できることならもっとダンボみたいに大きな耳があったら先生のおっしゃっていることがより理解できたかもしれないのに、とそれが少し悔やまれた。私の全神経は耳に集中していた気がする。

レッスン中、先生がなんておっしゃっているのか完璧には分からなかったけど、拍の重点が置かれるべきでないところに置かれているとか、ここの箇所は本来大きくなるべきなのに小さく終わってしまっている、とかいう細かいところまで指摘されている、ということには何とか気がつけた。

さらに先生はピアノ伴奏までご自身で弾いてくださって、楽譜上の和声進行を読み取るのがいかに重要か、とおっしゃった。

(そういう和声の流れを把握するにはピアノ譜を読んで、もしくは実際にピアノを弾いて分析していくのが手っ取り早い。ヴァイオリンはメロディー楽器だから、しばしば和声進行を無視して弾けてしまうのである。

ヴァイオリンが専科の人でも副科ピアノが必修なのはこういうわけだ。)

そうこうしているうちに1時間半ほどのレッスンは終わった。

必死に頭をフル回転させていたために、レッスンが終わる頃には私はかなりぐったりしていた。

それでも初めて受ける先生のレッスンに半ば興奮が収まらずに楽器をケースに閉まっていると、先生は見学していた門下生らしき一人に声をかけた。

(実は途中からいきなり現れたこの彼のために、私はますます緊張せざるを得なかった。)

その彼に、先生は「彼女(私のこと)どう思う?これから一緒にやっていくとしたらと聞いた。なんてドキドキする質問!!

そしたら彼は、「もちろん!素晴らしいことだと思います」 と答えた。

先生は私にも今後どうしたいか、と尋ねてくださり、私はぜひ先生のもとで勉強したいと答えた。

実はその日まで、自分がドイツの音大に進むなんてほとんど考えていなかったのだけれど、先生のレッスンを受けた後にはすっかり、ドイツで勉強したいという気持ちになっていた。

このとき私たちは日本にすぐに帰らなければならず、それ以上先生のレッスンを受けることは出来なかったのだけれど、それを残念がった先生は、また会いましょう、ぜひ夏にまたいらっしゃい、とおっしゃって別れ際にぎゅっとハグしてくださった。

お向かいさんの新事実

こんにちは、妹です。

ドイツで一人暮らしをしている私の家はアパートで、4 世帯しか住んでいない小さな建物。

細い道路を挟んだこのアパートの向かい側は大きな建物で、上の階は住居用だけれど1階部分は店舗になっている。店舗には女性向けのメイク用品や美容品がずらりと並んでいるのが外から見える。なんだか眩しくて入ると気後れするようなお店だ。

階によっては天井の高さがこちら側と揃っているようで、私の家の窓を開けたとき、ちょうど向かいの建物の住人と視線が合う・・・合ってしまうことがある。

私の家の窓は 2 つあって、一つは大きくて表通り寄りに付いている。と言っても観音開きでバーンと開くというわけではなくて、実は窓を二等分したうちの右側しか開かない、というちょっと残念な作り。

もう一つの窓には元々カーテンが付いている。くるくると上に巻き上げられていくロールスクリーンというものだ。

付け加えると、これにもまた残念な点が。本来あるべき巻き上げ用の紐が無いために、私はいつも手動でくるくるとスクリーンを上に巻き上げないといけないのだ。しかも私の背が足りなくて、巻き上げるためにいつも椅子によじ登らなければいけない。

この丸く囲った部分の紐が付いていない。

私の1日は毎朝椅子によじ登り、よいしょ、とこれをくるくる巻き上げてからスタートする。

時々面倒になって、いっそ放っておこうかとも思うけれど、やはりそれでは暗いので仕方なく椅子によじ登る。

ところで私の部屋からはお向かいの家の窓が2つ見える。右側の窓の部屋に住むのは40-50代くらいのおじさんで、規則正しい生活を送りながら1日に一度は窓際で一人タバコを吸っている。

なんでそんなことが分かるかって、そのお向かいさんの窓が毎朝必ず早朝に開いているからだ。

そして、夜になるとまた決まった時間に明かりが消えて窓が閉じる。

それに対して、左側の部屋に住んでいるおじさん(これまた40-50代くらいに思えた)の部屋はキッチンに多くのものが積み重なっていて、生活に無頓着な様子がこちらからも見えてしまう。

ある珍しく大雨が降った日のお昼、慌てて窓を閉めていたらその左側に住むおじさんと目が合ってしまって、ハローと挨拶した。

やれやれなんて雨だ、という感じで苦笑するお向かいさん。気さくに話してくれる。

今日は全く変な天気だねえ

ええ、そうですね

・・・

それがある時、窓から外をぼーっと眺めていてふと気がついた。

このお向かいさんたちは、実は同じ人じゃないか、ってことに。

それまで、窓から見えるお向かいさんの様子が部屋の感じも含めて余りにも違い過ぎていて、全く別々の家だと思っていた。

左のおじさんは気さくで話しやすい雰囲気。でも部屋はあまり整理されておらず、雑然としていた。対して右のおじさんのお部屋は綺麗に片付いていてその部屋の奥の廊下まで見えるほど。でもタバコをふかす姿はちょっと孤独な感じで気難しそう。

あるとき右側のおじさんが左の窓にいるのに気がついた!

あれ?場所が入れ替わった?

最初はそう思って驚いた。

でも・・

違う、2つの窓は実は1つの家の窓だったんだ。

それによく考えてみたらおじさん達の顔はそっくりだった・・

あの左側のフレンドリーなおじさんと、右側のしかめっ面でいつも物思いに耽っているおじさんが同一人物だなんて。

なんだかすごい発見をした気分だ。

ところで念のため言っておくと、私はもちろんいつも窓から外ばかり見て 1 日を過ごしているわけではない。お向かいさんに目が行くのは窓を開け閉めするほんのわずかな時間だけ。

であるからこの家に住み始めて1 年が過ぎ、ようやくこの事実に気がついたのだ。

決して、お向かいさんの 1 日をずっと観察しているわけではないのであしからず。

【ドイツ音大 】先生との出会い その 1

こんにちは、妹です。

今、私が習っているドイツの音大の先生に初めてお会いしたのは、私が高校 2 年生になったばかりの 4 月の下旬のことだった。

姉がドイツ音大のピアノ科を受験することになった時、私も同じ音大の教授のレッスンを受けてみてはどうか、という話が上がったのだ。

その時の私のドイツ語力は(いつか記事にもアップしたように)勉強は続けていたものの会話力が追いついておらず、そのため始めの頃のレッスンはほとんど身振り手振りのなか進められていった。

初めてのレッスンの日。

約束の時間になり、先生がいらっしゃるというそのドアを初めて開ける時はそれはそれはとても緊張して、(今もレッスンが始まる時はいつもとても緊張するけれど)冷や汗ばかり出ていた気がする。

それまで日本でも何人もの先生の前で演奏してきたけれど、そしていつも弾く前にはすごくプレッシャーを感じていたけれど、今回はまた違う事情で身が縮む思い。

こんなにちんちくりんな私などが、恐れ多くもこの場にいてもよろしいのでしょうか?

不安の種を倍増させていたのは、はたして先生がおっしゃることをすぐに理解できるのか、そしてそれをパッとすぐに実行してみせることができるのか、ということと、

またその時レッスンに持っていったコンチェルトが、譜読みを始めてから 2 週間足らずだったため十分に弾きこめておらず、それを先生はどう思われるだろうか、ということだった。

そもそも私はそれまで外国人の先生のマスターコースなどを全く受けた経験がなく、今回が私にとって初めての外国人の先生のレッスンだったのだ。

初めての海外、それがドイツでの大学教授のレッスンとなった私の不安はそれは大きなものだった。

そしてドアを恐る恐る開ける。

女の先生がこちらを向いて近づいて来る。

ハロー、ウェルカム トゥー ジャーマニーみたいなことを優しく笑って言ってくださった時の安心感ったら!

先生との出会い 2 に続く

髪、いつ切る?伸び続ける髪をどうするか

こんにちは!妹です。

なんとまあ、桜がたおやかに咲いていること・・・

2019年3月下旬のこと。

今日は昼から美容院の予約を入れているから、メイクをしてとっておきの洋服を着よう。
グロスはto/one の13番。使うたびにうっとりするあのぷるぷる感。

ドアを開けた瞬間、私はいつもあの美容院のおサレな雰囲気に圧倒される。それが、いつも私を鏡と睨めっこのおめかしタイムへと向かわせる。

よし、入ろう。

カランコローンという素敵なチャイム音を聴きながらおずおずとドアを開けると、迎えてくれた美容師さんは頭の上に輪っかを乗せた天使のような笑顔を私に向けて、いらっしゃいませ、お荷物お預かりしましょうと声を掛けてくれる。

今日はどんな感じにしましょうか?
ええ、ええ、そうですか
それではちょっと軽くしていきますね〜

サッサッサ

髪が優しく床に落ちる。

サッサッサ

サッサッサ

それではシャンプーしましょう

はい、お願いします(ええ、喜んで!)

リクライニングチェアの中で、私は私の髪がシャンプーの贅沢な香りに包まれていくのを感じる。
ゆさゆさと優しく、でも程よい強さでマッサージされるたびに心地良く頭が揺れて。

幸せだあ。

・・・

そんなふうに恭しく丁寧に扱われていた私の髪。

留学して1年以上経つが、次に髪を切るのはいつなんだろう。
こんなに長い間美容院に行っていないとは、どういう事だろう。
(私の髪の毛も、そう思っているだろう、と思う。)

行くとしたら、ドイツの美容院かな~
それとも日本に帰国する時まで待って、いつものところで切ってもらった方が安心かな~

と、そうこう悩んでいるうちにも月日は過ぎる。
ドイツに来る前は肩にかかる程度だったのに、今はロングもロングな状態だ。

私の住む家(ドイツ)の近所に美容院が無いわけではない。それどころか家から徒歩2分程度のところに小さな美容院があるのを知っている。
良心的な価格設定(女性は20€から、男性は15€で子どもは10€)のせいかチラッと覗くといつもお客さんでいっぱいの美容院。

でも、私はどうしてもそこに行く勇気を出せずにいる。

自分の要望を伝えるときに何て言って良いのか分からないから。ドイツ語で思いを伝えきれる自信がない。(日本でだっていつも美容師さんの提案してくれることにお任せなんだから。)

行ってみたとして、一体どんな髪型にされるのか、という一抹の不安。

どんな髪型にされても、にこにこして

‘Danke, ich bin zufrieden‘
ありがとうございます、気に入りました。

としか言えないことは目に見えてる。

アジア系のお客をほとんど扱ったことがない、ってこともあり得る。髪質はヨーロッパの人たちとは大分異なると思うしアジア系の私が来店したら美容師さんは戸惑うかもしれない。

それとも怖いのかもしれない。
日本で行き慣れていたあの美容院しか知らないから、ドイツの美容院を訪ねることで、私の中であの眩しいような美容院像が崩れてしまうのが。

20€であそこへ入る冒険心を買うか?

それともこのまま、ふと夜に鏡に映った時に六条の御息所のそれに見えなくもない、この髪の行方をなす術もなく見守るか。

ああ、それもまたある意味で冒険?

ドイツ音大初潜入!ドイツ語の洗礼を受ける

「こすずめのぼうけん」のごとく生まれて初めて日本を出て、海外に発った高校2年生を待ち構えていたもの。

それは、20時間以上の長旅ののちにやっとの思いで到着したハンブルク中央駅から漂う 何やら怪しげな匂いなどとは違って逃げられるものではなく、容赦なく私に降りかかってきた。

気付いたら「受験生のための和声と聴音の集中講座」の席に座っていた。

元々は当時ドイツ音大受験を2ヶ月後に控えていた姉が、受験の課題について理解を深めたいということでこの集中講座への参加を決めていた。色々あって同じ時期に私も同大学のヴァイオリン教授のレッスンを受けることになり、姉と一緒にドイツに飛び立ったのだった。

<豆知識> 

*(ドイツ音大における)受験生のための和声と聴音の集中講座とは

受験に出る和声と聴音の課題をおさらいしよう!という集中講座。3日に渡って大学で開催された。和声や聴音の課題をたくさん解いて、来たる受験に備える。

この期間に何回か大学に足を運ぶことで、大学の雰囲気に慣れたりもする。
全てがドイツ語で書かれているのが当たり前でそれが新鮮な図書館に入ってみたり、学生さんたちがワイワイ食事をしている食堂で自分も学生になりきって何かお安くて美味しいものを注文してみたり。

コミュニケーション力が高い人は友達が出来ちゃったりするかもしれない、嬉しい講座。

ここに参加する人々の大半は周辺の地域からこの大学を目指してやってきたドイツ人。必然的に私たちアジア人(私と姉と、初対面の台湾人2名のみ)は珍しくただそこにいるだけで目立つ存在に。

*和声

メロディーに付くコードと同じもの。
明るい、暗い、不思議な感じがする・・というように、ハーモニーを作り上げる基礎のような。曲が作られるためのピースというか。この授業では一つの曲がどの和声から成り立っているかなどを分析したりする。
受験では自分でピアノ伴奏をしつつ、和声分析を口頭で行うという大学も(もちろんドイツ語で)。私たちが受験した大学もこのタイプ。難しい。

*聴音

聞いたメロディーを五線譜に書き取る。4回ほど聞きながらそれを覚えて、書き取ってよろしい、と言われた後に書く暗譜と呼ばれるものも。
後は、「リズム叩き」といって右手と左手で左右同時に異なる複雑なリズムを机の上で叩いたり、とか。
個人的に聴音の授業は音高時代から結構好きだった。

「…ist …dann……?…..bitte?」

あれ、何か先生が私を見てる。質問されてる?まずい。何か言わないと。

焦った気持ちとは裏腹に、へへへ、と得体の知れない笑いしか出てこない。

周りはシーンとした空気。

中学3年生の春休みからドイツ語をかじり始めた私は当時高校2年生、もう既に何年かドイツ語を学んでいる状態のはずだった。おはようございます、ご機嫌いかが、なんてレベルは卒業したと思い込んでいたし、実際ゲーテのB1の「書く」試験にはパスしていた。

ゲーテのB1とは

ゲーテ=ゲーテインスティテュートの略。世界共通の青少年および大人のためのドイツ語検定試験。「読む」「書く」「話す」「聞く」の4つのモジュールに合格しなければならない。B1は6段階の評価レベルのうち3番目に当たる。このB1試験に合格すると、ドイツ語圏を旅行する際に出会うほぼすべての状況に対応することができる、とゲーテインスティテュートのホームページには書いてあるが、真相はいかに?

・・・だからそれなりに出来るかな?と思って現地に来たわけだけど、ところがどっこい聞いて分かることがこれっぽっちもない。

フランクフルト空港のスタバの店員さんに「アイスティーbitte (お願いします)」と言うのが精一杯だった私にとって、

「この和音の属調のサブドミナントは何ですか?」(今振り返ると、多分そのようなことを聞かれていたと思う。)・・・なんて質問は余りにもハードすぎた。

その時の私は、いかにすれば先生から当てられずに済むか、どうしたら喋らずに済むか、という事ばかり考えている典型的な外国人の生徒だった。

何のことはない、とにかく何を聞かれても答えられないのだから開き直るしかない。そう自分に言い聞かせて必死に耐える。

その日、講座が終わって借りていたアパートに戻る道の途中で、ふと涙が出そうになった。何でここに来ちゃったんだろう。しかもあと2日もある。

それは正真正銘、まさしく苦行の時間だった。

暖かい巣から飛び出して冒険することの厳しさを、このとき初めて知った。

あれから3年が経ち、私は大学2年生になった。あの辛い洗礼を受けた大学に通い始めてもう1年以上になる。

先週受けた音楽史のセミナーでは、他の参加者全員の前で10分間以上も話してみせた。

少しは成長出来たのではないか?